トーマス・ミシェルS.J.(教皇庁諸宗教評議会)

 この記事は、米国での9.11テロ以後に発表された、キリスト教とイスラム教の関係に関するもっとも鋭い論文だ。トーマス・ミッシェルは、教皇庁諸宗教評議会イスラム局長としての幅広く深い体験を紹介しながら、キリスト教-イスラム教関係について、広汎に分析している。(原文はJCTR Bulletin, Jesuit Center fot Theological reflection, Lusaka: Zambia, Number 57, 2003

 最近、イタリアのテレビでイスラム世界に関するニュースが増えてきた。たとえば、2003年5月16日、サウジアラビアのリヤドにある米国大使館が、外国人居住区への攻撃を受けて閉鎖されたというニュースが伝えられた。その三日後には、モロッコのカサブランカでのテロ攻撃が報道された。さらには、トルコのアンカラで起きた自爆テロ未遂事件(犯人の極左グループの女性は、誤ってレストランのトイレで爆弾を爆発させてしまった)も報道されている。
 テレビのコメンテーターが、英米による対イラク戦争の反動で、「イスラム教テロリストの攻撃」は今後、増加するだろうと解説する後ろには、野外モスクでターバン・長衣姿で祈るイスラム教徒の映像が流れていた。

イスラム教とテロ
 こうしたテレビ番組によって、視聴者は「イスラム教は暴力的な宗教だ」というメッセージを受け取り、白い長衣にターバン姿で祈るイスラム教徒の映像は、「イスラム教は異質な文化で、古くさい」という印象を強める。こうして、イスラム教とその信者は、ヨーロッパ人だけでなく、近代的価値観を信奉するすべての人にとっての脅威として描かれてきた。
 確かに、こうした典型的なニュース番組が報道する「種々の事実」は否定できないが(テロ攻撃は行われているし、多くのイスラム教徒は伝統衣装で集まって祈っている)、それらの事実の間に存在すると主張されている「密接なつながり」を検証することは可能だし、必要でもある。たとえば、アンカラ事件のテロリストは、反宗教的な毛沢東主義政治運動のメンバーだったというが、だとすれば彼女のテロはイスラム教とどう結びつくのか?
 より根本的な問題は、祈祷していたイスラム教徒が実際に暴力に加担したり支持していたのか、もしそうなら、どれくらいの人数か、ということだ。この映像に登場するイスラム教徒の大部分が暴力的な政治行動を支持しているのか、それとも例外的な少数なのか、あるいは、ほぼゼロに近いのか?
 つまり、暴力やテロリズムというのはイスラム信仰につきものの要素なのか、それとも、ごく少数のイスラム教徒による、イスラムの教えからの逸脱なのかということだ。

議論の前提
 私たち(つまり非イスラムの、西洋の、近代の人間)は、テロに焦点をあわせるあまり、イスラム世界で実際に進行している事態を見失っているのではないか。これから述べる私の意見の前提を説明した方がよいだろう。私は過去30年にわたってイスラム諸国で生活し、教鞭をとってきた。インドネシアではイエズス会インドネシア管区の一員として、レバノンとエジプトではアラブ・イスラム学研究者として、そして最近ではトルコのイスラム神学校でキリスト教神学を教えている。
 私はバチカンの諸宗教評議会イスラム局長として13年間働くなかで、イスラム教が多数を占める国のほとんどを訪れ、多くのイスラム神学者や宗教指導者、政治家、学生、一般信徒と長時間にわたって議論してきた。

イスラム教の知られざる一面
 そうした体験から得た結論は、「大部分のイスラム教徒の本当の関心事は、テロや暴力とはまったく無縁だ。イスラム教徒のほとんどは、暴力にもテロにも強く反対し、拒否している」ということだ。2003年4月、私はトルコを訪れた。

アナトリア東部の大学の神学部で講義し、近隣のいくつかの町で講演を行うためだ。ローマへの帰路、イスタンブールでも講演を頼まれていた。
 そこで、復活祭後の月曜、私はイスタンブールの大きな公会堂に集まった、4千人のイスラム教徒青年たちを前に講演した。その日はちょうど、イスラム教の予言者ムハンマドの生誕祭だった。この年に、彼らがカトリックの神父を招いて、人類に対する神の祝福である予言者ムハンマドについて講演させたことは、重大なできごとだ。私は講演のはじめと終わりに、大いなる拍手をもって熱烈に歓迎された。私の話が終わった後は、トルコの若い詩人が、ムハンマドを称える自作の詩を朗読し、フォーク歌手がエレキ・ギターの伴奏で、ソフトなロックのスタイルで神を称える賛歌を歌い、私たちも現代的なゴスペル・ミュージックのスタイルで歌に参加した。
 この会場では何が起こっていたのだろう? そこにいたのはジーンズにTシャツ、運動靴姿の元気な若者たちで、彼らはイタリアやオランダ、米国の同世代の若者たちと、文化の面で明らかに多くの共通点をもっていた。唯一のイスラム教徒らしいしるしといえば、若い女性たちがかぶっていたスカーフだけだった。
 若者たちと話してみてわかったのたが、集まっていた学生たちは、イスラム教学ではなく、コンピュータ・サイエンスや医学、機械工学といった世俗分野の学問を専攻する学生だった。学生以外にも、事務員や秘書、旅行業者、トラック運転手、建設作業員などたくさんの労働者が来ていた。
 要するに、その日会場に集まっていたのは、イスラム信仰を共通の絆にもつ、イスタンブールという現代都市に生きる多様な若者たちの代表だった。彼らは、歌と詩による予言者ムハンマドへの現代的な賛歌に酔いしれたのと同じくらい、キリスト教徒の講演者にも心からの歓迎と熱狂を示した。隣国イラクではちょうど戦争が激しくなっていたが、その晩の話は地政学についてではなかった。生誕祭の空気には、戦争への抗議や熱弁はまったくなく、むしろそこには、予言者ムハンマドのメッセージを通して、彼らイスラム教徒が神から受け取ったすべての恵みに感謝したいという願いが現れていた。
 私の疑問はこうだ。こんにちのイスラム世界をよりふさわしく代表しているのは誰か? イスタンブールの若者たち-彼らにとってイスラム教は基本的に宗教信仰であり、礼拝を通して神に至る道であり、日常生活において神の意志を行うプロジェクトである-なのか、それとも神の名の下に殺し、破壊する人々なのか? 私は確信しているのだが、世界中のイスラム教徒の大部分は、彼らがあからさまに断罪するテロリストではなく、私がイスタンブールで(そして他の国で)出会った、一生懸命で、率直で、現代的な信徒たちこそ、真の未来への希望であるという意見に同意してくれるだろう。
 インドネシアやエジプト、マレーシア、イラン、ボスニアでの体験からも、これらの国々の若きイスラム教徒たちは、極端な暴力集団ではなく、トルコの現代っ子たちにこそ類似点が多いと確信するに至った。

イスラム社会の問題
 こう確信したからといって、現代イスラム世界に多くの問題やイデオロギー対立、偽善、宗教的アイデンティティの操作が存在することを否定しているわけではない。だからといって、ヨーロッパや北米よりもイスラム世界の方が、そうした人間的弱点や悪行が目立ってひどいかどうか、疑問の余地はあるだろう。
 こんにちのイスラム世界が直面するもっとも深刻な問題は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの非イスラム諸国でも同様に見いだされる。イスラム教徒やその観察者が問いかけている疑問は、イスラム教がその問題の一部であるのか、それともイスラム教は、火急の諸問題に適切な指導とインスピレーションを与えうるのか、ということだ。
よき統治/
正義とよき統治という問題は、こんにち、世界中でそうであるように、イスラム諸国においても中心的な問題である。実効的で、国民を代表する民主的な政府の必要性は、至るところで実感されている。しばしば洗練された治安システムや大国との同盟関係によって権力を獲得してきた、エリート支配階級の利益にのみ奉仕する、腐敗した体制が優勢なイスラム諸国の現状は、政治システムや指導者への不信を生み出してきた。

政治的イスラム運動/
権力の乱用をただし、より民主的な体制を確立しようという一部のイスラム教徒による取り組みは、宗教と政治のいかなる結びつきも異端視する西洋諸国の信念によって、邪魔されている。たとえば、イラン、パキスタン、スーダンといった国々のイスラム主義政府による過去の試みの一部は、自覚的なイスラム主義体制が果たして、人権や市民的権利-なかでも宗教的・民族的・性的マイノリティの権利-を尊重することができるのか、という深刻な問題を提起してきた。
 私たちが理解しておかなければならないのは、イスラム教による政治や政府へのアプローチには、政治イデオロギーや社会的ビジョン、イスラム聖典の解釈をめぐって、大きな幅があるということだ。たとえば、アルジェリアの(急進的なイスラム運動)イスラム救国戦線(FIS)が1991年に選挙で勝利した際、軍事クーデターによって覆されなければ、どんな国家を築いていたか、私たちは想像するしかない。また、2003年はじめにトルコで、民主的選挙によって政権の座についたイスラム主義政党が、採用を言明した政教分離原則について評価するのは、時期尚早だ。
 だが、トルコ新政府は経済運営、腐敗の減少、国民の市民的権利の擁護、地域間の緊張を平和的に解決する方法の発見に成功してみせれば、宗教をベースにしつつも多様性を保証する、民主主義の新たなモデルを、イスラム世界に提供することができるだろう。

人々の怒りの経済的原因/
新自由主義的市場政策(グローバリゼーションがそのキーワードだ)が一般市民に及ぼす経済的影響は、市民の怒りや不安の一因となっている。富や機会の不平等な分配は、「現状維持」の構造を改善する見通しをまるで見いだせない、欲求不満の怒れる大衆を生み出してきた。
 こうした社会的病弊の根っこには、アメリカの新植民地主義的覇権があり、この覇権の下で、ニューヨークやロンドンにいる、少数の利益至上主義者の資金運用マネージャーたちが下す金融上の決定が、世界中の何百万という人々の暮らしに悪影響を及ぼしているのだ-という図式が広く受け入れられている。
米国に支えられた独裁/
米国は専制君主や独裁者を、彼らが市場の自由を外国企業に認め、国連で正しく投票するかぎり、支援するのだ-と信じる人々がいる。そして米国は、自国の経済的・軍事的目的を妨げようとする者には、いつでも戦う用意があるとも信じられている。
 この図式においては、イスラム世界もアジアやアフリカ、ラテンアメリカの他の国々とまったく変わりない。イスラム世界において反西洋的(というより、反米的)感情が生まれる最大の原因は、西洋各国政府による腐敗した抑圧的政権への支援にほかならない。

暴力をめぐる認識の対立/
多くの西洋諸国がイスラム教徒に抱くイメージは、暴力的というものだ。「イスラムは血塗られた国境をもつ」というサミュエル・ハンチントンの有名な一節を思い出す人もいるだろう。だが、イスラムの人々は自分たちを第一に、暴力の加害者ではなく被害者だとみなしている-抑圧者が同胞のイスラム教徒の政治的・軍事的エリートであれ、パレスチナやチェチェン、カシミール、コソヴォ、フィリピンの場合のように、非イスラム教徒の政府や軍隊であれ。統計的に見て、政治的な動機に基づく暴力の犠牲となるイスラム教徒の数は、イスラム教徒の暴力によって苦しめられる非イスラム教徒の数を、遙かに上回っている。

戦闘的なテロリズム/
どんなに国際的な安全保障システムを増強しても、人々の怒りや不満の根本原因にむきあい、解決しないかぎり、テロを終わらせることはできない。こんにちの破壊兵器は手軽に手に入るので、何か目的をもったグループが兵器を買ったり、自分で製造したりすることも容易だ。
 政治家たちやニュース・メディアにおなじみのやり方だと思うのだが、イスラム教徒だけに焦点をあわせるやり方は、集団的暴力が現代生活に不可避の要素となりつつある、という座視できない事実から目をそらさせる恐れがある。集団的暴力に必要なテクノロジーは誰でも知っており、いつでも利用できる。
 それが今日はアル・カイダかもしれないが、明日は別の地域の別のグループかもしれない-別の宗教かもしれないし、あるいは何の宗教にも属していないかもしれない。少数の高度に工業化された国々の消費者が、法外なほどたくさんの資源をコントロールし、自分たちの利益のために利用している現状が続くかぎり、世界はテロの恐怖から守られることはない。

イスラムの価値観
 多くのイスラム教徒は、暴力やテロに賛成しない大多数の人々も含めて、西洋諸国、なかでも米国が世界に広めている支配的なイデオロギーに、宗教に根ざした反感を抱いている。彼らは近代イデオロギーを唯物主義的なもの、神とそのご意志を社会・経済・政治生活の(よくても)片隅に追いやるものとみなしている。
 彼らは近代主義を、利益至上主義・消費主義であり、個人の価値を経済状態や社会的地位、目的達成能力によってのみ計るものとみなしている。西洋の支配的イデオロギーを、世界を勝者と敗者とに引き裂くものとみなしている。勝者はよい車に乗り、ゴールドカードをもち、うまいものを食べ、すてきなバカンスを楽しむ一方で、敗者は自分の運命をおとなしく受け入れ、生き延びるために、危険な職場で一生懸命働かなければならない。彼らの意見は軽視され、無視されて、その声が力ある人々の会議で聞き届けられることはない。
 イスラム教徒にとって、こうした価値観は、神が人間に生きるよりどころとしてお与えになったものではない。イスラム教はキリスト教と同じように、人間の生きる目的とは、神を知り、礼拝し、神に従うことであり、隣人を愛し、奉仕することであり、神に忠実でありつづけた者が、そのみ前で永遠の命を与えられる日を待ち望むことである-と教える。だから、人間社会を特徴づける価値とは連帯、相互扶助、貧しい者への配慮、神の偉大さや優しさや哀れみを常に想い起こすこと-でなければならない。彼らがうちたてようとしている神を中心にした社会とは、平和な(サラーム)社会である。神のご意志に従って生きる神との平和、社会のさまざまな人々との平和、諸民族の間の平和だ。
 2001年9月11日の悲劇以後の記事や講話、私が個人的にイスラムの人々と交わしてきた議論から、平和の宗教としてのイスラム教と、平和な世界を建設するため他の人々と協力して働こうというイスラムの人々の使命感に、深い共感を覚える。このことをどう説明すればいいだろう?思うに、イスラムの人々はイスラム教を、当然のごとく平和の宗教とみなしていて、そのことはあまりに自明なので、説明も弁護も必要ないと考えているのだろう。
 世界貿易センタービルへの攻撃と、それに続く「テロに対する戦争」は、多くのイスラム教徒に二つのことを確信させた。イスラム教は非イスラム教の人々から、平和の宗教ではなく暴力の宗教だと思われていること。そして、イスラム教徒が、彼らに対して他の人々が一般にもっている否定的なイメージに対抗し、この世界に平和を実現するためには、同じ考えをもつ他の宗教の人々と協力して働かねばならない、ということだ。要約すれば、イスラム教徒はもはや、彼らの宗教が平和の宗教であることは自明だと思いこむことはできないし、こんにちの世界において「ただ一人我が道を行く」こともできない、ということだ。

神と宗教間協力
 イスラム教徒が神から与えられた価値を守り続けようとするにあたって、自ずと協力できる仲間を探すとき、しばしば相手として現れるのは、真摯で信仰深いキリスト者だ。すでに20世紀のはじめに、トルコ人神学者サイード・ヌルスィのような進歩的なイスラム教徒が、神のご意志を現代世界において堅持していくにあたって、「真のキリスト者」を必然的な協力者と見なしていた。
 このようなイスラム教徒とキリスト教徒の間に存在する自然な類似性の根は、イスラム教の聖典そのものにまでさかのぼる。クルアーン(コーラン)はこう述べている。「またあなたは、信仰する者に一番親愛の情を抱いているのは、『わたしたちはキリスト教徒です。』と言う者であることを知るであろう。これはかれらの間に、司祭と修道士がいて、かれらが高慢でないためである。」(クルアーン5:82.邦訳は宗教法人日本ムスリム協会発行『日亜対訳・注解聖クルアーン(第五刷)』)
 イスラム教徒とキリスト教徒の間の、こうした神のご意志に沿った友情と協力という認識は、カトリック教会の側にも見られる。すなわち、第二バチカン公会議は「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」のなかで、キリスト者とイスラム教徒は、過去の疑いと争いを越えて、双方が礼拝する一つの神から与えられた共通の使命を遂行するために、協力して働くようにとうながしている。「社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人々のために共同で守り、かつ促進するよう勧告する」(3節)
 この視点から、キリスト教徒とイスラム教徒の間の対立、抑圧、暴力、戦争の長い歴史は、それぞれの宗教の真の教えに従って生きてこなかったキリスト教徒やイスラム教徒が犯した、過ちの歴史として、あるいは神学的ビジョンが狭すぎて、他のコミュニティのなかで働く神の恵みを理解できない人々が犯した、誤った行動として理解されねばならない。つまり、キリスト教とイスラム教の対立と戦争の歴史は、どちらの宗教に予言されていたことでもなく、人間的な弱さによる、神が望まれた相互の愛と助けからの逸脱に他ならない。

「すべての人のための」協力
 こんにちいえることは、世界中の多くのイスラム教徒とキリスト教徒が、「すべての人のため」に共に働く仕事に参加するようになっているということだ。この協力はさまざまな形をとる。
 一例として、フィリピンの南部を見てみると、120ヶ村の民衆組織を傘下におさめるイスラム教-キリスト教農村開発機関(MUCARD)の開発や貧困撲滅活動、サンボアンガ・イスラム教-キリスト教都市貧困協会の正義のための活動、サンボアンガ平和協会(PAZ)の平和活動、イスラム教-キリスト教宗教協力会議とモロ-キリスト教人民同盟の和解のための活動、相互理解と対話教育のためのシルシラー・グループの活動などが挙げられる。
 前述した、宗教的価値観に基づいたイスラム教-キリスト教の協力の必要性についてのサイード・ヌルスィの教えは、彼の思想に基づいてつくられた多くの運動-とりわけ、カリスマ的なトルコ人指導者、フェトフッラー・ギュレンからインスピレーションを受けた教育運動によって、取り上げられた。ギュレン運動は、約30ヶ国(主として旧ソ連圏)で300近くの学校を運営し、人格形成と道徳的価値観に特に留意した、上質な教育を提供している。
 この運動は、「ザーマン」新聞と「サマンヨル」テレビ、またその対話組織を通して、イスラム教・キリスト教双方の尊敬と評価をうながす、数々のイニシアティヴをになってきた。ギュレン運動はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒間の相互の尊敬と協力の必要性を強く主張している。
 米国では、アメリカ・イスラム協会(旧ブラック・ムスリム)とカトリックのフォコラーレ運動が、「愛し方」に関するセミナーを共催して、現代の世俗化した世界に、霊的な価値観を注ぎ込むべく協力している。ワシントンD.C.では、イエズス会のジョージタウン大学のイスラム教・キリスト教理解センターが、イスラム教とキリスト教の学者を集めて一級の学科を開設し、キリスト教世界とイスラム教世界とを長い間分断してきた諸問題について、優れて学問的な訓練を提供している。
 中東では、レバノンの二つのキリスト教系大学で、イスラム教徒とキリスト教徒の学生が、互いの信仰を理解しつつ、共に学んでいる。トリポリでは、正教会が設立したバラマンド大学のイスラム教・キリスト教研究センターが、またベイルートでは、イエズス会のセント・ジョセフ大学のイスラム教・キリスト教研究所が、キリスト教・イスラム教の対話と理解を促進したいと考える人々の学問的養成を行っている。湾岸地域では、2002年10月にバーレーンで、多くのアラビア語圏諸国からイスラム教・キリスト教学者を集めて、第10回イスラム教・キリスト教対話会議が開催され、湾岸地域におけるキリスト教・イスラム教協力を促進する方策が探求された。
 アジアでは、アジア12ヶ国以上に広がるアジア・ムスリム・アクション・ネットワーク(AMAN)という進歩的なイスラム運動が、カトリック・アジア司教協議会連盟やアジア・キリスト教協議会と共同で、平和セミナーやワークショップを開催している。彼らは共同で、イマーム(イスラム教シーア派の指導者)や宗教教師、神学生、カテキスト(キリスト教の教理教師)に提供できる、共通の「平和カリキュラム」をつくることを目指して、協力している。

9.11以後のイニシアティヴ
9.11以後、相次いで起こった悲しい出来事は、イスラム社会とキリスト教社会を引き裂くどころか、むしろさまざまな場所で新たな平和へのイニシアティヴを導いた。この25年間にわたる教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージは一貫して、最近の政治的・軍事的対立は「キリスト者がイスラム教徒に敵対する」ことの実例ではないことを証明している。英国と米国を含む多くの国で、各国教会協議会と司教協議会、イスラム教組織が共同で、イラク戦争に反対する合同メッセージを発表している。
  2003年3月、ジャカルタ大司教区の枢機卿とインドネシアの主要なイスラム組織の指導者に引率された、インドネシアの宗教指導者の諸宗教代表団が、ローマとブリュッセルを訪れ、平和を求める共同アピールを行って、教皇やヨーロッパ連合首脳と会見した。
 他にもいくらでも紹介できるが、以上の少数の例だけでも、世界中の多くのキリスト教徒やイスラム教徒が、両者の悲しい争いの歴史は神の望まれたことであるという考えを拒絶している-という事実を示すには十分だ。彼らはそうした信念をさまざまなプログラムに具体化し、広汎な支持者に届けている。キリスト教-イスラム教対話は時代の要請であると同時に、来るべき時代をリードする理念であるといってよい。
 このようなビジョンは決して見果てぬ夢ではない。対話しようと望むイスラム教徒とキリスト教徒は、現代世界の諸問題はあまりに複雑で、両者はしばしば誰かに操られて戦わされていること、さらに、紛争の多くは外側からではなく、イスラム教徒やキリスト教徒と自認する人々の側から生じるものであるということも、認識しなければならない。キリスト教-イスラム教対話とは、世界中で両者の間に友好的な関係が築かれるまで待っていられるものではなく、こんにちの両者の緊張と対立に満ちた状況にもかかわらず、まさにそのまっただ中で追求しなければならない課題であることが、ますます明らかになっている