エンリケ・フィガレド・アルヴァルゴンザレス、SJ(バッタンバン司教)

エンリケ・フィガレド(キケ)司教はスペイン出身。神学生時代からイエズス会難民サービス(JRS)の活動に参加し、司祭叙階後の1993年からカンボジアに定住。2000年にカンボジア北西部8州を管轄するバッタンバン知牧区の地区長(司教)に任命されました。キケ司教が2001年4月に発表した原稿を、今号と次号の2回に分けて掲載します。
 チァット君は、バッタンバン市内から15km離れた200戸ほどの村、タヘンの出身です。12歳で、4人兄弟の長男。両親は農民です。チァット君は3歳の時小児マヒにかかって両脚が動かなくなり、自分の脚で立つことも歩くこともできなくなってしまいました。でも、今では小さな車いすに乗って、弟たちといっしょに学校に通っています。彼の夢は、家族を助けるために、いつか自分でお金を稼げるようになることです。

 クメール・ルージュが武器をすてて政府軍に降伏し、長い間のカンボジア内戦が終わったのは、わずか3年前の1998年12月のことでした。真の平和をつくりだすことは今後に残された大切な課題ですが、少なくとも武装勢力による組織だった暴力行為は、すでに過去のものとなりました。私たちはいまようやく、過去を見直し、新たな視点から未来とその可能性に目を向けることができるようになりました。
 チァット君は、両脚の萎縮を矯正する手術を受けるために病院に行くことに同意しました。
根気強く熱心におこなっています。チァット君はそのうちすぐに、タへンの村から学校まで、他の生徒たちと同じように、自分の脚で歩いて通えるようになるでしょう。
 障碍をもったチァット君のように、カンボジアという国も多くの専門的な支援を必要としています。それだけでなく、連帯と友情、愛も必要です。さらに、国民がよりよい未来をめざして共に進んでいくために、和解をうながし求めることが、ぜひとも必要です。大それた野望はそれほど必要ではありません。求められているのは、へりくだって神と共に歩むことだからです(ミカ書、6.8)。私たちがカンボジアの人々と社会を十分に考慮するようになり、カンボジアの歴史と国民、夢と現実、その体験と傷跡を理解しようとするだけでなく、いまこの国で起こっている事態をも受け入れてはじめて、カンボジアにおける教会のミッションを、新しい視点から勇気をもって考えることができるようになります。カンボジア国民の苦悩はたいへんなものでした。そこから私たちは、未来への希望をもって、いまここから共に歩んでいくことを学ぶのです。
いまでは両脚を伸ばし、脚に矯正器具をつけて、まっすぐ立ったり、歩くことさえできるようになりました。チァット君はいま家で、脚に矯正器具をつけ、両親が作ってくれた2本の竹製の手すりにつかまって、最初の一歩をふみだすための練習を、
「イエスは弟子たちに傷ついた手をお見せになり、平和の挨拶をされた。この方こそ十字架にかけられ、よみがえられた方である」(ヨハネ福音書20.19以下参照)
 十字架にかけられた方の傷は清められていました。その顔には非難や復讐の表情はなく、ただ平和だけがありました。カンボジアの場合は、完全にそういうわけにはいきません。181,200平方キロメートル(英国とほぼ同じ)のこの東南アジアの国で、私たちが最初に考慮しなければならない事実とは、戦争とその傷跡です。1200万人を数えるこの国で、236人に1人が体に障碍をもっているのです。
 カンボジア国民はひとり残らず、何らかのかたちで戦争や暴力の被害を受けています。この国の心は傷ついています。あらゆる人が長年の暴力や革命で傷ついています。自分の身で戦争を体験した人々がいます。戦争で親を亡くした人々もいます。体を打たれて、傷つけられた人々がいます。内なる心に傷を受け、精神のバランスを失ってしまった人々もいます。実際、心に傷を残すような体験が体の異常となってあらわれるケースも多くあります。カンボジアでは当たり前に見られます。
 カンボジアの社会の仕組みも深く傷つきました。人と人とのつながりが損なわれたのです。昔から続いてきた健全な社会制度がとつぜん破壊され、国民の間に組織的に仕組まれた互いへの不信感が、広く行き渡った現実となってしまいました。
 けれども、こうした度重なる痛みや今なお人々を苦しめる過去の傷と同じくらい、希望を抱かせる事実もたくさんあります。この国にはダイナミックな生命力があります。庶民の暮らしを見れば、生命の力は死の力よりもずっと強いのです。カンボジアの最新統計によれば、全人口の少なくとも50%が15歳以下の子どもです。このカンボジアの新たな世代は、未来への希望を与えてくれます。この国の国民の半分は、戦争の末期しか体験しておらず、爆撃や組織的な大量虐殺、法律を無視した強制移住といった戦争の野蛮さを知りません…新しい生命の芽生えです。もちろん、新しい問題や制約も生まれるでしょうが、それでも新しい生命の芽生えは明らかです。戦争後の廃墟の中から、いま生まれつつある活力に満ちた新しい社会のうちに、新しい生命の芽生えが現れているのです。
 こんにち、カンボジアの野原や街角、マーケット、農村は子どもでいっぱいです。どちらを見ても、まるで田舎の学校の下校時刻のように子どもたちがバラバラとあふれだしてきて、動きまわり、騒ぎまわり、活発で、笑いさざめいています。エルデル・カマラ司教が述べたように、「若者は情熱と希望の達人です」。
  カンボジアの現在の状況に私たちを位置づけるために、カンボジアの歴史を認識し、注目する必要があります。戦争が残した傷跡に目を向けなければなりません。内面に残る傷もあれば、外側に残る傷もあります。複雑にからみあったこれらの傷はみな、現在の生活の一部となっており、私たちを苦悩に満ちた物語へといざないます。苦痛の記憶や暴力の犠牲となった人々の記憶は、いまなお存在する一つの現実ですが、そうした記憶こそがまさに、私たちを生命へと向かわせるのです。

 a.カンボジアが社会的にも物理的にも破壊されていることは、誰の目にも明らかです。外面的な様子だけでいえば、道路がこれ以上悪くなりようがないほど荒れ果て、あらゆる通信インフラが不足している現状は、この国を訪問する人が、私たちがようやく抜け出そうとしている戦争時代を、容易に想像するのに役立っているにすぎません。他方で、社会の絆もまた引き裂かれ、傷つけられています。カンボジアは伝統的に、土地の所有権や農作物の収穫、季節が社会関係の元となるような農村社会でした。でも、いまでは全てが無くなっています。多くの伝統的な価値、生き方、伝統はいまや破壊され、暮らしが元通りにもどる見通しはありません。カンボジア国民に互いに信頼しあうよう働きかける組織は、長い間ありませんでした。法体系も機能していません。司法制度は不正にまみれています。法律があっても相変わらず守られない一方で、伝統が戦争によって破壊されているカンボジアの現状は、現代のグローバリゼーションの影響をまともに受けているこの国にとって、非常にまずい状況といわざるを得ません。
根気強く熱心におこなっています。チァット君はそのうちすぐに、タへンの村から学校まで、他の生徒たちと同じように、自分の脚で歩いて通えるようになるでしょう。
 障碍をもったチァット君のように、カンボジアという国も多くの専門的な支援を必要としています。それだけでなく、連帯と友情、愛も必要です。さらに、国民がよりよい未来をめざして共に進んでいくために、和解をうながし求めることが、ぜひとも必要です。大それた野望はそれほど必要ではありません。求められているのは、へりくだって神と共に歩むことだからです(ミカ書、6.8)。私たちがカンボジアの人々と社会を十分に考慮するようになり、カンボジアの歴史と国民、夢と現実、その体験と傷跡を理解しようとするだけでなく、いまこの国で起こっている事態をも受け入れてはじめて、カンボジアにおける教会のミッションを、新しい視点から勇気をもって考えることができるようになります。カンボジア国民の苦悩はたいへんなものでした。そこから私たちは、未来への希望をもって、いまここから共に歩んでいくことを学ぶのです。
 b.カンボジアでは、おじいさん・おばあさんから孫まで全員そろった家族を見ることは簡単ではありません。また、家族写真を見て、そこに写っている家族全員がいまも一緒に暮らしているというケースも滅多にありません。カンボジアの家族はいろいろな理由で壊れています。暴力的な死や病気によって家族の誰かが死んでしまったケースもごく普通です。家族が戦争の暴力によって目に見える傷を負う一方で、政権がひんぱんに交替し、そのたびに移住を余儀なくされるため、家族がバラバラになってしまうケースも珍しくありません。こうした家族の離散の結果、二度も三度も結婚して、そのたびにできた子どもをかかえているというケースもあります。こうした家庭の困難にくわえて、生きのびるためには毎日闘わなければならない貧しさのせいで、人付き合いや生活態度の面で分裂や問題が生じているだけでなく、子どもに対する親の責任感も失われています。生活の手段を欠いているだけでなく、家族関係の安定も欠いているのです。
 家族が傷つけられている状況のなかで、個人と社会は内面から傷ついています。争いや不安定、貧しさ、暮らし方の変化は、政権がコロコロ替わることに原因があります。そのうえ、生活習慣や文化も安定していません。このように、基本的な社会制度が内側から傷ついているのです。社会的な役割がはっきりせず、帰属意識は失われています。

 c.対人地雷の存在とワクチンの不足は、カンボジアに大きな影響をおよぼしています。多くの人が戦争によって体に傷を負っています。カンボジアでは236人に1人が身体障碍者です。バッタンバンなどいくつかの州では、障碍者の割合は90人に1人まではねあがります。足の不自由な人や小児マヒの人の数は、近隣諸国をはるかに上回っています。
 とはいえ、より深刻なのは、人々の心の奥底でうずく内面的な傷です。体に受けた戦争の傷跡は、多くの場合、人々が心に受けたより深い傷の、外面的・歴史的しるしなのです。こうした体の傷と心の傷は、カンボジア人の精神構造をきわめて複雑なものにしています。カンボジア人のなかには、まだ自分で吸収しきれていない苦しい体験を思い出させるような状況に出会うと、精神的なバランスを失ってしまう人もいます。

 このようにカンボジア社会が苦悩と飢え、戦争によって姿を変えてきたなかで、私たちは若々しくて活力に満ちた国が生まれつつあるのを目撃しています。新しくて、過去とはまったく違うカンボジアの誕生です。その行く末は誰にも分かりませんが、はっきりしているのは、以前の伝統的な農村社会の姿は二度と戻らないということです。
 こんにち、カンボジアにはさまざまな好対照が見られます。インターネット・カフェやeメール、カラオケ・バー、ラテン・アメリカ製の「テレ・ノベラ」(連続テレビ小説、カンボジアに輸入されて人気がある)を通して人々の目に明らかにされるグローバリゼーションの新しい側面が存在する一方で、水牛がひく車、一本ずつ手で植える田植え、雨期の洪水や打ち続く自然災害なども依然、存在しています。先進国からきた人々にとって、カンボジアは矛盾の海です。もっとも高度に洗練された通信手段がある一方で、生存のためのもっとも基本的な手段さえ欠いているからです。
 政府はいま、カンボジア各地に教育を普及させるため、多大な努力を払っています。けれども、州の中心から離れた多くの村には十分な学校もなければ、農村で暮らすたくさんの子どもたちを教えられるだけの先生もいません。
教育の質は乏しく、新たなミレニアムにカンボジアが直面する新たな挑戦に応えるにはほど遠いのが現状です。
 他方で、新生カンボジアが最近ようやく安定してきたことをうけて、新たな投資が、主にアジアから集まりはじめています。新たな経済が姿を現しはじめ、新たな産業のパターンが創られつつあります。こうした動きとは逆に、特に権力集団と接触して恩恵をこうむることのできない人々にとって、所有権が100%明確になることはまずないという現実もあります。いまや、カンボジア経済、特に土地への投資や投機を求めて資金が流れ込んでいます。以前は取るに足らない価値しかなかった土地が、いまでは30倍もの値段をつけている例もあります。
 産業のなかでも、大量の熟練を要しない手仕事が必要な産業-たとえば繊維産業-が力をつけてきています。プノンペン郊外には、雨後の竹の子のように織物工場が建ち、農村の若者たちがものすごい数で、この新しい業種に吸収されています。
 カンボジアの権力者と結びついた外国企業が、石油をはじめ、木材、巨大なトンレサップ湖の魚、パイリンの宝石などの天然資源を採取しています。
 観光も新たな経済の一つとして育ってきています。シエムリアップ州のアンコールワット寺院群は、もっともぜいたくな観光客から、何ヶ月もかけて東南アジア各国を渡り歩くバック・パッカーまで、あらゆる種類の観光客を大勢ひきつけています。同時に、カジノやバー、そして物価の安さは、他の国では認められていないたぐいの観光客も引き寄せています。それらの観光客は、自分たちの国では禁止されている、ギャンブルやセックス、麻薬を、カンボジアで自由に体験するのです。
 カンボジアは貧しい国であるうえに、貧しい自国民を保護する法律システムも持たないことが、他の国々では望ましくないと考えられている社会的病いが蔓延しやすい土壌となっています。
セックス産業における子どもの虐待や売買は公然のスキャンダルとなっており、子どもや女性の人権を守るために闘う市民グループは、多大な努力を払ってこの問題に取り組んでいます。かれらはとても忙しく働いていますが、これまでの成果はきわめて限られています。
 HIV/AIDSはすでに、カンボジア国内で猛威を振るっています。AIDSは社会的な病気であり、ますます広範に広がって、都市だけでなく農村も食い荒らしています。AIDSによる死者はあとを絶たず、この今世紀最大の疫病によって親をなくした子どもの数は急増しています。いまでは、カンボジアのエイズ孤児の数は、アジア各国のなかでもトップにランクされています。
 こうした状況に直面して、カンボジアに目を向ける人々がさまざまなネットワークを作っています。カンボジアの国づくりのため、カンボジア国民と連帯する多くの個人やグループの姿は、よろこびや正義、希望、平和といった神の国のしるしを表しているのです。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ福音書4.18-19;イザヤ61.1-2)

 最初に、カンボジアにおけるキリスト者のミッションとはどんなものかを理解するための助けとなるような、いくつかのポイントを簡単に紹介したいと思います。次に、カンボジアの現状におけるいくつかの優先課題を短く提示してみようと思います。
 カンボジアの新たな特徴を見渡す展望台、カンボジアでの福音宣教を考える出発点となるような足場を、まず最初にしっかりと固めることが大切だと信じています。

 1.主の霊は私たちに先立って行かれ、道を開き、私たちに啓示を与え、支えてくださいます。私たちはキリストが送られた霊に従います。私たちは自分にとって異国の場所に呼ばれ、集められていますが、そこは神の霊にとっては異国ではありません。私たちは、神の霊がすでに私たちを待っておられる新たな道を発見するにすぎないのです。私たちが目的地に着いて、福音をのべ伝えるその仕方とは、首都から各地に新聞を配るような仕方とは違います。福音はずっと以前からすでに私たちの前にあり、私たちはその生命を人々の生のうちに発見するのです。私たちは福音を現代的な形になおす手伝いをするかもしれませんが、福音はすでに歴史的なできごとのうちに、素朴な人々の生という秘跡のうちに生きているのです。

 2.福音を宣布するというのは、単にみ言葉の文章をのべ伝えることではありません。私たちは基本的に、自分の生き方、態度、活動、奉仕を通して、貧しい人々への愛を通して、祈りを通して、そして時には言葉を通して、福音をのべ伝えるのです。救いのみ言葉とは、単なる説教でもなければ、総合的な司牧計画でもありません。み言葉は、主がいままさに生きておられる場所に生き、主をあかしすることによって、自らをのべ伝えるのです。
 3.今日の重大な社会問題に総合的に応えようと試みることこそ、福音宣教の要点や意味内容のすべてです。どんな福音宣教のプランも司牧計画も、「イエスの福音をのべ伝えようと思うなら、イエスの民がかかえる問題に慎重な注意を払わなければならない」ということを語ることに他なりません。それは、み言葉が神の子どもたちの現実生活において力を失わないためにも、絶対に必要なことです。

 人々の深刻な社会問題に応える方法はいろいろあり得ますが、カンボジアでは以下の点が重要だと信じます。まず、よろこび、柔軟な態度、チームワーク、裁きを一時棚上げにすることが必要です。また、たとえ十分に理解できなくとも、生命をもたらすような肯定的な側面を常に受け入れ認めて、何度でも赦すことが必要です。どんなに複雑な状況にあっても、何か異質なもののひらめきを受け入れなければなりません。問題が山積するまっただなかにあっても、善いものに焦点を合わせなければなりません(そうした問題のなかには、私たちが共に生き、分かち合うしか解決の方法がないようなものもあります)。

 ナザレのイエスは、その生涯で何か変わったことをなさったのではありません。イエスは私たちに、生き方と言葉を通してのみ教えられました。イエスは、愛とあわれみ、ゆるしを与えられる神、「アッバ」(父よ)と呼びかけるよう私たちを招かれる神への深い信仰から、当時のパレスチナの問題に応えて、信仰に基づいて生命を捧げ、神から離れていたこの世を和解させたのです。
(次号110号へ続く)