阿部 慶太(フランシスコ会)

 生野オモニハッキョは、識字活動のみならず生野で他の分野の地域活動がスタートするきっかけも作っています。前にお伝えしたようにオモニハッキョは、聖和教会の礼拝堂を教室にして出発しましたが、このことが既成事実となり、学童保育も礼拝堂を使用し、オモニハッキョのない日中の時間帯に行われるようになった、という具合に多くの地域活動の二一ズに応える事業が、聖和教会を使用して展開されるようになりました。
 こうした教会の礼拝堂使用の英断に踏み切ったのは、当時の聖和教会牧師の妹尾活夫師でした。彼を始めとする、地域での必要性とそれに関する活動を訴え続けた「生野地域問題懇談会」(現・生野地域活動協議会)や地域に関わる人々の熱意と働きかけで、聖和教会を母体として、聖和共働福祉会が、そして聖和社会館が設立されました。
 また、時を同じくして生野地域問題懇談会も地域の問題を討議する場から問題に具体的に取り組む人々が協力関係を築く場として、「生野地域活動連絡会」と名称が変わり、やがて「生野地域活動協議会」と再度名称を変え、地域活動に関わる教会と人々の集まりとして地域の中で大きな役割を担っていくことになります。

 また、こうした動きは地域の各キリスト教の教会施設の利用範囲の拡大にもつながっていきました。聖和教会はじめ他の教会で、地域活動に場を提供することは、生野の地域活動を担う人材を輩出することに大きな役割を果たしました。
 教会が場を提供する必要性に迫られたのは、生野の地域性もあります。現在もそうですが、1970年代後半の生野区は、ヘップサンダルなどの中小の家内工業の工場などの多い地域で、地域に活動のためのスペースや多目的に使える公民館などの場が少ない上に、これらの公共施設は活動拠点を常設できず、時間制限もあるため、70年代後半の生野地域でゆとりある空間があったのは、礼拝や聖書研究以外に空いていた教会くらいしかなかったのも理由の一つです。こうして教会の中に地域活動のグループが活動の場を確保し、NGOから地域に密着した福祉事業まで様々な種類の活動が展開されました。

 さて、私事ですが、5月に韓国の地域事業を見学しました。ご存じのように、韓国はアジア第2位のキリスト教国で、信徒数も力トリックだけでも約450万人、プロテスタントも大小の教派を合わせ信徒数は1千万人以上といわれています。
 その韓国での地域事業の中で、全羅南道の長城における「田園福祉村計画」は地方の小さな町における総合的な地域事業として注目されています。過疎化によって独居老人と介護を必要とする老人が年々増加するのに対し、カトリック修道会、行政、開発会社が共同で、老人ホーム、医療施設、デイケアセンター、スタッフの宿舎、老人専用住宅とアパート等々が完備されたトータルな福祉地域を作る計画が進行中です。既に多くの施設が完成し、老人ホームとデイケアセンターはスタート、老人専用住宅は完売し、アパート等も問い合わせが多く、国内から多くの福祉関係者が見学に訪れています。
 ソウル周辺にはこれよりさらに巨大な福祉大学を含めた福祉都市がありますが、地域の問題に対応する総合福祉地域という、いわゆるハードを造る方法は、キリスト教国で行政にもクリスチャンが多く、プロジェクト開始と後援会発足が同時進行し、十分な資金が集まる方式をとる韓国だから可能です。地域の問題に対応するために、そのつどボランティアグループやNGOなど、ソフトを造るタイプの生野の地域活動とは対照的な印象を受けました。また、民族差別など行政と交渉する関係上、活動資金を行政から受けず自分で都合する面も違いがあります。


 さて、生野の地域活動は自主活動が多く、先に挙げた生野オモニハッキョにしても自主活動で25年間続いてきました。自主活動のため、民団などの後援組織や資金援助はないものの、聖和社会館が会場や機材を破格の条件で賃貸するなどで何とか運営されています。また、大きな団体や法人のように報告集も毎年発行されず、出るのは節目の5年単位、活動内容も体系化されません。
 しかし、そのため、どのようなところからも影響されることなく自由な発想や方法で活動を続けることができたといえます。自主活動のため、資金難があったり、各自手弁当のため大がかりなことはできませんが、言い方をかえれば、大がかりにできなかった為に、余分なことをしないで共に字を学ぶという目的に専念できた、ということも言えるわけです。オモニハッキョに関わらずこうした地域活動は多く、「生野民族文化祭」などのグループも寄付やカンパを募りますが、それだけでは続けられないのでスタッフの手弁当による部分がほとんどです。
 さて、近年、NGOと共にCBO(地域活動団体)の働きが注目されました。地域間題に第三者が関わるのではなく、地域の当事者達が地域問題に対し、草の根レベルで関わることの必要性が再確認されたのですが、生野のオモニハッキョをはじめとする地域活動も地域の声に住民が応えてスタートし、そこから地域活動が広がってゆくきっかけを作った点で、地域に根を下ろした活動ということが言えます。
 また、教会の礼拝堂が、オモニハッキョを始めとする活動の場になったエピソードは、対照的な例で挙げた、韓国における総合福祉地域のような大規模な地域での関わり方ではなく、日本など非キリスト教国において教会がどのように地域に関わるかという点や「場の提供」のあり方を示唆する面が今もあるような気がします。また、小規模でも地域に関わるためには、活動の拠点の確保が大きいことを示しています。
 さらに、生野の地域活動における四半世紀の歩みは、単に地域活動の節目ということに留まらず、多くの在日外国人が居住する地域での地域活動の一つのモデルとしての役割を果たした、ということも言えるでしょう。(取材協力/生野オモニハッキョ)