<なにわだより番外編2>
地域活動と日韓関係・南北問題
阿部 慶太(フランシスコ会)
 
日韓関係と地域活動

 大阪生野の地域活動(在日韓国朝鮮人のための識字活動)に関わり始めたのは、釜ケ崎の施設で働いていた1995年のことでした。その頃は、日本と韓国との関係も「太陽政策」が出る前で、日韓ワールドカップ開催も決まる前でしたから、地域活動に関わる際にも日本と韓国の戦後処理の問題だとか、民族差別の問題などをどこかで意識した面が、活動に参加している人々や在日韓国朝鮮人社会の中にも反映されていたように思います。
 そのため、人権関係の活動などでは、国や行政に対して訴えるという、対日本という対立の立場や、支援者と共に闘うといった色彩が現在よりも強く出ていたと思います。こうした点から、何かの活動に参加する際に、こうした重さを感じてしまう日本人は参加しにくい面がありました。
 また、先に触れた日本と韓国の関係が地域活動に与える影響を感じたのは、1995年に韓国へ研修に行ったときのことでした。その頃は、旧朝鮮総督府の取り壊しや戦後50年が経過するのに、まだ行われていない補償や謝罪といったことが韓国内でも盛んに報道され、日本では報道されていなかったような内容もあるのだな、と感じながら日本に帰ると、韓国で報道されていたのと同じ戦後補償に関する集会の案内が生野区内に掲示されている、というように韓国とリトル・コリアといわれる大阪生野が連動してるな、という印象を受けました。


南北対話の影響

 韓国との関係では、2000年に南北首脳会議が行われた際に民団と総連による交流も行われたことから、在日韓国人1世・2世のオモニハッキョに在日朝鮮人のオモニ達が学びに来るようになったなど、国と国の間の関係が少し変わっただけで、こうした変化があるものだということと、国籍は違うものの同じ日本に住む者どうしのため国内では交流が出来るのだ、ということを感じました。
拉致問題がこうしたことに水をさしたばかりか、日本人による在日朝鮮人へのいじめなど、弱い立場の人が傷つくということもありましたが、本国より日本の在日どうしがボランティアなどで交流が続いているため、こうした積み重ねがいつか大きな力になることも考えられると思いました。


運動の変化と「時のしるし」

 日韓関係や南北の問題が、生野の地域活動にも影響を与えていると感じたことについて書きましたが、全体的に私が関わり始めた時と現在での大きな変化としては、対立から対話へ、という方向性だと思います。韓国が太陽政策を打ちだし、日本とどのように協力できるのか、といった路線で日韓交流年の実施やワールドカップの共同開催が決まると、在日韓国朝鮮人のための各地域活動も活動に参加している人や支援者ばかりでなく、それ以外の層にも分かり易く入りやすい企画や交流イベントを行うようになり、そこから活動にも参加する人も出てきました。また、介護を受ける年代になった在日1世・2世が増え、介護保険制度がスタートしたのも重なって運動関係以外の若いボランティアも多くなりました。いずれにしても、地域活動に関わる中で目にしたこうした変化が、キリスト教でいう「時のしるし」だったのだと感じています。