前号でご紹介したように、本紙98号に死刑囚田中政弘さんの手記を掲載したのがきっかけで、「いのちの絵画展」とその関連行事が、イエズス会の学校などを中心に開催されることが決まっています。こうした動きをさらに大きく、日本のキリスト者と社会全体が死刑の問題を見直すきっかけにできないか-と考えた有志が集まって、「いのちの絵画展」2001キャンペーン(仮称)を作ろうとしています。当センターも参加を予定しており、正式な活動は3月からの予定です。
 その第一弾として、去る1月31日、東京のカトリック麹町(聖イグナチオ)教会で、ヘレン・プレジャンさんの講演会「罪、赦し、そして『いのち』」が開催されました。内容は次号で詳しくお伝えしますが、当日の様子などを紹介します。

 当日は約500名が参加し、会場のイグナチオ教会主聖堂はほぼ満席になりました。質疑も含めて約1時間半、参加者は文字通り熱心に聴き入っていました。
 プレジャンさんは最初死刑囚のカウンセリングを通して、この問題に関わりはじめました。1993年、ルポルタージュ『デッドマン・ウォーキング』を発表して全米に衝撃をもたらしました(この書名は、死刑囚が処刑のため呼び出されるときの掛け声からきている)。プレジャンさんはその後、死刑囚との交流を通して出会った犠牲者の遺族を支援する活動もはじめています。死刑囚と犠牲者遺族、両方に親身に関わった体験から語るプレジャンさんの言葉は説得力がありました。
 私が講演を通して感じたのは次の二点でした。まず、死刑問題を観念としてではなく、人間の現実の問題としてとらえることです。こんにち日本でも、凶悪犯罪が起こる度に「死刑」の問題が取りざたされます。マスコミは犯人の凶悪さを競って報道し、「犯罪者の人権より被害者の人権を」という意見が大手をふってまかり通ります。
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 しかし、そのどれほどが死刑の実態を知っているのでしょうか。当たり前のことですが、「死刑」もまた人の死です。生きている人間を殺すことなのです。プレジャンさんは処刑の間際まで死刑囚の手を握り続け、処刑の様子も見ています。死刑執行を仕事とする人の中には、精神を病む人も大勢いると、プレジャンさんは語っています。
 また、わたしたちは被害者の遺族の感情の重さも本当に理解しているでしょうか。プレジャンさんは、犯人の処刑を見てもなお「あんなに楽に死なれては気持ちが収まらない。地獄で永遠に焼かれてほしい」と語る遺族の話を紹介しました。プレジャンさんは、被害者支援運動の中で、被害者や遺族が犯人を憎むことを否定していません。同時に、憎しみだけでは生きていけない、「敵討ち」では遺族の心は本当には癒されないとも、プレジャンさんは語っています。
 もう一つは、「死刑」は社会をよくしないということです。犯罪を生み出すのは人間の心の闇です。プレジャンさんも、彼女が出会ったすべての死刑囚が回心して、聖人になったとは言いません。最後まで死刑に値するような人として処刑される人もいます。死刑はこの心の闇を解決するのでしょうか。それとも、ゴミを捨てるように犯罪者をこの世から抹殺するだけでしょうか。プレジャンさんは、「死刑によって犯罪は減らない。犯罪による死に、死刑という死を重ねることで、わたしたちの社会はより暴力的になる」と語っています。
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2月から、以下のような行事が開催されます。死刑をとりまく現実を真剣に見つめたいと思います。
(柴田幸範)

【麹町教会メルキゼデクの会・学習会】

(会場は信徒会館203B、時間は18:45~20:30)
●2/21(水)
「死刑囚・永山則夫さんとの交流を通して」(市原みちえさん・新谷のり子さん)
●3/7(水)
「被害者遺族が語る死刑廃止」(原田正治さん)
●3/21(水)
「死刑囚とのかかわりを通して」(榑林理恵子さん)
【いのちを語り合う会(ホアン・マシア神父)】

日時/4/205/186/15(いずれも金曜18:30~)
会場/上智大学カトリックセンター
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