川地 千代(イエズス会社会司牧センター)
 5月21日(火)から6月5日(水)まで、イエズス会社会司牧センターの主催で、教育現場を中心に、講演会が開かれました。二人の講演者は、1997年に地雷廃絶国際キャンペーンの代表としてノーベル平和賞を共同受賞した、カンボジアの地雷被災者のトゥン・チャンナレット(以下レット)さんと、1980年代に神学生の時から、タイ国境側キャンプで難民となったカンボジア人へのサービスに関わってきたイエズス会司祭で、バタンバン教区司教のエンリケ・フィガレド(以下キケ)さんです。この二人と同じくイエズス会・サービス・カンボジアで働いている、堀内紘子さんが通訳してくださいました。東京と広島を拠点に、カトリックの中高(10校)、保護者会(1)、大学など(3)、教会や司祭の集まり(8)、YMCAなど(3)…で開かれ、大勢の方が熱心に耳を傾けてくださいました。講演中に、彼らに問い掛けられて、その場で、即、言葉で応答できる習慣の少ない生徒や学生たちもありました。しかし、知らなかったことに恥じ入ったり、考えさせられた、というところに留まらないで、きっと、その「生きた証人たち」から、失望から這い上がった希望、力強さ、優しさ、勇気といったメッセージの宝物を、受け取られたことでしょう。

 レットさんは、1960年に生まれ、つい数年前まで戦いのない日を知らずに、ずっと生きてきました。70年代のポルポト政権のとき、父親と姉を亡くしました。その時代、家族や親戚の誰かが殺されるのは稀ではなかったのです。レットさんは、自分がどうして両足を失うことになってしまったのか、そのとき、何を考えたのか、そしてどのようにその失意から立ち上がれたのか、今、何をしているのかなどの体験を語りました。そして、今も何処に地雷が埋まっているのか、何を期待するのかなど、いくつもの質問を会場に投げ掛けながら話しました。
 彼の質問のひとつ「皆さんは何故、勉強するのですか。」―突然のダイレクトな質問に、子どもたちはタジタジです。「将来、いい仕事を得てお金を稼ぐため。」
広島学園にて

「自分の夢(薬剤師・医者・エンジニア・人に役立つ…)を実現するため。」「他者のための人間になるため(men:persons for others=イエズス会学校のモットー)」など様々でした。私たちおとなに対してなら、「何故、働いているのですか。」ひいては「何故、生きているのですか。」なんて問い掛けられたらどうでしょう。どんな答えを持ち合わせているでしょうか。レットさんは、自分のため、家族のため、将来、お金を得るために今は勉強するというのは当然だ、とした上で、貧しい人、周りで苦しんでいる人、困っている人、悲しんでいる人がいたら、助けてあげてほしい。
そして、現在でも67カ国に残る地雷の問題や、地雷で傷ついた被災者・必死に生き延びようとしている人々のことを、心に留めて忘れないでほしい、サポートしてほしい、と訴えました。地雷の犠牲者は、貧しい国の、貧しい人々です。そして、戦闘が終わってからも、眠れる兵士と呼ばれる地雷は、だれかれと差別することなく、子どもや農民が踏むのを、息を潜めて待ち続けているのです。今日、新たに埋められることはなくなっているカンボジアであるのに、今日一日で、また新たに3人の地雷犠牲者が生まれています。
 日本では、切断された足を目の当たりにすることはほとんどありません。義足なり、長ズボンなどを付けるでしょう。講演会の実行委員をした生徒たちでさえ、初め、どう接したらいいのか戸惑っていました。しかし、自分の足となった車椅子で自在に動き回り、まっすぐに前を見据え、暖かい表情のレットさんに、痛々しいだけでは終わらない、すごい姿を見たことでしょう。


 続いて、キケさんが、現在、レットさんたちが取り組んでいる、被災者一人ひとりのところまで行って、傍で耳を傾け、そのニーズに合わせた車椅子を作るプロジェクトについて紹介しました。
 そして、「地雷の犠牲者は、一体、誰なのですか。」と提起して、経験した例から、わかりやすく話してくださいました。地雷の犠牲者は、本人はもちろんのこと、その家族も…。家族の中で、一人の犠牲者が出れば、医療費工面に始まり、生活全体への影響ははかりしれません。本人は、自分が地雷を踏んだばかりに家族が、家畜や農地、家まで売り払い、生活基盤をすっかり失ってしまったのだと、自分を責めることになってしまいます。夫婦や親子の関係は、ギクシャクとしてきます。身体の痛みだけではなく、本人自身は自殺を考えるほどです。家族もやり場のない苦しみを抱えて、その痛みは想像を絶するものがあります。そうして家族は、あらゆる生活基盤と同時に、生きる希望も失ってしまいます。親戚や村共同体の互助にも限りがあり、共同体の負担となり、村から離れることにもなりかねません。そういう共同体の単位が拡がっていって、カンボジアという国となり、傷つき損なわれた関係性が蔓延していきます。
 「地雷の犠牲者は、誰か」。中学生のひとりは、地雷を埋めた人も、と答えました。また、講演後に、ひとりの大学生は、レットさんの足を見て、罪悪感を持ったと言いました。きっと今まで、知ろうとしてこなかったことへの自責の念なのでしょうか。この度の講演会で出会った、こうした方々も、地雷によって、人間の尊厳、人間の正常な関係が損なわれたと気づいて、心を痛める「地雷の犠牲者」なのかもしれません。
心に留めて忘れないようにし、苦しんでいる彼らと共に連帯していける、第一歩になることを念じています。


 この度、私は彼らの滞在中、ずっと同行することができ、感謝の気持ちでいっぱいです。中高等学校・大学や教会など、忙しいスケジュールをやりくりして、講演会の機会を与え、準備してくださった方々、集まって熱心に聞いてくださった方々、特に、広島ではバッタンバン友の会のスタッフの皆さん、そして、すべての縁の下の力持ちの皆さん、本当にお世話になりました。

小野田・ザビエル高校

 もともと1998年から教育関係者を対象にした、国内でのイエズス会のボランティア・セミナーに始まり、2年前からはカンボジアへの海外セミナーを実施したのがきっかけで、この度、カンボジアから彼らを招いて、講演会ツアーを実現するに至りました。訪れた学校の先生の中には、カンボジア・ツアー参加者もおられ、今回の講演会ツアーにも、準備段階からご尽力いただきました。
 柔軟で、のびのびとした子どもたちに出会えて、自由にこれからを切り拓いていける可能性を予感しました。そんな彼らの中にも、陰湿で複雑な「地雷」は存在することでしょう。そして同時に、「地雷の犠牲者」でもある彼らには、家庭や学校、社会でいろいろな傷を負い痕を残しつつ、生きようとしていく姿も見い出せることでしょう。それらの姿は、カンボジアで出会う、地雷の傷から立ち上り、車椅子で外に出かけ、学校やお寺へ自由に歩み出せるようになった人々の姿と、すっぽりと重なり合います。
 最後に、皆さんからいただいた献金や謝礼金は、イエズス会サービス・カンボジアを通じて、地雷被災者支援のために使われることを、今一度、申し添えておきます。