J. マシア(上智大学教授)

 私は、8回の短いエッセイで、「生命の商品化」-つまり、生命を単なる一商品としてあつかう傾向-という枠組みのなかで、いくつかの倫理的な問題について書いてきた。このシリーズを終えるにあたり、生命へのグローバルな脅威に対処するために、私たちの倫理観を広げる必要について考えたい。
 生命を一商品として扱う傾向は、本質的には現代技術文明の経済・政治ネットワークと結びついている。生命の技術操作がグローバルな規模で増すにつれて、生命は強められると同時に脅かされている。人類は新たな可能性と同時に、新たな恐怖にも直面している。そこにはまた、新たな責任も含まれている。
 私たちは、「消費主義のグローバリゼーション」を打破し、別な種類のグローバリゼーション、つまり「思いやりのグローバリゼーション」をうちたてる責任がある。すなわち、発展途上国に暮らす多くの人々への思いやり、環境への思いやり、将来の世代への思いやりだ。言いかえれば、「倫理のグローバリゼーション」が緊急に求められているのだ。
 哲学者ハンス・ジョナスはこう述べている。「未来を予言する能力と行動する力のギャップが、新たな道徳問題を生みだしている。人間生活のグローバルな状況や、人類の遠い未来を-その消滅についてさえ-考察しなければならない倫理学など、かつて存在しなかった」(Hans JONAS, The Imperative of Responsibility. In Search for the Technological Age, The University of Chicago Press, Chicago-London 1984, P.8)

 近年おこなわれてきたグローバリゼーションに関する議論から、次の二つの結論を引き出すことができる。
グローバリゼーションは経済・金融レベルに還元することはできず、政治的グローバリゼーションの枠組みのなかで実現されるべきである*1
「新たなグローバル政治学」は、私たちが「新たなグローバル倫理学」を確立する取り組みを強めないかぎり、現代技術文明の諸問題を解決することはできないだろう*2

 倫理学のグローバリゼーションの主要な計画は、多様な文化や世界観、宗教の協力によって実現されねばならない。多元主義に開かれつつ人類の一致をめざす、そうした倫理学は、ジョナスが強調する三つの責任領域において、生命への思いやりを育まねばならない。

先進国の人々や豊かな人々だけでなく、全人類への責任
すべての生き物、環境と生態系の保護への責任
未来の世代への責任

 私たちはこんにちの「世界の無秩序」のうちに、こうした理念とはまさに正反対の状況に直面している。つまり、無責任な生命の操作と無責任な武器の増殖のエスカレート、「テロとの戦争」という名のもとでの経済的動機による「戦争のグローバリゼーション」の危機、そしてこうした事態の根底にある、教育システムやマス・メディアにおける批判精神や識別、創造性の欠如だ。


*1 「グローバル民主主義」「グローバル秩序」
「地球規模の民主主義」などが、この議論のキーワードとして現れている。たとえばB. HOLDEN, ed., Global Democracy: Key Debates, Routledge, London 2000; G. JAUREGUI, La democracia planetaria, Nobel, Oviedo 2000.
*2 H. KUNG, Weltethos fur weltpolitik und
weltwissenschaft,
1997.

☆ ☆ ☆ 
マシアさんの連載は今回で終了します。ご愛読ありがとうごさいました。なお、マシアさんを囲んで、生命倫理について語り合う集いがあります。どなたもご自由にご参加下さい。
☆ いのちを語り合う会 
日時: 毎月第3金曜日 午後6:30~8:00
場所: 上智大学カトリック・センター
(大学北門の脇、新宿通りがわ)
会費: 無料