小山 英之(イエズス会司祭)

以下は、2003年6月25日に聖イグナチオ教会のメルキゼデクの会で話したものの要約である
 ガルトゥングというノルウェーの平和学者は、人間あるいは人間集団の、身体的あるいは精神的な自己実現の現状が、その人たちの潜在可能性以下に抑えられるような影響を受けているならば、そこに暴力が存在する、と述べている。ガルトゥングは、実際の武器の使用による暴力の他に、社会の仕組みに結びついた暴力を「構造的暴力」と呼んだ。ガルトゥングは、人為的暴力の不在を消極的平和とし、構造的暴力の不在を積極的平和としたが、平和な社会の実現のためには、武器の使用をこの世界から無くすだけでなく、構造的暴力を除去しなければならないわけである。IRAのような武装勢力がなぜ、怒りに限度が来て武装闘争に走らなければならなかったかという原因を深く究明しなければならないのである。しかし、構造的暴力-政治的、経済的、文化的(宗教的)を除去すれば、紛争は終結するのか。民族紛争の難しさは、パレスチナ人の経験してきた不正をイスラエル人が認められないといった、一方の経験してきた構造的暴力を他方が認められないというように主観的要素が深く関わっていることである。
 この数年北アイルランドの平和のプロセスは、停滞しているとは言え、この9年間ほどの間に、IRAは停戦し、主な政党は、平和解決のための合意に同意するなど、大きな進展を見せてきた。

北アイルランド紛争
 北アイルランド紛争の詳しい歴史的な背景を説明するスペースはないので、紛争の根は17世紀のイギリスによるアイルランドの北のアルスターという地域の植民にあるとだけ言っておく。植民が行われたのは、イギリスでカトリック教会のイギリス化(英国国教会)、カルビン派による宗教改革の起こった後であったので、入植者はプロテスタント、もともとその土地に住んでいた人々はカトリックという図式が出来上がり、カトリックは長年、第二級の市民として差別されてきた。
現在の紛争が始まったのは、1969年であり、不正な選挙制度、就職における差別、劣悪な住宅状態など、二級の市民としての地位に満足しきれなくなったカトリック市民が、アメリカのマルティン・ルター・キング牧師の指導する公民権運動に力づけられて始めた抗議運動―差別撤廃を求める運動が、北アイルランドは、イギリスかアイルランドかといった国のアイデンティティーについての争いを含んだ紛争にエスカレートしてしまったものである
 紛争が起き、今日まで続いてきた理由は集団によって異なる。ナショナリストが争う理由は、彼らの従属的な政治的、経済的な地位、あるいはアイルランド統一への願望であり(政治的、経済的)、ユニオニストにとっては、主として南のアイルランド共和国に吸収されてしまうのではないかという恐れである(心理的)。ユニオニストの中でも、極端なプロテスタント教会の指導者であり、政党の党首でもある、イアン・ペイズリーとその支持者にとっては、宗教的な理由が大きな位置を占める(宗教的)。彼らは、闘争をキリストと反キリストとのものと考え、プロテスタントの宗教を擁護し、ローマの教会の誤った教義に強く反対する。イアン・ペイズリー派のプロテスタントにとっては、宗教が紛争の第1義的原因と言えるが、その他の特にカトリックの人々にとっては、政治、経済的な要素が第一義的原因である。しかし、宗教が紛争の第一義的原因ではないとは言え、カトリック教会に責任がないということではない。

カトリック教会の北アイルランド紛争に対するネガティヴな影響

①武装勢力との距離
 構造的暴力の除去に努めるより、カトリック教会のメッセージの中心は暴力に対する非難であった。

コルム・ドホティは、1968年以降の北アイルランドにおける暴力に対して、教会の支配層から発表された言明の最も明確な特徴は、激しい非難であり、性格として、反応的であり、暴力の原因の分析や熟考にはほとんど注意が払われてこなかったと述べている

②プロテスタントの人々からの距離
 怒りに限度が来て、暴力手段に訴えなければならなかった人々のカトリック教会からの疎外が一つの側面であるならば、アイリッシュ・ナショナリズム、すなわち、カトリック教会のプロテスタントの人々からの疎外、司祭が、カトリックコミュニティーの中にあって従軍司祭のようになってしまっていることがもう一つの側面である。
 19世紀になると、産業の不振によってアイルランドの中産階級の人々も、ダニエル・オコネルの指導によってイギリスによるカトリック差別撤廃闘争を展開するようになった。アイルランドにおける暴力によらないダニエル・オコネルの指導によるカトリックの差別撤廃闘争をカトリック教会は支持をし、カトリック教会は、解放闘争をアイルランドの地方の果てまで遂行する権威を持った唯一の制度となった。その結果、カトリシズムは、アイリッシュ・ナショナリズムの政治的な目的と関係付けられることになった。こうした、カトリシズムとアイリッシュ・ナショナリズムの組み合わせは、排他的な「アイルランド」や「アイルランド人であること」の理解を生み出すことになった。デイヴィッド・スティーブンソンによれば、「アイルランド人であることとカトリシズムの特別な結合によって、プロテスタントのアイルランド人は問題のあるもの、少なくとも二級の市民となりました。北のプロテスタントの人々は抵抗し、これからも抵抗を続けます」
 このようにカトリシズムはアイリッシュ・ナショナリズムと同義であるとみなされるようになったが、それは、歴史的なつながりのためだけではなく、カトリック教会がそのコミュニティーで果たす役割のためでもある。ダンカン・モロー他によれば、教会は、人々の価値観が受け継がれ、友人が作られといった具合に、生活経験が、伝えられ、形成され、さらに直接の影響を受ける場所である。人々のアイデンティティーは、今でも教派によって形成されている。
友情、結婚、住居と学校は、確固として教派と関係付けられている。結局、教会は、「私たち」に属するか、「彼ら」に属するかというアイデンティティーにとって不可欠のものであり、北アイルランドの生活のほとんどを支配している。カトリック教会は、コミュニティーのアイデンティティーとコミュニティー生活の両方において、中心に位置する。警察やイギリス軍による嫌がらせ、差別の申し立てなどにおいてカトリック教会が仲裁するのは普通のことである。
 しかし、そうした援助と司牧的気づかいの中には、部族の従軍司祭(a tribal chaplain)になる、あるいはそう見られる重大な危険が潜んでいる。土着のアイルランド人と入植者という具合に、二つの対立する部族のイメージが、北アイルランド紛争を叙述するのに使われてきた。紛争が人々のアイデンティティーの一部になっているような状況では、一方のアイデンティティーの中から話すので、もう一方の側の人々を抱擁することはほとんど不可能になる。中立な宗教的な指導者である代わりに、カトリック教会は自分のコミュニティー部族のスポークスマンになってしまっている。セシリア・クレグとジョゼフ・リヒティは、IRAの男が、自分の足元に倒れた警察官の頭に弾丸を打ち込む間に、何もできずに立ち尽くすカトリック司祭について話している

カトリック教会の北アイルランド紛争解決のための積極的な貢献
 カトリック教会が平和のプロセスにおいて積極的な役割を果たすためには、一方では武装集団との間に、他方では、プロテスタントの人々との間に関係作りと対話を促進する必要がある。

①ベルファストのクロノー修道院のレデンプトール会士
 北アイルランドの平和を達成するプロセスにおいて最も重要なそして困難な仕事は、IRAによる暴力を止めさせ、彼らを民主主義のプロセスに入るように勧め、さらに穏健なナショナリストであるSDLPとの橋渡しをし、カトリック教会の支配層、アイルランド政府とイギリス政府に彼らが真摯に平和を求めていると説得することであった。

そのためにベルファストのレデンプトール会のクロノー修道院(Clonard Monastery)のアレクス・リ―ド神父、ジェリー・レノルズ神父が、大きな貢献をしたことは今では多くに人に知られた事実であるが、彼らにとって鍵になる要因は、「対話と関係作り」である。彼らは、IRAの兵士たちを同じ人間として受け入れ、関係作りをした。彼らを簡単に裁くことなく、なぜ暴力手段をとらなければならないのかと彼らの心理を深く究明したのであった。
 経済的に繁栄し、自分の生活にしか関心のない現代のアイルランド、イギリスのほとんどの人々にとって、なかなか武装解除しないIRAの態度は、頑固で、利己的で、ばかげていると見える。もっと辛らつな批評家は、IRAは暴力手段を使ったから、あるいは、少なくとも暴力手段の利用を支持したから、人間としての権利を喪失してしまっていると感じるかもしれない。そうした観点は、彼らの人間性を失わせ、彼らは、人を殺すという、究極的に非人間的な手段で応じることになる。レデンプトール会士は人々に教え込もうとするのは、逆効果であることを肌で感じていた。レデンプトール会士たちは、IRAを同じ人間として受け入れ、対抗者より劣ったものと感じないように努めた。なぜなら、北アイルランド紛争は、単なる政治的な問題ではなく、もっと深い人間に関わる問題であることを知っていたからである

②ポートダウンにおけるイエズス会士
 ポートダウンは、アーマー県の町であり、反カトリックの極端なプロテスタンティズムの勢力が強く、北アイルランドで最も分離した町と広く認められており、カトリックの人々はマイノリティーとして苦しんできた。イエズス会士(3―5人)は、1980年以来労働者のカトリックと同じ場所(チャーチルパーク)に住み、コミュニティーの開発とプロテスタントの人々との橋渡しに献身した。
【コミュニティーの開発・エンパワーメント】
 チャーチルパークの住宅地は、イエズス会士が住むようになった時には、スラムのようで、家は空っぽで、酒飲みのクラブのようであった。コミュニティーのリーダーであるジム・ボシーは語る。「私たちは、新婚のカップルとしてここに引っ越してきました。多くの人々は酒を飲みすぎ、銃声も聞こえることも稀ではありませんでした。大変気がめいるもので、私の妻は、もう少しでノイローゼになるところでした」。イエズス会士たちは、彼らの間で生活し、彼らがどのように生活を整え、自分たちで責任を取り、もっと自尊心を持つよう教え導いていったのである。
 イエズス会士は、聖公会の信徒で、住宅行政部の職員と良い関係を築き、その結果住宅の質は向上した。
 ポートダウン全体は、比較的繁栄しているかもしれないが、「カトリック」のポートダウンは決して豊かとは言えない。イエズス会士が住む地域は、大変貧しく、約73%の人々は、失業している。このために、イエズス会士は、地域の信徒と共に協同組合を始める援助をした。1993年には、協同組合は、コミュニティーセンターを建設した。これは、イエズス会が土地を売ることによって得た資金でできた、アイルランドのイエズス会連帯基金からの寄付で可能になったものである。センターでは、老若男女のためのさまざまの会合が開かれ、ほとんど毎晩、ボランティアのチームが、70人から150人の子供たちを世話している。子供たちは、読み書きや、自信を高めることや、将来の就職のための訓練などさまざまな配慮を必要としている。こうして、未だに犠牲者としてのコンプレックスをもっているにしても、カトリックの人々の多くは、自信と、自尊心において成長し、今やプロテスタントのコミュニティーと関係作りのできる用意ができている。
 しかしながら、プロテスタントコミュニティー内の開発は、カトリック側ほど向上していないのが実情である。プロテスタントコミュニティーの中にも、わずかな比率ではあるが、貧しい人々がおり、彼らも苦しんできた。さらに、大部分のプロテスタントの人々は、カトリックの人々ほど社会、経済的な差別を受けてこなかったものの、不安定な心理状態にあるのである。彼らは、多くのカトリックの人々が理解する以上に力と地位を失ってきた。結果として、自分たちのアイデンティティーが完全に壊されてしまうのではないかと恐れているのである。北アイルランドでは、カトリックがマイノリティーであるが、全アイルランドでは、プロテスタントがマイノリティーである。


【橋渡し】
 コミュニティーの開発は、他のコミュニティーとの関わりへと導く発展的なプロセスとして肯定されるべきものである。しかし、ポートダウンでは橋渡しの仕事は、常に困難であった。接触の欠如のために、両方の側に莫大な量の偏見と誤解が存在するのである。イギリス政府は、コミュニティー間の関係の問題は、早い時期から、政府や、立法の範囲を超える問題であることを指摘していた。北アイルランドの国務大臣であった、ウイリアム・ホワイトローは、1972年に次のように言明した。

 どんな政府の計画も、どんなに注意深くなされたにしても、進歩のための機会を提示することができるに過ぎない。共に働き、生活する能力が育っていかなければならないのは、政府の意図や、議会の制定法の言葉においてだけではなく、北アイルランドの人々の心と精神においてである
 コミュニティー間に関係を築いていくプロセスは政治家だけでなく、分裂したコミュニティーのすべての人々が従事しなければならないものである。幾多のことが試みられた。隔月の異なる教派の聖職者の集い、暴力の犠牲になった家族を異なる教派の聖職者が一緒に訪問する、歴史についての会議、町の中心でのプロテスタントとカトリックの若者によるレース、異なる教派の、南北のアイルランドからの男女によって創作されたイエスの受難劇の上演、個人的な関係作りなど。1995年の夏前には、聖公会の教会の主任司祭は、ポートダウンは人々が草の根レヴェルで何ができるかのモデルになりつつあるとして、次のように述べていた。「もし政治家たちが北アイルランドの問題に創造的な解決を創り出す勇気が欲しければ、地域のコミュニティーの現場で起こっていることを見なければなりません。そして、ポートダウンがそのモデルになるでしょう」

【ポートダウンのオレンジパレード】
オレンジ党の目的は、プロテスタントの理想を奨励し、彼らが致命的な誤謬にあると信じる、ローマ・カトリック教会の支配に反対することである。ここで問題になっているのは、住民の大部分がカトリックの地域を通る権利がオレンジ党にあるかについてである。パレードに関しての争いは、カトリックにとっては、平等の市民権を求めるためのものであり、オレンジ党にとっては、主として文化的なこと:彼らの文化的伝統が取り上げられてしまうのではないかという恐れが原因である。イエズス会士が、この問題に1995から1997年にかけて深く関与し、ナショナリスト側に完全につくことによって、紛争は激しくなってしまった。教会は、平和のプロセスにおいて貢献するためには中立な立場をできる限り守る必要がある。教会は、ゼロサムのゲームに身を置くべきではない。
③エキュメニカルコミュニティー、統合教育
 北アイルランドには、コリミラコミュニティー、コーナーストーンコミュニティーなど、プロテスタントとカトリックの人々が一緒に共同生活をするコミュニティーがある。またプロテスタントとカトリックの生徒が一緒に学ぶ統合教育の学校も1981年に始まり、1998年には、43校となり、毎年増加傾向にある。
北アイルランドのような分割された社会では、人々がどのコミュニティーに属するかによってものの見方が違ってくる。中流階級のユニオニストの大部分の人々にとっては、北アイルランド紛争の問題は、IRAが存在することである。彼らは、ナショナリストの大部分が経験してきた苦しみを理解できない。RUCは、大部分のユニオニストにとって、ヨーロッパで最もすぐれた警察であるが、シン・フェイン党の支持者にとっては、解体するしか道はないと考えられている。積極的平和を築くためには、武器の使用をなくすだけではなく、構造的暴力を除去しなければならないというガルトゥングの考えを紹介したが、南アフリカのアパルトヘイト、南米の富裕層/貧困層のように構造的暴力の存在が明白な状況と違い、北アイルランド紛争のような民族紛争では、貧しいカトリック住民の解放といった単純な図式によってでは容易に解決されない難しさがある。何が構造的暴力か(政治的、経済的、文化的)という認識には、主観的な要素も大きいのである。
 デイヴィッド・ブルームフィールドは、紛争の根は、しばしば、紛争当事者の主観的な関係にあり、紛争の変容は、紛争当事者の紛争についての知覚と、互いに対する知覚の変容によってのみ可能になると主張する。感じ方や、知覚が分かち合われ、認められなければならず、相互の信頼と理解が発達しなければならないのである。こうした状況にあって、プロテスタントとカトリックの人々が一緒に生活することの価値は、莫大である。エキュメニカルコミュニティーや統合教育のようなプログラムは、共感と、宗教的、政治的な一致への強い切望感を養ってきた。共感は、他者の視点から物事を見ることを可能にしてくれる。

④和解と赦し
 和解とは、関係を断ち切ってしまって、不和状態にあって、お互いもはや話し合うこともしない個人や集団間の仲たがいの終結、シャローム、コミュニケーションと交わり、コイノニアの回復を意味する
 北アイルランドにおける和解の体験のよく語られる例は、ゴードン・ウイルソンについてである。娘のマリーは1987年11月8日にエニスキレンの爆破でIRAによって殺された。病院で彼の娘が病院で息を引き取った晩、BBCのインタヴューに応えている。

マリーは私の手を固く握り、私をできる限り硬くつかんで、「お父さん、愛しているよ」と言いました。それが、娘の私に対する最後のことばでした。私は悪意も恨みも抱きません。ののしったところで娘の命が戻ってくるわけではありません。どうか、どうして、とは聞かないでください。目的などありませんし、答えもありません。ただ分かっていることは、計画がなければならないということです。そのように考えなければ、自殺してしまいます。より大きな計画の一部なのです。神は善いお方だからです。私たちは、またいずれ再会します。

ロイヤリストの武装集団は、エニスキレンの爆破の数時間後に報復を計画していたけれども、この放送を見て取りやめたと後で認めている
1996年のポートダウンのパレードをめぐる争いの激化に伴って、ただカトリックであると言うだけで7月8日に殺された、クイーンズ大学を卒業したばかりで、妻子を養うためにタクシードライバーをしていた息子の父、マイケル・マコゴルドリックは、次のように述べている。「自分の子供が地面に倒れるのを見ることほどひどいことはありません。私は、テレビのリポーターにマイケルの命を誰が奪ったにしても、その人を赦しますと言いました。私は今でも彼らを赦します」
こうした赦しを強制することはできないが、構造的暴力を除去する、社会的公正のための働きに加えてこのような和解の精神があったからこそ平和のプロセスは、ずっと進展してきたのである。
北アイルランド紛争と教会

 民族紛争の紛争の解決のためには、どのような構造的暴力(政治的、経済的、文化的)があるのかを分析し、そのために苦しむ人々の叫びに共感することがまず必要である。いろいろな構造的暴力は除去されてきた。しかしそれだけでは、一方の側について他の集団と闘うということになってしまうので、もう一つ大事なことは、他者の視点で物事を見ることである。
 そうしことができれば、教会としてのキリスト教は、人々を異なるコミュニティーに分割して、教派主義を強めることになってしまうことがあっても、他者(自分たちの武装勢力、他の民族集団)に対する尊敬、理解と寛容、赦しの精神に基づく平和の文化を広めてゆくことによって共生を促すことができるのである。