柴田幸範(イエズス会社会司牧センター)

12歳の少年による幼児殺害、中年男性による小学生の少女4人の監禁、相次ぐ若者同士の集団自殺と、子どもたちをめぐる事件が続発しています。政府は、少年法の改正・厳罰化や道徳教育の強化で対応しようとしています。しかし、それで本当に、子どもたちを覆っている「闇」は晴れるのでしょうか。当センターに届く雑誌から、子どもたちの問題と向き合うヒントを探してみようと思います。
生きにくい子どもたち
 子どもたちをめぐる状況は、ずいぶん変わっています。私には14歳と11歳の子どもがいますが、自分の子ども時代(30年前)とくらべても、今の子どもたちは何と生きにくいのだろうと感じます。雑誌『世界』(岩波書店)は今年の1月号から「こどもたちのライフハザード」(瀧井宏臣)というルポを連載しています。現代の子どもたちの体と心に今、何が起きているかを丹念に取材し、子どもたちの生きにくさの原因、子どもたちを問題行動に駆り立てるものの正体を明らかにしようとしています。内容を簡単にご紹介します。
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 第1~3回は、子どもたちの体をめぐる問題を取り上げています。最初は、アトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患の増加(「ホモ・アトピンスのこどもたち」1月号)。2000年に行われたある調査では、大学生95人中85人(90%)がアレルギー体質だったそうです。東京都が1999年に3歳児を対象に行った調査でも、42%が何らかのアレルギー性疾患にかかっているという結果が出ました。原因は二つ。一つは抗生物質の日常的な投与で、免疫バランスが崩れていること。もう一つは、生活スタイルの変化で、アレルギーの原因物質が急増したこと(食生活の欧米化による食物アレルギー、住宅の密閉化によるダニアレルギー、化学物質の増加によるアレルギーなど)。アレルギーの増加はまさに、現代的な生活スタイルの反映なのです。
 第2回は子どもたちの身体機能の低下です(「体温異常という危険信号」2月号)。岡山県のある保育園が、元気がない園児か増えた原因を探ろうと体温を調べたところ、全体の3割の体温に異常があったそうです。一方、文部科学省の調査では、子どもたちの体格は向上する一方、体力は90年代から低下しています。特に深刻なのが背筋力です。将来の育児や親の介護に必要な背筋力どころか、自分の体重を支えることさえできないほど、背筋力が低下している子どももいるのです。こうした身体機能低下の原因は①睡眠・食事・排便などの生活習慣の乱れ、②運動不足、③外に出ないため、自律神経の機能が低下している-などです。これらは結局、親自身の生活の乱れが原因です。
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 三つ目は、糖尿病の増加です(「しのびよる生活習慣病」3月号)。従来、糖尿病や高血圧、高コレステロールなどの生活習慣病は、大人の病気とされてきましたが、最近、子どもにも急激に増加しています。原因は食生活の偏りと運動不足です。それは結局、親が子どもの生活に十分気を配らず、好きなものだけ食べさせたり、テレビやテレビゲームを好き放題に与えるからです。ここでもまた、親が子どもの世話に手をかけなくなったツケがまわっていると言えます。
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 そして、いよいよ子どもたちの心の闇に迫ります。まずは、増加する「学級崩壊」です(「学級崩壊の芽、こころの闇」4月号)。生徒たちが授業に参加しようとせず勝手に行動するために、クラスが機能しなくなる、いわゆる「学級崩壊」は90年代に激増しました。従来は、思春期が早まって小学校高学年から始まるようになったため、教師が対応できないケースがほとんどでしたが、最近では小学校1年生に「学級未形成」ともいうべき現象が起こっています。幼児期に、多様な人間関係の中で他者との関係性を学ぶ機会を持たなかった子どもたちが、小学校に入ってパニックを起こしているのだというのです。子どもたちがすぐに「キレる」現象の根は、まさにこにあります。これは、小学校だけの責任ではなく、むしろ、父親不在家庭、少子化や核家族化、地域共同体の崩壊など、社会全体の変化が根底にあるのです。
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 こうした子どもたちの心理的発育不全は、脳の発達不全によるのではないか、という研究があります(「脳科学は警告する」5月号)。人間の脳にはアクセルとブレーキがあり、発達の過程で両者をバランスよく機能させることを覚えるといいます。ところが、最近の子どもはこの発達が遅れたり、場合によっては未発達な状態に逆戻りしているというのです。その原因は、集団での遊び(群れ遊び)が少なくなったことだと言われています。逆に、群れ遊びをさせることで、脳のアクセルとブレーキの発達がよくなったという実験もあります。子どもたちの脳が自然に発達することさえ難しいのが、今の日本社会のようです。
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 子どもの発達不全は、母子のコミュニケーション不足から来ているという研究もあります(「ゆらぐ母子の絆」6月号)。母子の愛着に満ちた関係は子どもの社会適応の基礎であり、それが十分でなければ、子どもに問題行動が増えるというのです。なぜ母子に愛着が育たないか。▲出産形態の変化(病院出産)や育児用品の発達(ほ乳瓶、紙おむつ、ベビーカー、ベビーベッド)によるスキンシップの減少、▲核家族化によって育児が母親だけに任され、心理的な苦痛となってしまったこと、▲母親自身が幼児期に放任や虐待を受け、愛着を形成できなかったこと-などがあげられます。もちろん、父親の不在が問題を深刻にしていることは言うまでもありません。このような愛着不足を補うのが、一部の幼稚園で行われている「じゃれつきあそび」です。先生が園児とじゃれ合うことで、子どもたちに活力が戻り、脳の発達も進むというのです。じゃれ合いは本来なら、家庭で行われるべきことなのですが…
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 すでに何度か出てきたように、子どもが遊ばなくなったことが、身心の発達に重大な影響を及ぼしています(「誰が遊びを奪ったか」7月号)。子どもたちから遊ぶ空間、遊ぶ時間、遊ぶ仲間が失われています。しつけや道徳教育も大切でしょうが、子どもは仲間と遊ぶ中で育つというのは、誰でも経験することです。せっかく学校が週5日になっても、休みの過ごし方まで学校に指導されてはたまらないでしょう。大人がすべきことは、子どもに遊ぶ空間と時間と仲間を返して、自由に遊ばせることなのです。
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 IT時代に生きる子どもの問題があります(「テレビ漬けという虐待」8月号)。忙しくてテレビに子守をさせていると、自閉症に似た症状が現れるという調査があります。テレビゲームや携帯電話にかかりっきりになると、やはり対人関係に関わる脳機能が低下するという調査もあります。自閉症そのものは脳障害によるものと言われており、回復は困難ですが、テレビなどによる「疑似」自閉症は、テレビを消して人とのコミュニケーションを増やせば回復するそうです。
アメリカでは"TV-Turnoff Network"という市民グループが生まれており、日本でもノーテレビ運動が始まっています。テレビなしで過ごす時間は、家族のきずなを強めるようです。
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 連載はまだ続いていますが、これまでの分だけでも、現代の子どもの困難な状況が、かなり見えてきます。そこから導き出される結論はシンプルです。親や教師、地域社会が、すべての大人が手間暇かけて、子ども一人一人としっかり向き合うこと。そして、子どもが自然に発達できる環境を整えて、あとはじっと見守ることなのです。


「心のノート」
 さて、こうした問題に対する政府の対応の一つが、「心のノート」と呼ばれる道徳教材の配布でした。「心のノート」は、文化庁長官で心理学者の河合隼雄(はやお)が監修したワークブック形式の教材で、小学校低・中・高学年用と中学校用の4種類で、B5判80~128ページです。
 私も子どもが持ち帰った「心のノート」を読んだのですが、まず感じたのは、「ワークブックという形式は心の問題になじむのだろうか」という疑問でした。同じ疑問が、全国PTA問題研究会の会報『PTA研究』327号(02年10月)と334号(03年6月)にも出ています。

 「理想を持って生きよう」「自分で考え判断しよう」「自然のすばらしさに感動しよう」「きまりを守って気持ちよく暮らそう」「郷土と伝統文化を守ろう」…当たり前のテーマが並びます。問題は、ワークノートといいながら、求められる「唯一の正解」が見えてくることです。これで、「自分で考え判断する」心が育つのでしょうか?

 もう一つの疑問は、子どもを取りまく問題を、心の持ち方の問題にしてしまっていることです。子どもの問題には、社会的な側面もあります。一人ひとりの心が変われば社会が変わる-というのも一面の真理でしよう。しかし、社会構造のゆがみにまったく触れずに、心だけ変えようというのであれば、それは、子どもに対する新たな心理的抑圧になってしまうのではないでしょうか?

 ある学生がこんな記事を書いていました(『PTA研究』327号)。小学3年生の時、「誰かがやさしいことをすると花さき山に花が咲く」という絵本を、朝会で紹介した。1週間後、先生が壁に「花さき山」と書かれた紙を貼り、帰りの会で生徒に同級生の「親切な行為」を報告させて、報告された数だけ「花」を咲かせることにした。やがて、「花」目当ての親切競争が始まり、ついには、「今日はあなたの親切を言ってあげるから、明日は私のことを言ってね」と「取引き」するようになった-というのです。「道徳教育」の危険性を示している話です。
子どもと一緒に大人も育つ
 子どもが育っていないのは、親が親として育っていないからだ。親が育っていないのは、地域の人間関係が失われて、親を親として育てる仕組みが壊れているからだ。こうした反省に立って、地域ぐるみの子育てが各地で模索されています。住民運動を紹介する月刊『むすぶ』391号(2003年3月)は、大阪府枚方(ひらかた)市での取り組みを紹介しています。
 たとえば、「地域子育てネット シーズ」。先輩お母さん、子育て中のお母さん、大学生と、世代を超えた女性の交流を支援して、「地域で子育て」を実践しようとしています。あるいは「枚方/子育て教育メーリングリスト」。インターネットを通して、保護者と教師、障害児や不登校児の親、教育専門家、「子どもの人権」オンブズパーソンなど、さまざまの人が子育てについて情報を交換し、ワイワイおしゃべりしています。
 さらに、大阪市中央区には社団法人子ども情報研究センターがあります。同センターは子育て支援の一環として、大阪府の委託を受けて、「子ども虐待防止アドバイザー」(愛称は「子ども家庭サポーター」)養成事業を行っています。サポーター希望者は、児童虐待や障害児教育、家庭内暴力(DV)などについて学び、終了後は地域で、子ども虐待防止(CAP)活動をはじめ、育て交流の場を作ったり、行政との橋渡しをします。
 20年以上前、枚方市は「子育てするなら、あの町で」といわれたほど、子育て環境の整っていた町だったそうです。でも、この特集を読むと、今もきっとそうなのだろうなと思わされます。

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 私たちは問題が起こるとすぐに、即効薬を求めようとします。1冊の本、1つの法律、一人の指導者、そして、文字通り一つの薬…。でも、子どもは膨大な時間と体験を経て育ちます。そんなに簡単に、大人の思うとおりに変えられるのでしょうか? 変えていいのでしょうか?
 「子育てとは、親の自分育ちだ」。『むすぶ』の対談に出てきたこの言葉を、自分自身の生活の中で考えていきたいと思います。