冷凍生命?
J. マシア(上智大学教授)

冷凍されたテッド・ウィリアムス
 2002年7月8日、米国の元野球選手テッド・ウィリアムスの遺体が冷凍保存されることになったというニュースに、多くの人が衝撃をうけた。米国大リーグのボストン・レッド・ソックスの名プレーヤーだった彼は、83歳で亡くなった。テッド・ウィリアムスといえば、大リーグ史上最高の強打者の一人で、シーズン打率が4割を超えた最後のバッターだった。彼の死から数日後に、遺体がアリゾナの低温倉庫にはこばれた、という驚くべきニュースが流れた。
 テッド・ウィリアムスの長女がボストンのテレビ局に語ったところでは、彼女の異母弟であるジョン・ヘンリー・ウィリアムス氏が、父親の遺体をアリゾナ州スコッツデールのアルコー延命財団に運んだ。彼女によれば、ジョン・ウィリアムス氏は父親のDNAを売ったり、クローンをつくったりして大金をもうけようと考えているという。
 「私の弟は、父のDNAを売りにだせば、テッド・ウィリアムスの小さなコピーを持ちたいたくさんの人が買ってくれるにちがいないと考えているの」と、彼女は語っている。彼女は父親の遺体を冷凍保存させないために、裁判所にうったえるつもりだと語っている。長女によれば、父親は火葬を望んでいたそうだ。

人体の冷凍保存と低温生物学
 この話は、人体の冷凍保存についての論争をまきおこした。人体の冷凍保存(cryonics)とは、科学の進歩によって、将来、延命が実現できるのではないかという期待のもとに、遺体もしくはその頭部だけ(テッド・ウィリアムス氏のケース)を冷凍することをいう。米国には、アリゾナに1ヶ所、ミシガンに1ヶ所、計2ヶ所の冷凍保存施設がある。また、人体の冷凍保存を推進する「延命協会」と呼ばれる団体もある。
 この運動は、冷凍した遺体もしくはその頭部を、未来の技術をもちいて、いつの日か生き返らせることができるようになる、と主張する。彼らは、組織のメンバーが亡くなると、遺体を冷凍施設の研究室におくり、血液を抗凝固剤にとりかえる。その後、遺体は液体窒素によってマイナス320度で冷凍される。
 もちろん、こうした処理には多額の費用がかかる。全身の冷凍保存に12万ドル、頭部だけで5万ドルといわれる。一説によれば、すでに90体が冷凍保存されており、死後の冷凍保存を契約している人は1000人にのぼるという。

 1964年に、冷凍保存研究所の所長、ロバート・エッティンガー氏が『不死の未来』(The Prospect of Immortality)という著書を出版したことが、冷凍保存運動のきっかけとなった。だが、多くのまじめな科学者たちは、この運動をSFかなにかと同じものとみなしている。
 この運動と「低温生物学会」(the Society of Cryobiology)を混同してはならない。低温生物学会とは、生物の組織や器官の冷凍技術や、冷凍温度が生物システムにあたえる影響について研究する科学者の組織である。これらの科学者は、「人体の冷凍保存」を真の科学とは認めていない。低温生物学は、細胞や器官、生体組織の冷凍について確たる理由をしめしているが、人体の冷凍保存は、人間の生死のサイクルに手を加えようという、心の狭いくわだてにすぎない。



 先ほどの、テッド・ウィリアムスのニュースを聞いて、私たちの生命観について、次のような疑問が浮かんだ。
 1.コスト。一方で多くの人々の基本的なニーズが満たされていないのに、どうしてこのような高価で無益な処置を行わなければいけないのか?
 2.生死の操作。どうしてテクノロジーは「できる限りのことは何でもしなければならない」と命令するのか?
 3.飽くなき期待。私たちは、苦痛の軽減や延命の可能性について、人々に過大な期待をもたせることで、かえってフラストレーションを増やしているのではないか?
 4.行き過ぎた自己決定。個人は自己の身体、もしくは遺体にかんして、自らが望むあらゆることを行うことができるという考え方を、制約なしに主張するのは合理的だろうか?