「我々が知る限りの事実に基づけば、(イラクによる)大規模攻撃が切迫しているという、明白で根拠のある証拠を欠いている現状では、イラクに対する武力行使を正当化することは、依然として困難だ」-米国司教団は昨年11月13日、ワシントンの秋季会合での声明で述べている。以下は全文。

 我々米国カトリック司教団がワシントンに集まっている今まさに、米国とイラク、そして全世界が、戦争と平和、正義と安全の追求に関する重大な選択を迫られている。それは軍事的・政治的選択であるだけでなく、道徳的選択でもある。なぜなら、それは生と死に関する問題だからだ。伝統的なキリスト教の教えは、こうした重大な選択を照らしみちびく倫理原則や道徳規準を提供する。
 2ヶ月前、米国カトリック司教協議会会長、ウィルトン・グレゴリー司教がジョージ・ブッシュ大統領に書簡を送った。この書簡の中でグレゴリー司教は、イラクが過去11年にわたっていくつかの国連決議に同意するのを拒んできたこと、また、大量破壊兵器の開発を行ってきたことに関して、ブッシュ大統領が世界の注目を集めさせる努力を払ってきたことを歓迎している。同時に、米国司教団常任委員会が承認したこの書簡は、イラク政府転覆を目的に行われるいかなる先制的・一方的武力行使も、道徳的に正当化されるかどうかについて、重大な問題提起を行っている。我々司教団は、グレゴリー司教が書簡で提起した問題と懸念を我がものとし、その後の情勢の変化-中でも国連安全保障理事会が11月8日に満場一致で採択した行動決議-も考慮しつつ、改めてこの問題を考えたい。
 我々はイラク政府の行動や意図に何の幻想も抱いていない。イラク政府は国内での抑圧を止め、隣国への脅威を終わらせ、テロリズムへのあらゆる支援を中止し、大量破壊兵器の開発を放棄し、既存の大量破壊兵器を破棄しなければならない。イラクに軍縮義務を遂行させることを求める国連安全保障理事会の行動決議の採択にあたって、米国政府が大いに努力したことを評価したい。我々は他の人々と共に、イラクに対して、この国連安全保障理事会の決議に全面的に同意するよう促す。この国連の行動決議が戦争への前奏曲ではなく、戦争回避の道となるよう、関係各位が全力をつくされることを心から祈っている。
 今後、何が起きるか予測するのは困難だが、我々は、(対イラク戦争に関して)答えられねばならない(武力行使の)目的や手段に関する問いを、改めて問いかけたい。我々は、決定的な解決策を提供するつもりはない。ただ、我々自身の真剣な憂慮と問いかけを提示することによって、我々全員が健全な道徳的判断に到達できるよう期待している。特に現在のように情勢がめまぐるしく変化し、すべての事実が明らかになっていない段階では、正戦論の基準をどのように適用すべきかについて、善意ある人々の間で意見が異なるだろう。我々が知る限りの事実に基づけば、(イラクによる)大規模攻撃が切迫しているという、明白で根拠のある証拠を欠いている現状では、イラクに対する武力行使を正当化することは、依然として困難だ。聖座や中東をはじめ全世界の司教団同様、我々も、これまで公表されている情報に基づけば、現状のもとでの武力行使は、カトリックの教えが武力行使に課している高いハードルをクリアするだけの厳格な条件を満たしていないのではないかと懸念する。

●正当な理由
 『カトリック教会のカテキズム』は、武力行使の正当な理由を、以下のようなケースに限定している。「国あるいは諸国家に及ぼす攻撃者側の破壊行為が持続的なものであり、しかも重大で、明確なものであること」(2309番)。この正当な理由の中に、我々に脅威を与える政権を転覆したり、大量破壊兵器に対処するための、予防的な武力行使まで含めることで、伝統的な制限を大幅に拡大解釈しようとする最近の試みについて、我々は深く憂慮する。国際法に含まれている武力行使の禁止と整合性を持たせるために、一国の政府の容認しがたい行いを改めさせる試みと、その政府を消滅させようという試みとを区別する必要がある。
●正統な権威
  我々の考えでは、イラクでありうべき戦争についての決断は、合衆国憲法の要件や米国世論の幅広い合意、国際的な制裁措置に従って下されねばならない。これが、合衆国議会や国連安全保障理事会の行動が重要な理由だ。聖座が述べているように、仮に武力行使が不可欠だとしても、イラク国民や地域と世界の安定への影響を考慮した上で、国連の枠組みの中で行われるべきである(教皇庁国務省外務局長、ジャン・ルイ・トーラン大司教、2002年10月9日)

●成功の見通しと結果の釣り合い
  武力行使が行われるのは「成功すると信じられるだけの十分な諸条件がそろっている」場合で、しかも「武器を使用しても、除去しようとする害よりもさらに大きな害や混乱が生じない」時に限られる。(『カテキズム』2309)。我々は、軍事行動を起こさなかった場合にも、悪い結果が生じうることを承知している。だが我々は、対イラク戦争が、イラクだけでなく中東全域の平和と安定に、予想外の影響を及ぼす事態を懸念しているのだ。武力行使はかえって、まさに予防しようとしていた(イラクからの)新たな攻撃を誘発し、すでに長い間苦しんできたイラク国民に新たな重荷を負わせるばかりか、中東における紛争の拡大と不安定化を招きかねない。対イラク戦争はまた、アフガニスタンにおける公正で堅固な秩序の確立を助けるという責務を放置し、テロの根絶という広汎な努力を崩壊させかねない。
●戦争行為を律する規準
 武力行使の理由がいかに正当であろうと、市民への攻撃禁止と、攻撃規模の釣り合いという規準は守られねばならない。戦争において市民への直接攻撃を回避するための真剣な努力と、能力の向上がなされていることは承知しているが、イラクにおける武力行使は、すでに戦争や抑圧、経済制裁に苦しんできたイラク市民に、数字で表せないほどの犠牲を払わせる可能性がある。「双方の損害」が釣り合っているかどうかを評価するにあたって、イラクの男女や子どもの命を、合衆国の市民や家族の命と同等に評価しなければならない。
 こうした問題を考え合わせると、合衆国政府をはじめ全世界に、引き続き中東地域で戦争にかわる方策を積極的に追求するよう促さざるをえない。肝要なことは、我が国がイラクの攻撃的な行動と脅迫を封じ込め、思いとどまらせるために、広汎な国際協力のもと建設的、実効的かつ正当な方策を実施していくという、きわめて困難なチャレンジに一貫して取り組むことだ。我々は、効果的な軍事封鎖の実施と政治的制裁の継続を支持する。経済制裁に関しては、罪のないイラク市民の生命を脅かすことのないように、よりいっそうの注意を払うよう、重ねて要求する。イラクの大量破壊兵器問題は、より広汎で強力な兵器拡散防止政策によって解決すべきだ。相互抑止の原則に基づいた大量兵器の不拡散政策とは、具体的には、あらゆる国における大量破壊兵器の予防・撤廃計画、ミサイル・兵器技術の輸出に対する規制強化、生物化学兵器禁止条約の履行の強化、核不拡散条約に基づいた核軍縮交渉を誠実に遂行するための合衆国のコミットメントなどを、強力に推進することである。
 容易な解答は存在しない。最終的には選挙で選ばれた指導者たちこそ国家の安全保障に関する決断を下す責任があるのだが、我々の道徳的懸念と問いかけが、指導者たちをはじめ全国民によって真剣に受け止められることを希望する。我々は、人々-中でも、福音に照らして社会秩序を変革する主要な責任を担うカトリック信徒に対して、「平和と正義の証人となり、担い手となる」(『カテキズム』2442)という使命を生きるためには何が最善の道かをたえず識別するよう願う。イエスが言われたように、「平和を実現する人は、幸いである」(マタイ5.9)。

 我々は、このありうべき戦いによって被害を受けると思われる人々、中でもイラクで苦しんでいる人々や、合衆国軍に従軍する人々のために祈る。我々は、合衆国への奉仕に命を賭ける人々を支持する。我々はまた、かつて声明を発表したように、良心的な兵役拒否や選択的な良心的兵役拒否の権利行使を模索する人々も、同様に支持する。

 我々は、ブッシュ大統領をはじめ世界中の指導者のために祈る。彼らが対イラク戦争の崖っぷちから引き返す意志と方法を見いだし、公正で持続的な平和の実現のために働くように。我々は世界の指導者に、イラクの脅威に対する正当な自己防衛を識別し、武力行使に付された伝統的な道徳的条件に従って、効果的な対抗策を作りあげるべく働くよう求める。

*「正戦の教えは、戦争を防止する努力として発展してきた。戦争が合理的に回避できないときにだけその教えは、その参加の制限と削減を追求する。戦争に入る決定が道徳的に許されるには、応じなければならない一連の厳しい条件を確立することによって、これができるのである。そのような決定は、特に今日では、平和に賛成して戦争に反対する前提を無視できるほどの、特別に強力な理由を必要とする。これは、有効な正戦の教えが、なぜ良心による戦争拒否者をつくらねばならないかという一つの重要な理由である」(アメリカ・カトリック司教協議会『平和の挑戦-戦争と平和に関する教書』83,1983年)