アンセルモ・マタイス(イエズス会)

編集者(柴田)の大学時代の恩師であり、上智大学で長年、社会問題の研究や実践に関わってきたマタイス神父が、先頃、来日50周年を祝った。社会正義の研究や、学生の第三世界への体験旅行の草分けであるマタイス師に、半世紀の歩みを語っていただいた。

 実は、最近来日50周年をお祝いしました。そこで、『大学使徒職と社会問題』の観点からこの50年という期間の総決算をしようとして、パソコンに向かっています。
 50年前と言いますと、第二バチカン公会議も話題にさえ出ていませんし、当然ながら、私自身の所属するイエズス会の使命の見直し等も手がつけられていない時代でした。
 にもかかわらず、私の心の中に、社会問題に対する関心と自覚がある程度まであったような気がいたします。それは両親と学校からの影響を受けたからです。

 母親から学んだのは、「人間は皆同じだ」という単純な問題意識だと思います。私の家庭は子どもの数が多いので、お手伝いさんに色々とお世話になっていたようです。そのお手伝いさんは、あまり教養のない、田舎から来られた若い女の子だったことを思い出します。時々、その女の子に対して私と兄は冗談でいじめたりしたこともあります。その時に限って、心の優しいはずのお母さんは怒り出して、「何をしているか? 人間は皆同じだということを忘れたのか?」と厳しく叱ったのです。60年以上経った今でも、「人間は皆同じだ」という母の言葉が心の中に響いているような気がいたします。その言葉は社会問題に対する私の意識の基礎となり、私の人生そのものを律することになりました。
 一方、父親から学んだことは、質素さと分かち合いの精神です。父は大学の教授で、あの当時にしては、ゆとりのある生活ができていたはずです。
しかし、自分から進んで、車を持つどころか、タクシーにさえも乗ったことがありませんでしたし、贅沢したところを我々兄弟は見たことがありませんでした。亡くなってから判ったのですが、父は、当時マドリッドの郊外にある貧しいスラム街に行って子どもに奨学金を送り、分かち合っていたようです。
 このようにして、家庭で身につけた価値観と言えば、「皆同じ人間だ」、「質素」、「分かち合い」だったと思います.それはまた、知識としてではなく、生き様としてです。この価値観は、あの当時から今日までの、自分の人生の方向性を決定し続けてくれたのです。
 学校教育は、家庭で学んだ価値観をさらに育ててくれたと思います。その証しの一つとして、自分自身の足で出向いて、スラム街に入り込んで、子どもに直接に教えて(というよりも分かち合って)小遣いを使って、教育用品をそろえた覚えがあります。

 さて、私にとって1975年は、忘れることができない決定的な年になりました。幾人かの学生がたまたま、私の所に来まして、その後26年にわたる期間で「移動合宿」という形で続けられることになる、ヨーロッパの旅行を提案してくれました。実は1回目の「移動合宿」で立ち寄ったインドの見学が、私の人生の転機になりました。既に何回もインドを訪れていた私ではありましたが、この時初めて、「本当」のインドを見てしまったような気がいたします。あの当時お付き合いした人たちは、諸大学の超エリート階級の大学生だけだったのです。それまではインド人なら、皆英語ができるし、教養のある方々だけだと誤解していました。

その時、いわゆる本当のインド、「裏のインド」、貧困のどん底に住んでいる大多数のインド人の生き方を見てしまったと言っても過言ではありません。インドを見学してから、学生と一緒にヨーロッパに渡りました。
 帰国してから、数名の学生と一緒に、インドの経験を生かして、何とかしなければならないと決意したのです。その時、誕生したのが「めぐこ」です。正式には「恵まれない子供たちに愛の手を!」の会で、後に「めぐこ」という愛称で呼ぶようになったのです(現在は「めぐこ-“南”の子どもたちの自立を支える会」)。知らないうちに援助者が増えて、募金も増えました。フィリピンとインドの子どもに援助して、学校に行けない子どもたちが学校に行けるように奨学金を作ったのです。学生と一緒に援助の仕方を色々と検討いたしました。

 まず「目に見える援助」を試みたい。したがって、お金を集めて、海外に送金するだけの会にしたくありませんでした。そこで、我々の方から、毎年フィリピンとインドを交互に実費で訪れて、子どもに会って、一緒に踊ったり、遊んだりするなど、信頼できる現地のNGOの方々と組んで教育の企画をしたりいたしました。初めから一方通行の援助ではなく、お互いにあげたり貰ったりする相互援助の仕方を探ったのです。確かに我々の方から、援助者からの寄付を通してお手伝させていただくのですが、同時に貧しい人々からも一杯貰うのです。我々自身の生き方の見直しはその中の一つです。困っている人がいれば、贅沢が許されないはずです。質素な生活は一番人間の肌に合うはずです。「分かち合い」「共生」「心の通じ合い」「協力」「人間仲間」などは、お互いに共通の言葉と理念となりました。未来型の地球的な視野にならない限り、世の中は救われません。

 フィリピンとインドの旅行は「体験学習」と呼んでいました。今日の教育はあまりにも「学習」に偏りすぎていませんか? 教育が頭のレベルにとどまる限り、身につかないのです。もちろん「体験」ばかりして、勉強と反省を加えないとすれば、長持ちしません。第三世界に行く旅は、およそ1ヶ月だったのです。毎日夜、皆集まって、1日の体験を分かち合う集いを持ちました。学校なら学校を見て、感じたことを分かち合って、その意味を問い掛けるのです。私に言わせるとすれば、「本物」の勉強を皆でしたと思います。
 懐かしく思い出しますが、旅行に参加したい学生の面接をいたしました。参加の条件を三つ作りました。第一は、食事など好き嫌いがあってはなりません。第二に、汚れに対して鈍感であること。第三に、病気になることを覚悟しなければなりません。以上の三つです。この25年間、1人を除いて、全員が三つの条件を受け入れ参加したと報告することができるのは、嬉しい限りです。
 話は尽きませんが、もう一つ語らせていただきますと、初めから、援助者からいただく貴重なお金をそのまま南の子どもたちに役立たせたいと思ったのです。したがって、事務所を借りず先生の研究室を使う。仕事などは全部学生にやってもらう。アルバイト料なし、全部ボランティアです。懐かしく思い出すのですが、専門家がいないので、正確な収支決算を作るのは、大変なことでした。良く言えば、純粋ということになりますが、無責任と言えば無責任と言えないことはないと思われます。おかげで段々立派な決算表ができることになりました。
 「体験学習」に参加された学生諸君は300人以上いると思います。文字通り世界中に散らばっています。直接、第三世界の開発に携わっている人もいますし、「人間仲間」意識を持って生きようとする人は大勢いると思います。実は、1999年に上智大学を退職した時に、神様がPuthenkalam神父を後継ぎとして用意してくださったことは、神様のおんはからいにほかならないと確信しています。
 「めぐこ」には「社会人会」もでき、社会人も参加しています。スローガンとして掲げましたのは、「死ぬまでめぐこ」だったのですが、響きは良くないということで、「ずっとめぐこ」ということになりました。「めぐこ」万歳!

 私は「めぐこ」の他に、長年、社会正義研究所の仕事もやっていました。社会正義研究所が上智大学に設立されたのは、1981年でした。ちょうどイエズス会の新しい方針「信仰の奉仕と正義の促進」(32総会、第4教令)の象徴として設立されたのです。
 「社会正義」という呼称は当時の日本では聞きなれない言葉でありましたが、いつかは定着するだろうと時代を先取りしたネーミングでありました。研究所の主な活動の柱は、国内および第三世界における社会正義促進に資する研究・教育・実践活動の三つと言えます。発足の直接の契機となったのは、上智大学が1979年にインドシナ難民の支援活動に全学的に携わろうとした当時の、ピタウ学長(現在バチカンのカトリック学校教育局長)の強い意思決定でした。すなわち、タイ北東部のサケオ・キャンプやカオイダン・キャンプに逃れてきたカンボジア難民、とくに幼い難民の子どもたちと一緒に遊んであげるボランティアの学生や教職員が、交代しながら懸命に支援の輪を全学的に広め、延べ180名もの方々が難民の人々と痛みを分かち合う体験があったのです。この経験を生かして、上智大学は今後、長期的に世界の正義の促進に寄与していくべく社会正義研究所を設立したわけです。私は、発足の1981年から1993年まで所長を務めました。
 振り返ってみますと、まず研究活動では、正義の促進に関わる国際シンポジウムを毎年開催しました。国際シンポジウムでは「国際相互依存時代における人間尊重」(グローバル・エジュケーション協会のミッシェ夫妻ほか)、「アジアにおける開発と正義」(鶴見和子氏ほか)、「解放の神学」(解放の神学者G・グティエレス神父、A・ピエリス神父ほか)、「世界の難民と人権」(緒方貞子、イエズス会難民サービス<JRS>代表D・ショルツ神父ほか)、「平和の挑戦」(米国のCenter of ConcernのP.ヘンリオット神父ほか)、「イエズス会の教育の特徴教育」(J・Y・カルベ神父ほか)などをテーマにして開催し、国内外の専門家を招き、多角的な面から正義と平和の諸条件を展望しました。これらは報告書として公刊され、正義の促進に資する大学教育の補助的教材にも活用されてきました。
 教育活動(講演会や授業ですが)においては、忘れることができない思い出があります。今年の10月19日に列福されたマザー・テレサを三度、上智大学にお招きする機会に恵まれ、マザー・テレサはそこで多くの学生と対話することができました。
「愛の反対は隣人への無関心です」、「貧しい人々の中でも最も貧しい人々への愛は無償です」、「家庭からその愛は始まります」、「生命を尊重し、育みましょう」と、マザー・テレサの有言実行のこうした言葉に、若い学生諸君たちは深い感動を受けたことでしょう。また、冷戦下のポーランドの労働運動『連帯』指導者ワレサ委員長も来校し、真の労働の尊厳と連帯する労働者が悪しき権力に対して不屈の精神で闘った、そのメッセージを多くに学生に伝えました。社会正義研究所はいずれも小冊子にまとめ、教職員1人ひとりに配布しました。
 実践活動では1981年からアフリカ難民実情現地調査を実施して、ボランティアの学生とともにソマリア、スーダン、ケニア、エチオピア、タンザニアに赴き、苦境にある難民キャンプを訪問し、研究所の下部組織である「世界の貧しい人々に愛の手を」の会の募金活動を通して、緊急および自立復興のためのプロジェクト(援助金は食料、医療、HIV/AIDS治療、井戸掘り、施設の建設、学校作り、奨学金など教育活動、難民・国内避難民の緊急復興・自立化等)をささやかながら今日まで継続しています。アジア・アフリカの現場ではイエズス会難民サービス(JRS)などと緊密にネットワークを広げながら、貧しい人々を優先する選択の課題に研究所はこれまで挑んできました。現在も今まで以上に活動されていることは大変心強い限りです。上智大学の建学の精神であるキリスト教ヒューマニズムにそって、正義と愛に向かう教育を受けて、1人でも多くの卒業生が複雑な現代社会の中で「人間仲間意識」を実践していけるようにお祈りいたします。
 ついでながら、結びとして申し上げますと、私は1999年、上智大学を退職いたしました。その後すぐに、縁があって、京都にある聖母女学院短期大学の学長になりました。嘘のようですが、4年間の1期目を終えて、また再選されて2期目の1年目入っています。学生に盛んに話しているのは、マザーテレサの言葉です。「皆VIPなのです。見捨てられた子どもであっても、路上に倒れたままにおいていかれた老人であっても、皆大切な人間です。何時でも喜びをもたらす人間になりましょう。家庭においても、学校においても、お互いに挨拶を交わしましょう。挨拶の交わされる共同体は健全な共同体であり、神様がそこにおいでになります」
 このようにして、ある程度まで、一貫した理念と心を通してきたような気がいたします。これから、いつでもお迎えが来れば、微笑みながらお迎えを受け入れようと思っています。