安藤 勇(イエズス会社会司牧センター)
 地雷廃絶国際キャンペーン(ICBL)の国際親善大使、トゥン・チャンナレットさん
は、カンボジアのシエムリアップに住み、ほとんどの時間を費やして、彼自身のように地雷で手足を失った村人たちを訪ねている。
 アンコール・ワット遺跡で有名なシエムリアップは、カンボジアでもっとも人気のある観光地だが、この地域には地雷被害者が多いため、政府は彼らを遠隔地の村々へと移住させた。そうした村を訪ねてみると、ほとんどすべての世帯が地雷の被害を受けていて、衝撃を受ける。村には義足を着けた子どもや青年、車いすに乗ったり杖をついて歩く大人をよく見かける。
 プノンペンの近くに、こうした地雷による障害者に職業訓練をおこなう、数少ない教育施設の一つである「鳩の家」センターがある。このセンターはイエズス会員と信徒スタッフの国際的なチームが運営している。ここでの訓練は1年間つづく。訓練生は10人ずつに分かれて宿舎に寝泊まりし、さまざまな技能を学ぶ。もっとも重要な活動は「車いす製作部」で、月産90台の生産能力をもっている。訓練生は卒業後に出身地にもどって、農村開発活動にたざすわる。センターに入る資格は「地雷被災者である」ことだ。私の知るかぎり、このセンターはイエズス会の学校としては世界で唯一、障害者であることが入学資格として優先される学校だ。


  地雷の問題はカンボジアだけの問題ではない。アフガニスタンや、アフリカ・東欧の数カ国も、地雷の被害が深刻だ。世界中でどれくらいの地雷が埋設されているか、正確な数は分かってない。赤十字国際委員会の試算では、1970~95年だけで、55カ国の100社が1億9千万個の対人地雷を生産している。対人地雷の平均価格は3~30ドルにすぎない。2001年に地雷で生命を失った人は2万人にのぼるといわれる。現在、約100カ国に2億4500万個の対人地雷が貯蔵されており、中国だけでその4割以上を占めるといわれてる。


 地雷の正確な数を知ることは不可能だが、確かなことは、地雷は戦争や外国による侵略の遺産だということだ。カンボジアに地雷を埋めていったのはフランス、ロシア、中国、そしてベトナムの軍隊だ。また、ポル・ポト派や他の武装勢力も、これらの国々から地雷を購入した。アメリカ軍もベトナムやヨーロッパの国々。モザンビークやアンゴラに地雷を埋設した。地雷はもっとも安上がりな兵器だ。だが一度戦争が終わり、兵士が兵舎にもどっても、地雷は何年も犠牲者を待ち続けている。しかも犠牲者は多くの場合、兵士ではなく農民や母親、子どもたちなのだ。「地雷被害を生きのびた人々が、その後の生涯で外科治療や義肢に払う費用は、総額3千~5千ドルにのぼる。もちろん、ここには被害者とその家族が受ける計り知れない苦悩の値段は含まれていない。
地雷の除去には1個あたり300~1000ドルかかる。さらに、耕作地の損失や発電所の稼働停止による損失、商業の停滞や道路の通行不能による損失、インフラストラクチャーの回復や再建にかかる費用なども、ある国が地雷のせいで支払わなければならない費用に含まれる」(『地雷概観-1996年』赤十字国際委員会)
 地雷問題は一地方や一国の問題ではなく、グローバルな、解決のむずかしい問題だ。地雷の究極の原因は「戦争」だ。それでは、どうやってそれを解決すればいいのか? 現在の枠組みにそって取り組むとすれば、国連だけが恒久的な解決をもたらすことができるだろう。その大きな一歩は、1997年12月3日から署名がはじまった「地雷禁止条約」だ。この条約は1999年3月1日に発効し、2001年10月1日現在で140カ国が署名、121カ国が批准・加入している。この問題が国際社会で取り上げられたのがごく最近であることを考えれば、予想外の成果といえよう。ICBLの『ランドマインモニター2001』によれば、条約に参加していない国がまだ53カ国ある。国連安保理事会の常任理事国のうち3カ国、つまり中国、ロシア、米国が条約参加を拒否しているばかりか、インドやパキスタンとならんで地雷の主要生産国であることは、残念なことだ。


 地雷禁止条約がこんなにはやく拘束力のある国際条約として成立したことは奇跡だといわれた。多国間条約のなかで、これほど短期間に発効した条約はないだろう。その背景には確かに一つの重要な変化がある。それは、「国家」主導から「市民」主導へという変化だ。
 第二次大戦後の国際社会は、東対西、南対北といった国家ブロック同士の対立から、個々の国々同士の政治的・経済的利害をめぐる直接対立へと変化してきた。国連や先進国首脳会議(サミット)、IMFやWTOなどの国際機関は、各国政府が力をためされる舞台である。
地雷が引き起こす害-特に一般市民への被害-は明らかに認められていたので、多くの人は「地雷禁止条約が世界中で施行されないかぎり、根本的な解決はありえない」と考えていた。そこで、唯一の有効な方法は、国連が以前から設置していた軍縮会議の交渉に、地雷問題も含めることだと思われた。だが、まもなく不満が起こってきた。軍縮について何年話し合っても、根本的な解決は何一つ生まれてこない。その原因は、核兵器や地雷の生産国が同時に軍縮会議の主要メンバーであり、国連安保理事会の常任理事国であるからなのだ。
 地雷禁止条約は、単なる新しい国際条約ではない。それは国際社会の権力中枢に対する根本的な変革であり、各方面に影響をおよぼした。その根底には、各国政府や官僚に対する不信感と、世界中の市民が連帯して組織化すれば変革を実現できるという信念があった。NGOはインターネットや国際会議を通じて、対話とオープンな情報交換をかさね、行動的なネットワークをつくりあげた。いわゆるオタワ・プロセス(地雷禁止条約交渉)が始まるとともに、政界への広範なロビー活動と、政府に対するあらゆる種類の平和的な圧力とが開始された。ICBLは世界中に支部ができて急速にひろまり、1997年にはジョディ・ウィリアムスとトゥン・チャンナレットがJCBLの代表としてノーベル平和賞を受賞した。そのすぐあとに地雷禁止条約が署名開始され、1999年3月1日に発効した。NGOのコミュニティがもたらしたこの成果は、世界中の市民が連帯行動のうちに働くとき、そこに希望が生まれることを証明した。このように前進が果たされたとはいえ、地雷問題はまだ解決されたわけではなく、政府とNGOが今後も引き続き関与していく必要がある。

 日本が地雷禁止条約に署名したのは1997年12月3日ときわめてはやく、98年9月30日には同条約を批准した。日本は2000年9月から、地雷被害者支援常設委員会の共同議長をつとめている。
日本政府は1998年以降、59万個の対人地雷を破壊し、地雷除去活動に6400万ドルを支出しており、新たな地雷除去技術の開発にも約500万ドルを支出している。JCBLをはじめとする日本のNGOは、2000~01年も地雷廃絶運動を活発に展開してきた。2000年の九州・沖縄サミットのときには、JCBLが国際シンポジウムを開いて、トゥン・チャンナレット、韓国対人地雷対策会議(KCBL)の代表、その他が参加した。このシンポジウムのテーマは沖縄の米軍基地に備蓄されている対人地雷であった。米軍は日本国内の基地に11万5千個の自己破壊型対人地雷(一定の期限がすぎると自爆するタイプ)を日本に備蓄しており、また、朝鮮半島での使用を想定して保持している120万個の非自己破壊型対人地雷の一部も日本にあると推測されている。
 JCBLは日本政府に対して、犠牲者支援活動とNGOに対する資金提供をより強化するようにと働きかけてきた。JCBLはカンボジアの地雷除去活動の社会経済的影響にかんする調査をおこなっており、タイと韓国の地雷廃絶キャンペーンがおこなった、地雷除去活動のための事前調査にも資金を提供している。難民を助ける会(AAR)などの他の日本のNGOも、カンボジアをはじめとする各国の地雷除去活動や犠牲者支援活動を、長年にわたっておこなってきた。最後に、それらのNGOのいくつかを列挙しておこう。希みの会/HOPE(義肢・装具製作支援)、日本赤十字社、人道目的の地雷除去支援を考える会(JADHS)、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)、日本地雷処理機構(JDA)などは、主にカンボジアに関わっている。また、ルワンダの障害者を支援するムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトもある。

●参考文献/『ランドマインモニター2001』ICBL編、2001年8月