ローマのイエズス会社会正義秘書局は、イエズス会の社会使徒職に関するニュースレター、「ヘッドライン」を、世界13ヶ国向けに10,700部発行しています。その中から、最近のニュースを随時、抜粋・要約してお届けします。全文は<www.sjweb.info/sjs>でもご覧になれます。
カンクン/WTO閣僚会議
 メキシコのカンクンで開かれたWTO(世界貿易機関)第5回閣僚会議は、2003年9月14日、決裂した。この会議には、開発のためのイエズス会国際ネットワーク(IJND)からイエズス会員の代表団が参加した。IJNDを含む多数の市民団体が署名した声明は、閣僚会議の公式決議を明確に拒絶して、こうのべている。「発展途上国が活発に提案した本質的な変革案は、全面的に無視されてきた。我々は改ざんされた閣僚宣言を拒否する」

キト(エクアドル)/地域統合と主権
 2003年7月、イエズス会員や他の修道会員、信徒が、ラテンアメリカのイエズス会社会使徒職が主催したセミナーに参加して、「もう一つの発展は可能だ、もう一つの統合も可能だ」というテーマで討論した。この会議が熱心に検討したのは、アメリカ大陸の34ヶ国8億人をカバーする、自由貿易市場を創出しようという地域統合の試みだ。南北アメリカ間のテクノロジーや資本・ノウハウのアンバランス、統合交渉の密室性、環境への影響や労働条件・社会政策・移民といった発展の基礎的要素の無視など、この統合計画は貧しい人にとってまったく受け入れがたいものとなっている。イエズス会員と協働者がなすべきことは、新たな、より一致団結したラテンアメリカを築くために貢献することであり、そのために新たな倫理の地平を視野に入れることである。
トロント/グローバル化と社会教説
 今日のグローバル化された世界に吹きあれる変革の嵐を、カトリックの社会教説は考慮に入れているだろうか? この新たな状況において、私たちがとっている立場はどれほど適切で、私たちの視野はどれほど広がっているだろうか? カナダのトロント大学のイエズス会神学院と、グェルフのイエズス会信仰と正義センターが開催した3日間の国際セミナーでは、26名の参加者(うち15名がイエズス会員、5名が女性)がこの問題について討議し、このテーマの研究に役立つ論文やケース・スタディをまとめて出版する計画を話し合った。

カイロ/人口、倫理、イスラム教
 一部の国々で人口が急増する一方で、他の国々では人口が減少しつつあるという、文化的・宗教的に複雑な今日の状況のもとで、私たちイエズス会員はどんな立場をとるべきか? 特にイスラム諸国に対して、私たちがとるべき倫理的態度とは何か? スタン・ドスーザ神父は国連の統計などを用いて、発展途上国の若い人々は、教育や雇用の問題は言うまでもなく、特にAIDSによって、深刻な危機にさらされている、と指摘する。一方で、きわめて低い成長率しか達成できない先進国は、年金システムの破綻や労働力の減少、高齢者のヘルスケアといった問題に直面せざるを得ない。これは、このほどイエズス会の社会正義秘書局と宗教間対話秘書局が共同で、エジプトのカイロで開催した国際セミナーでの講演である。
カイロ/人口、倫理、イスラム教

 一部の国々で人口が急増する一方で、他の国々では人口が減少しつつあるという、文化的・宗教的に複雑な今日の状況のもとで、私たちイエズス会員はどんな立場をとるべきか? 特にイスラム諸国に対して、私たちがとるべき倫理的態度とは何か? スタン・ドスーザ神父は国連の統計などを用いて、発展途上国の若い人々は、教育や雇用の問題は言うまでもなく、特にAIDSによって、深刻な危機にさらされている、と指摘する。一方で、きわめて低い成長率しか達成できない先進国は、年金システムの破綻や労働力の減少、高齢者のヘルスケアといった問題に直面せざるを得ない。これは、このほどイエズス会の社会正義秘書局と宗教間対話秘書局が共同で、エジプトのカイロで開催した国際セミナーでの講演である。

パリ/CERAS100周年
 パリに本拠を置くCERAS(社会活動・研究センター)が100周年を迎えた。10月の半ばから記念行事が行われ、過去を振り返り、未来を展望する試みが行われている。その一環として、丸一日かけて、小グループに分かれて今日の諸問題(民主主義の未来、社会と文化の異種交配、国際関係、連帯)について分析し、CERASの今後の方向性を打ち出そうという試みが行われた。「正義とキリスト教信仰」というパネル・ディスカッションで、記念行事は最高潮に達した。
教育とボランティア活動の実践(スペイン)
 ALBOAN(教育とボランティア活動)、ペドロ・アルペ人権研究所(ビルバオ、デウスト大学)、国際協力・開発研究所(ヘゴア)は共同プロジェクト「ギザ・ガラペーニャ体験交流」に参加している。その目的は、開発の実体験から学び、それらの体験を分析するための、ふさわしい方法論に到達することだ。