阿部 慶太(フランシスコ会)

 今年2002年は、サッカーワールドカップの共催などから「日韓国際交流年」になっています。そのため、政治、文化、民間などの様々な行事が予定されています。たとえば9月、11月に行われる「日韓市民交流フェスティバル」など多くの行事が目白押しです。また、ワールドカップの大会運営ボランティアが一般から大量に参加するなど、ボランティアの働きも注目されています。
 さて、ボランティアでの日本と韓国・北朝鮮との交流において、1990年代初期からユニークな活動を続けてきた団体があります。大阪市生野区にある「コリアボランティア協会」です。同協会は、1991年に現代表の在日朝鮮人二世の書道家、康秀峰(カン・スボン)氏が設立したハンデキャップを持つ人のためのボランティア組織「コリア文化ホール」がその前身となっています。
 この組織が順調に活動する中でぶつかったのが「見えない38度線」でした。当時は在日朝鮮人が病気などで倒れても韓国系の医療組織では介護や看護が難しく、そうした国家間の壁を乗り越えるために「日本には南と北を隔てている38度線はない。今こそ互いに助け合うことが必要だ」と1993年末から各団体などへ呼びかけを続けました。これに対する反響は大きく、北朝鮮系の団体「大阪府同胞生活相談所」、韓国系の「在日韓国民主女性会大阪本部」などのほかに、日本やその他の国の300近くの団体の賛同を得て、1994年1月、同協会が結成されました。その後も協賛団体や個人は増え続けてゆきました。
 1995年の阪神・淡路大震災の際にも同協会は、炊き出しや仮設住宅への訪問や介護をする
など活動の範囲も幅も大きくなってゆきました。さらに、「多文化共生ミックス講座」(在宅介護と介護に必要な韓国語・朝鮮語の講座)、バザー、韓国の学生団体との交流などボランティア組織、しかもNPO法人ではない団体としては、飛躍的に活動の場を広げてゆきました。
 しかし、思いもよらないアクシデントで同協会は最大のピンチを迎えます。鍋底不況の風は、活動資金であるカンパを減少させ、と同協会の拠点である100㎡の事務所を奪ってしまいました。
 設立時に活動に共感して事務所を無料で貸してくれていたオーナーの会社が2000年5月倒産。オーナーが交替し、同年9月に立ち退きが決まったのです。立ち退き後、拠点を失った同協会はそれまで続けていた24時間体制での介護活動やシェルターとしての機能が不可能になりました。現在は仮設の事務所で7人のスタッフやボランティア登録をしている人々が通い、できる限りの活動を続けています。
 こうして拠点の規模の縮小と資金難の中で、スタッフやボランティアの手弁当の活動が続きました。2001年のボランティア国際年、再びこの国籍を越えたボランティア活動が注目され、浸透しつつあった介護保険制度の枠から外れる在日韓国・朝鮮人や日本人高齢者についてもマスコミで取り上げられました。そして、こうした流れは、今年2月に韓国の教会(プロテスタント)関係による、同協会の支援グループが発足するという明るいニュースをもたらしました。
 少しだけ追い風が吹いたものの、まだ、資金難で、発足が予定される支援グループの規模も未定のため前途は多難ですが、スタッフ達は非営利・無償のボランティア活動という理想のために必要な拠点(ボランティア・センター)設立と共に、韓国語でいう「サラン(愛)」の輪を広げるという大きなビジョンに向かって日々チャレンジを続けています。
*取材協力/鄭炳熏(チョンビョンフン)氏


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