社会活動に取り組むベトナムの教会



ヒュン・バン・ギ(ファンティエット司教)

去る7月7-18日、ベトナム・ビントゥアン省、ファンティエット教区のヒュン・バン・ギ司教が来日した。ギ司教は1974年に司教叙階され、75年にファンティエット司教区が創設されて以来教区長を務めてこられた(一昨年、グェン・タィン・ホアン司教が新たに司教に任命された)。司牧だけでなく、教区民の生活向上にも積極的に取り組み、当センターに事務局をおく市民団体ジャパ・ベトナムの、ビントゥアン省における農村支援の窓口として尽力してこられた。7月14日に東京・四谷のイグナチオ教会で開かれた、ジャパ・ベトナムとの交流会でのお話から抜粋してお届けする。
 ジャパ・ベトナムがニコラス司教と初めて会ったのは、タン・タオという村でした。その時、司教は私たちを村のはずれの壊れた橋に連れて行き、「日本からの援助で何とか橋を直せないだろうか」と言われました。その後、司教の紹介でいろいろなプロジェクトに支援し、ファンティエット司教区だけで、3つの大きな橋をつくることになりました。私たちはその橋を、日本とベトナムをつなぐ橋だと考えるようになりました。私たちはもう12年ほど、ファンティエット司教区を訪れていますが、楽しい体験ばかりでなく、神父たちや村人が、どれほど大変な思いをしながら働いてこられたか、ずいぶん勉強させられました。
(ジャパ・ベトナム代表、安藤勇のあいさつ)

写真説明/ギ司教(中央)と通訳の高山神父(右)

 ジャパ・ベトナムのみなさんと出会えたことは、とても幸いでした。それまで私たちは、やりたいことの4、5%しかできませんでしたが、皆さんとお会いしてお力を借りて、いまでは20%くらいまでできるようになったと思います。
現在、ファンティエット教区には14万5千人の信徒がいます。73人の司祭、約300人のシスター、そして15人の神学生が、正式に政府から許可を受けて、神学院で学んでいます。その他にも36人の神学生が教区内で学んでおり、さらに40人の志願者が待機しています。神学生の募集は、2年ごとに5人ずつの枠しか政府から許されないのです。皆さんの支えで、ファンティエット教区はこのように活動できるようになりました。心から感謝いたします。
 ファンティエット教区はベトナムの25司教区の末っ子です。ベトナム戦争の終結直前に独立した司教区で、そのため多くの社会問題を抱えています。社会基盤が整備されておらず、戦争で受けた傷がまだ残っており、お世話の必要な人々がたくさんいます。
 聖書には、イエスは「病人を癒し、悪霊を追い出し、福音をのべ伝えられた」と書かれています。私たちも、社会の傷を癒し、不正をなくして人格が尊重される社会をつくり、福音宣教を進めよう
としています。今、ベトナムには社会的不正が存在し、人々が一人の人間として成長していくために必要な教育や医療が行き届いていません。私たちは、こうした困難に苦しんでいる人々を癒すために働いています。


教育プログラム
 私たちは教育を受けられない子どもたちへの教育に力を入れています。識字教育や、貧しくて小学校に行けない子どもたちへの奨学金などです。小学校(5年制)の場合、年間2500円から3000円を奨学金として与えています。
ベトナムでは教会が学校を経営することは許されていませんが、チャリティ・クラス(無償の寺子屋)は政府から認められています。そのため、貧しくて公立学校に通えない子どもたち、年齢オーバーの子どもたちのためのクラスを行う教会がたくさんあります。チャリティ・クラスの子どもたちには学用品や制服を支給します。たとえば、子どもたちに与えた帽子に、「互いに愛し合いなさい」というモットーを入れることで、自然に家庭に対する教育にもなります。
 ファンティエット教区では3年前から障害児の学校を3つ建てています。ろうあ学校2つ(40人と30人程度)、盲学校が1つ(10人程度)です。政府も同様の学校を開きましたが、まだ生徒が集まっていないようです。

生活向上プログラム
 貧困撲滅ということで、教区の婦人会(1万6千人います)のなかに信用組合を作りました。資金は、海外のベトナム支援団体や難民支援団体からの寄付でまかなっています。種や肥料を買ったりするための短期の資金を貸し付けて、収穫の時に返してもらいますが、みんな貧しくてもきちんと返してくれて、ずいぶん助かっています。
 貧しい家庭のための、牛銀行というシステムがあります。母牛を18ヶ月間貸して、仔牛を2頭生んだら、その仔牛はその家に残して、母牛を次の家にまわすというシステムです。最初40頭の母牛から初めて、今、200頭をこえるまでに増えています。生まれた仔牛は各家庭の財産として、農作業に使われたりしています。

環境改善プロジェクト
 住まいを持っていない人、あるいは、雨漏りがしたり壁が崩れていたりする人のために、家を建てる仕事もしています。まず事情を聞いて、まったくお金がなければ無料で建てますが、少しでも自分で費用を出せる人には、出してもらいます。家を建てるときには、ボランティアを募って人件費を浮かせます。教区内ですでに900軒の家を建てました。資金(材料費)は一軒あたり約4万円、広さは24平方㎡(4m×6m)です。それが居住スペースで、台所や豚小屋は住む人が自分でつくります。自分でお金を出せば、もっと大きな家にすることもできます。多額な資金を投じて、あるいは政府から補助を受けて行うのではなく、あくまで地域の人が参加して、自分たちのできる範囲で行うことを大切にしています。そこに教会が力を貸すというスタイルをとっています。
 もう一つ、生活環境を共同で改善するということで、公共の道路や橋を作ったり、直したりしています。これまでに、数十キロの道路と十いくつかの橋を作ったり、直したりしてきました。政府がそこまで手が回らないので、自分たちのことは自分たちでやるという自立と連帯の精神で、こういう活動も行っているのです。他にも、干ばつに備えて、畑に水をひくためのダム(貯水池)も、いくつかつくりました。


地域に生きる教会として
 このような活動を通して、神の愛を表そうと努力してきました。その結果、地域の人からも理解と協力を得られるようになり、また、政府からも認められ、協力を得られるようになりました。地域の人のなかには、カトリックに改宗する人も出ています。ご存じのように、ベトナムではまだ、教会の活動に制約があります。でも、狭い世界に閉じこもらないで、やるべきことを少しずつ、方法を探りながらやっていこうと考えています。政府からは罰せられることはありませんが、警告されたら謝りながら、次にできることをやっていこうというのが、私たちのやり方です。
 司牧の面では、教区内・小教区内での宗教活動に制限はありません。各小教区に壮年会、婦人会、青年会、子ども会の4つがあります。他にも、フォコラーレやレジオ・マリエ、先ほどお話ししたテレジア会のような信心会があって(これにも政府の許可はいりません)、自主的に活動しています。年に1、2回、千~二千人規模の大会を開いていますが、これには政府の許可が必要です。
 4つの会の活動で驚くことは、たとえば、壮年会には1万4、5千人が参加していますが、活動内容は自分たちの生活環境を自分たちで改善していくことです。それは物質的なことだけでなく、精神的な環境のことも含んでいて、たとえば、家庭内暴力とか不和、賭博などを追放して、健全な環境をつくっていく活動です。これは、私自身驚くほどうまくいっていると評価できます。

質疑
日本に来られての感想はいかがですか?
日本人には、人との接し方などで、ベトナム人との共通点がたくさんあります。日本の経済成長はとても素晴らしいと思います。
それから、外の環境が清潔であること、人々が順番をきちんと守っているところなどは、ベトナムとは違います。それはきっと、長い間に育まれたものでしょう。とても勉強になりました。
 経済だけでなく、人も「成長」しました。昔はよく、私たちベトナム人は「日本人は背が低い」と言っていましたが、いまはどんどん大きくなっていますね。それから、日本人はとても美しくなりました。
 日本に来てみて、「第三の世界改造」が必要だと感じています。ご存じのように、聖書ではまず、世界が創られました。次に、イエスが来て世界を改造されました。そして、今、第三の世界改造が必要です。たとえば、日本のように豊かな国と、ベトナムのように貧しい国との差が、あまりに大きすぎます。ですから、世界全体を改造して、分配や秩序をきちんとする必要があると思います。会議などで海外に出かけるたびに、先ほどお話しした(ベトナムの貧しい地での)司牧のことを振り返って、心が痛みます。「なぜ、こんなに差があるのか」という疑問に、答えるすべがありません。

日本は今、家庭が壊れて、いろいろな問題が出てきていますが、ベトナムではまだ、家庭は保たれていますか?
ベトナムではかつて、家庭の絆は深く結ばれていました。大都市では、その絆がゆるんでいるのも事実ですが、農村ではまだ残っています。

ファンティエットは、他の地方と比べて障害者が多いようですが、なぜですか?
戦争の影響があると思います。枯れ葉剤が次の世代にまで影響を与える例も、多く見られます。不発弾を踏んだり、中から火薬を取り出そうとして被害を受けるケースもあります(火薬が花火用に売れるのです)。年間何十人も犠牲になっています。
日本からの観光客が増えているようですが、ベトナムの人にはどのように受けとめられているでしょうか? ただ、お金を落とすだけのお客と見られていないでしょうか?
私には、悪いイメージはありません。私は南ベトナムの出身ですが、お客をもてなすのは南の伝統なのです。かつて、「天皇の軍隊」が二年半、ベトナムに駐在しましたが、今の人がそれを思い出す必要はありませんし、憎しみも持つ必要はないと思います。

ファンティエット司教区の教会は、最初から社会活動を活発に行っていたのですか?
最初は小さな規模で行っていましたが、1990年代にドイモイ(経済開放)政策が本格化するにつれて、教会の活動もだんだん広まっていきました。

日本では、カトリック教会の社会活動はあまり活発とは言えないのですが、ジャパ・ベトナムが訪れるベトナムのカトリック教会は、どこも社会活動に熱心です。それは、ベトナムの教会全体の特徴なのでしょうか?
場所によって、つまり経済事情の違いによって、熱心な教区も、そうでない教区もあります。

ホーチミン市で見たのですが、地方の教会の神父さんがホーチミンの教会にやってきて、地元の教会を建てる募金を募っていました。そうした、異なる地域の教会同士の横のつながりは強いのでしょうか?
確かに、ホーチミンのような大都市の教会は、経済的に恵まれているからということもありますし、司祭同士の連帯として、貧しい地域の教会のために募金に協力するということは、よくあります。
ホーチミン市で見たのですが、地方の教会の神父さんがホーチミンの教会にやってきて、地元の教会を建てる募金を募っていました。そうした、異なる地域の教会同士の横のつながりは強いのでしょうか?
確かに、ホーチミンのような大都市の教会は、経済的に恵まれているからということもありますし、司祭同士の連帯として、貧しい地域の教会のために募金に協力するということは、よくあります。

家族の絆はまだ残っているというお話しでしたが、信仰心についてはいかがでしょうか? 特に経済発展に伴って変化はありますか?
今の教会の、活動に制約がある厳しい状況のもとで、むしろ信仰心が強くなっていると思います。

ジャパ・ベトナムのプロジェクトについてうかがいたいと思います。一つは道路や橋の建設への支援ですが、こうしたものは本来、政府がつくって管理するものです。それを村人が協力してつくっていますが、せっかくつくっても、洪水などがあると2、3年で壊れてしまう。そこで、修理しなくてはならないということで、またジャパ・ベトナムに支援の要請が来る。この繰り返しはいったいどうすればよいと思われますか?
一般に、これまで皆さんの支援でつくってきた橋や道路は、よく維持管理されています。ときどき、災害などで壊れてしまうこともありますが、それ以外は、政府がつくった道路や橋よりも大切に維持されていると思います。ある村に皆さんの支援でつくった橋は、大きな車が通って橋を傷めないように、車止めがあります。
ベトナムの人々が、自分の力で工夫をして、収入をあげようという気持ちに富んでいることは、よく知っています。たとえば昔、ビントゥアン省では魚の養殖のプロジェクトがありましたし、最近ではゲアン省で養豚のプロジェクトがあります。ただ、気になるのは、一カ所で養豚が成功すると、他の村でも次々に養豚を始めようとすることです。みんなで同じことをはじめて大丈夫なのだろうか、話し合って調整することはできないのかと考えるのですが、どう思われますか?
それは確かにベトナムでよく生じる現象ですが、お答えするのは私の手に余ります。原因は、基本的には政府が市場経済を導入したことです。問題は二つあって、一つは市場経済の経験がないまま、外国のルールに従って競争しなければならないこと。もう一つは、これまで政府が行ってきた価格維持政策が続かなくなってしまったことです。いずれにしても、私の力の及ぶ問題ではないと思われます。

 (通訳の高山親神父/たとえば、コーヒーはベトナムの重要な輸出品の一つですが、競争相手のインドネシアとの交渉で、政府はコーヒー畑3万ヘクタールを減らす約束をしました。日本なら、政府が余剰分を買い上げるような政策を行いますが、ベトナムの場合は農家がもろに影響を受けることになりそうです)

 これまで大規模に行ってきた物質的な環境改善(道路、橋、ダム、貧困撲滅など)に加えて、これからは精神的な環境改善が、ますます重要になってきており、そこに力を入れていきたいと思います。賭博や売春、HIVに取り組むだけでなく、もっと根本的な道徳の問題、商業や政治、家庭の倫理の立て直しに取り組むことが重要だと思います。政府に反対するのでなく、むしろ、政府が置き忘れてきた、そうした道徳の問題に取り組むことによって、政府に協力することができると思います。「人はパンだけで生きるのではない」という聖書の言葉を想いだし、人間にはもっと深い次元があるということをふまえて、こうした精神的な環境改善に力を入れていきたいと思っています。