阿部 慶太(フランシスコ会)
 
 生野の地域活動に関わりだした1995年は、阪神淡路大震災のあった年で、神戸の鷹取救援基地の取り組みと新しいコミュニテイー創りは、「共生」のモデルとして、教会関係のみならず一般のマスコミにも取り上げられました。
 この出来事は、当時の日本社会の中で在日外国人と日本人の「共生」するということがうまくいっていないことが多かったことを意味していると思います。何故なら「共生」が自然に行われているなら、これほど取り上げられることもないからです。


 生野区にもそうした印象がありました。区の人口約15万人のうち4万5千人の在日韓国朝鮮人(以下「在日」)がいるにもかかわらず、地元の小学校のPTAの役員選挙で在日が選出されない、民族学級への差別や偏見、それらの人権問題に対する在日のグループと支援者の抗議活動等など、「共生」というイメージから遠い、そんな感じでした。
 しかし、時代は動いていました。大震災後のボランティア活動の多様化と普及、インターネットや携帯電話の急速な普及、そして、成長した在日社会の新しい世代が時代と共に歩みだしたのです。
 震災後に、生野の地域活動にも、従来の運動系の人々以外に、市民グループからのボランティア経験者や震災のボランティアを経験した地域の人が参加して、視点を変える役割を果たしましたし、インターネットや携帯の普及は、生野と他の地域や世界の情報を瞬時に交換することを可能にしました。そして、新しい世代の在日は1世・2世とは異なる発想で運動に関わり始めました。


 民族差別や偏見が強かった時代をすごしてきた1世・2世とその支援者が差別や偏見と闘うという方向性なら、3世くらいの世代はそうした動きを継承しつつ何か新たなものを模索した年代といえます。しかし、4世以上になると1世・2世が抱え、3世くらいにまで伝えられた「恨」(ハン:辛くやるせない感情)を断ち切るというのか、それだけじゃだめ、という発想や行動が見えることが多くなりました。
 一例として、「生野民族文化祭」は自分たちの文化やアイデンティテイーを取り戻す試みでしたし、日本の中で抑圧されてきた在日の心を表現する場でもありました。しかし、新しい世代はそうした表現方法とは別の祭りの必要性を主張しました。こうした声が大きくなり、新たな祭りの必要性を感じ取った人々が増え、去年、「生野民族文化祭」は20年の歴史に幕を下ろしました。
 また、去年は拉致問題から、民族学校の生徒たちへの嫌がらせや暴力が問題になりました。これらの問題の後に行われた生野人権集会で、被害者側から「暴力の連鎖は被害を受けた私たちも断たなければならない」「真の対話が必要」という発言がありました。従来なら抗議行動などこうした差別に反対一色だったはずが、被害にあっている側から、アパルトヘイト時代のネルソン・マンデラのような発言が出てくるのを目にして、新しい世代の取り組み方というのか、時代が変わったことを痛感しました。


 太陽政策、ワールドカップなど日韓の関係が以前に比べ友好的になったものの、差別や偏見は完全にはなくなりません。しかし、そうした厳しい現実があっても対立するだけではない、先に述べたのような発想で真の相互理解を求める動きが出るならば、日本人と在日の真の共生につながるのではないのか、そして、そのときにこそ新しい世代の在日の果たす役割は大きなものがあるのではないかと感じるのです。