安藤 勇(イエズス会社会司牧センター)
 
 2002年4月15~19日、イエズス会東アジア・アシスタンシーのうち、オーストラリア、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、ミクロネシア、フィリピン、台湾からきたイエズス会員が、フィリピンのマニラにある東アジア司牧研究所(EAPI)に集まって、「グローバル経済と諸文化」ネットワーク(GEC)の最初の東アジア地域会合が開催された。

 この会合は、世界中の多くの人々の暮らしに影響をおよぼしているグローバリゼーションという問題に取り組むために、イエズス会が世界規模で組織しているプロジェクトの一環として開かれた。私たちは、グローバリゼーションがイエズス会の司牧や教育の任務に大きな影響をおよぼしており、変革が求められていることを認識している。私たちは、イエズス会の取り組みの今後の方向性を決めるために、世界がどこに向かっているかを知らなければならない。以下の疑問を明確にすることが有益だろう。誰がグローバリゼーションの主体であり、原動力であるのか? 誰がグローバリゼーションの勝者で、誰が敗者か? その答えを得るためには、各国での本格的な研究に基づいて共通の議論を重ね、異文化間の共同作業へと発展させていくことが大切だ。この会議の目的は、グローバリゼーションという現代的な現象を止めることではなく、そのチャレンジにどう応えていくかということだ。
 まず最初に、この「グローバル経済と諸文化」ネットワークについて、簡単に説明したい。
 「グローバル経済と諸文化」(GEC)プロジェクトは、世界中の60のイエズス会の社会研究・活動機関が5年間にわたって行う共同作業だ。その目的は、グローバル経済がローカルな文化、特に貧しい人々にどのような影響を与えているかをよりよく理解すること、そして、貧しい人々が自国で直面しているグローバル経済の功罪両面に対応できるように、学習教材を提供することだ。このプロジェクトは、ローカル/グローバルな「主体」同士の対話を促して、各国の経済・政治プロセスに関わる人々が、自国で起こっている急激な文化的変化によりよく対応できるようにすることを目指している。
 会合の参加者は、経験から出発して、考察に移り、意思決定と行動で終わるという、イエズス会的な意思決定の方法論を採用している。参加者は、各国内での経験を「物語」という形で集めることからはじめた。こうして集まったデータは、共同で話し合いながらの分析によって深められ、発展させられる。そして最後に、いま何が起きているかを分かりやすい例をあげて説明し、基本的ニーズや人間的価値の観点から何をなしうるかについて具体的な提案を示す、合意文書を採択する。このプロジェクトの成果は教育的なハンドブックにまとめられ、草の根教育プログラムで使われる資料作りの参考となるだろう。このハンドブックはまた、政治家や経済人など、国内外の経済政策を決定したり、影響をおよぼす人々にも役立つだろう。

このプロジェクトがユニークな点は、世界中で貧しい人々と一緒に暮らし、働いている参加者たちの、草の根の経験と研究に拠って立ち、グローバリゼーションに関わる問題に「下から」答えようとしている点だ。
 私たちは先の地域会合で議論をはじめるにあたって、ますグローバリゼーションを、世界中いたるところで実際に存在する現実の状況である、と認めた。そして私たちは、グローバリゼーションが東アジアでいつからはじまったか、合意を得ようと試みた。グローバリゼーションの開始時期を特定することが重要だと考えたのは、それ以降、グローバリゼーションが私たちの国々にどんな実際的影響をおよぼしたか、特に東アジアの貧しい人々にどう影響したかを考察するためである。
 プロジェクトの進め方を話し合う一連の国際会議や地域会合では、グローバリゼーションという現象が現実に存在すること、そして、その開始時期を暫定的に1992年と定めることを決めた。
 だが、今回の地域会合では冒頭から、この前提を認めるかどうかが議論となった。たとえば、日本から見れば、グローバリゼーションと呼ばれる現象を導いたプロセスの進み方は違っている。日本は第二次大戦後、戦争による破壊をのりこえて、近代化(modernization)産業化(industrialization)国際化(internationalization)の道をたどってきた。
これら三つにはすべて日本語の訳語があるのに、「グローバリゼーション」には訳語がなく、英語をそのまま使っている。これは、グローバリゼーションが外から押しつけられたもので、日本は拒否したがっている証拠ではないか? 当然ながら、意見はさまざまに分かれた。ただ、こうした議論を続ける中で、東アジア特有の状況が浮き彫りにされ、その後の作業に非常に役立った。
 日本の戦後60年に限っていえば、1970年代初期の石油危機が、結果的に日本の経済と貿易(特にアジア向けの貿易)を大きく外に向けて開いた。こうした経済の国際化は80年代後半のバブル期にいっそう進み、消費や投資のパターンが気前のよいものへと大きく変化した。90年代にバブルがはじけて不況に突入すると、雇用や消費、投資パターンか再び大きく変わった。日本社会はいまだに天文学的な国債や不良債権に苦しみ、多くの企業が厳しいリストラを行っている。近年話題になっている、金融機関のいわゆる「ビッグ・バン」(規制撤廃)は、日本の経済発展の鍵をにぎる銀行の大胆な改革の試みだ。今回の会合で確認されたグローバリゼーションの定義とは、貿易や金融の地球規模での自由な活動、国境や文化の壁をこえた情報やお金、商品、イメージ、アイディアの自由な移動・流通のプロセスである。実際、それは経済の開放のことなのだ。グローバリゼーションに関する本の大部分は、基本的にこの定義に同意するだろう。場合によっては、それに「人の自由な移動」を付け加えることもある。
 グローバリゼーションがはじまってから起こった変化を分析するために、グローバリゼーションの開始時期を正確に特定する必要があることは、すでに述べた。GECがそれを1992年と定めたのは、その頃、世界各地で金融危機が起こっていたからである。改めていうが、東アジア、特に日本にとって状況は異なっており、1992年という年には客観的な根拠は見いだせない。とはいえ、グローバリゼーションが生産と消費のパターンや、貿易、国民の生活に劇的な変化をもたらしたことは疑いえない。グローバリゼーションの結果、出現した強力な多国籍企業は、多くの国々に強い影響をおよぼしている。
 GECプロジェクトに参加しているすべての組織は、それぞれの国の物語を作っている。それぞれの物語は、その国でのグローバリゼーションの本質的な影響を表現することを目指している。約60の研究機関や社会センターから集められた物語はすべて、米国のジョージタウン大学ウッドストック神学センターに集められ、分析・再編集されている。これらの物語はGECの国際会議や地域会合で議論の材料として用いられている。
 マニラでの会合は8つの参加国からの物語を取り扱った。つまり、韓国、日本、フィリピン、台湾、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、ミクロネシアである。
 2日目の討論で、私は5ページの物語を発題した。3年前に、GECのコーディネーターであるウッドストック・センターに送ったものだ。テーマは「日本の建設業と出稼ぎ労働者」だ。この物語の主人公は、農村(新潟県)から大阪・釜ヶ崎に出稼ぎにきて、建設会社の日雇い仕事をする加藤さん。彼はしまいに失業して野宿者となる。物語は、加藤さんが故郷と出稼ぎ先の釜ヶ崎で暮らした60年の人生を通して、日本の戦後を振り返っている。このケース・スタディが取り上げている日本の建設産業は、日本の全産業の10%を占める58万6千社で、全就労者の9.7%にあたる685万人が働いている。物語は歴史的背景を簡単に紹介したうえで、日本の建設業界の伝統的な企業風土・慣習と、昨今の建設業界の「冬の時代」について説明している。さらには、野宿者や外国人労働者といった社会問題にも触れている。
 GECプロジェクトのとても重要な要素の一つは、それが用いている分析の枠組み、方法論だ。その目的は、経済や社会における意思決定者、文化的な意味や価値の担い手であるグローバリゼーションの「主体」が、生き方や行動の仕方を変えるよう促すことである。
 私たちは各国の「物語」を共に学び、登場人物(加藤さんのような)をよりよく知ろうと努めた。私たちはまず、全体で討論する中で、登場人物の人生や背景について問いかけた。次に政治的・社会的現実、たとえば外国人労働者の現状とか、労働組合や市民団体、教会の対応などについて話し合った。また、それらの物語に関連して、グローバリゼーションが経済界や政界に引き起こしている変化についても探った。
一方で、私たちは世界銀行のような国際的な資料源から、客観的な指標やマクロ経済分析、社会データも取り寄せている。
 私たちの分析が取り扱うもう一つの重要な側面は、グローバリゼーションが文化的な意味や価値の領域で生みだす変化、すなわち宗教観、家族、社会観や政治への関わり、伝統文化といったものの変化だ。物語はまた、情報や知識へのアクセス、女性の参加、犯罪や公共道徳、環境への取り組みといった他の変数を探求するにあたっても、有効な枠組みを提供する。
 だが、こうした分析のプロセスには、今後埋めなければならない重大な空白がある。それは、今後どうすべきか、という問いだ。加藤さんのような人が、より人間的な未来を迎えられるようにするために、私たちは何をすべきか?
 参加者は一日をあらかじめ用意された祈りで始め、短い振り返りと分かち合いで終えた。
 GECプロジェクトはこれからも続くが、今回の物語についての討論は、物語を見直すための豊かな材料を生みだした。同時に、今回の会合は、すでに動き出しているネットワークをさらに広げ、強めるよいきっかけともなった。当センターはGECプロジェクトの終了まで、ウッドストック・センターの協力によって運営されている、インターネットとeメールによる東アジアの情報ネットワークに参加していきたいと考えている。

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