ウー・パエ・ソン S.J. | ||||
北朝鮮の食糧事情は最近、改善されていますが、それはあくまで食糧がもっと不足 していた以前の状況にくらべればの話で、格段に良くなったわけではありません。北朝鮮 は依然として、国民の需要を満たすにはほどとおい食糧不足に苦しんでいます。今年はじ めに中国で会った北朝鮮難民からの話や、彼らを支援するいくつかの団体からの情報によ れば、北朝鮮の食糧事情は依然、きわめて危機的な状況にあるようです。だからこそ、国 連や米国、日本、韓国、その他の国や組織が、北朝鮮への食糧援助に多大な尽力をしてい るのです。私は、JRSも彼らのために何かできればと願っています。 |
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洪水がありまし た。そのため、北朝鮮の耕作可能な土地の大部分が被害をうけ、深刻な食糧不足が生じま した。このように、北朝鮮国民はよい収穫をあげるのに多大な困難に直面しました。 くわえて、1990年に東欧の共産圏が崩壊して、それらの国々との貿易が急減す ると、北朝鮮の経済は崩壊しました。北朝鮮には自力で干ばつと洪水から回復するだけの 力は、もはやないように思われます。 北朝鮮の食糧不足の状況は、地方に よって異なります。山がちで耕作地の少ない東北部の状況は特に深刻です。森林の多くが 山腹まで伐りたおされて、耕作されています。このため洪水がますます起きやすくなり、 その被害も大きくなっています。この地方では、市民はわずかに2日ごとに1食の食事を 政府から配給されるだけです。しかも、それは労働している人だけです。 北朝鮮の経済が回復するのはきわめ て難しいでしょう。ある鉱夫が私に語ったところでは、坑道の水をポンプで汲み出そうに も、電気が止まっていてだめなのだそうです。 |
電気が通ったとし ても、ポンプがないそうです。中朝国境近くの工場は、外貨獲得のために中の設備をすべ て中国に売り払ってしまい、もぬけの殻です。農業機械も肥料もありません。状況は悪化
しつづけるばかりです。 深刻な飢餓がおそって以降、親をなくした多くのホームレスの子どもたちが国中を さまよっています。むろん、ホームレスの大人も。彼らは、北朝鮮にとどまって飢え死に するより、中国へ逃げようとして死ぬ方がましだと考えています。逃げる途中で死んだ り、国境で北朝鮮警察に殺された人も多いことはみんな承知しているのですが、それでも 大勢の飢えた人々が、食糧を求めて北朝鮮から中国へ逃げ込みます。 ●延吉(北 朝鮮国境近くの中国の都市) 延吉には10万~20万人の北朝鮮難民がいます。彼らは中国警察から身を隠さなけれ ばならないので、正確な数は誰も知りません。もし警察にみつかれば、彼らは北朝鮮に送 還され、恐ろしいことに北朝鮮警察の手で拷問されるのです。彼らは中国市民に物乞いを して暮らしています。冬になれば気温はマイナス20~30度にもなり、難民の困難はま すます深刻になります。 |
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ワーカーたちは、難民だけでなく北朝鮮国内の人々にも、いくつかの日用品(せっ けんや基本的な薬など)を与えています。また、一部の難民にはせっけん工場で職を与え ています。彼らは食糧その他の日用品をたずさえて、直接に北朝鮮に入っています。韓国 人にとっては、政治事情のために北朝鮮への入国がほとんど不可能である一方、中国人や 米国人、在外韓国人にとっては入国は簡単です。そこで私は、JRSの名前を使えば、韓 国人が北朝鮮に入国するのは簡単になるのではないかと考えました。たとえば、米国のプ ロテスタント系NGOであるマーシー・コープス(神の恵み部隊)は、北朝鮮の首都ピョ ンヤンにさえ事務所を開いて、延吉でも活発に活動しています。彼らは200人の人々を 世話し、北朝鮮のためにいくつかの農場を運営し、難民や北朝鮮市民に食糧を提供してい ます。彼らは中国警察とも良好な関係を結んでいます。 さらに、いくつかのプロテスタント・グループも病院や託児所を建設しています。 |
私たちは、中国カトリック教会やマーシー・コープスのような団体と協力して、食 糧や衣料、保護や教育などの分野で難民を支援できます。1年か2年後には、韓国人のイ エズス会神父が延吉に住んで、北朝鮮人のために働くこともありうるでしよう。 マーシー・コープスは私たちに、人間の価値などといった事柄を教える教育プログラ ムの分野で協力してほしい、と要請しています。彼らはまた、延吉では韓国語の出版社が ないので、韓国語の本を求めています。 最近、南北首脳会談が開かれて以降、韓国人の北朝鮮難民への関心がうすれていま す。韓国からの支援が減れば、多くの難民が現在うけている支援を失うでしょう。マー シー・コープスは事態を憂慮しており、そうした難民をどのように受け入れ、保護するか を検討しています。こうした分野で私たちはマーシー・コープスを手伝えます。 そして、中国カトリック教会も、難民支援に困難を抱えています。韓国からの支援 があてにできないので、体系だった計画を立てることができないからです。だからこそ、 彼らは確実な支援を求めているのです。 ●北 朝鮮で 先に書いたように、韓国人が北朝鮮に入国するのは簡単ではありません。 |
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けれども、JRS の名前でならば、もっと簡単に入国することができるのではと思います。私たちは病院や 他の必要な施設を建てることができます。あるいは、直接に食糧を配ることができます。
あるいは、農業技術や他の専門分野の教育をおこなって、経済を改善し、貧困や飢餓を緩 和することができます。北朝鮮政府には、宗教の問題を懸念している様子はみられませ
ん。実際、ある朝鮮系中国人の神父は、ローマン・カラー(詰め襟の司祭服)を着て延吉 から北朝鮮に入り、飢餓救援の食糧を配っていました。彼は北朝鮮政府から歓迎されてい
ました。 私たちが北朝鮮国内で市民を支援するなら、北朝鮮難民の支援は事実上できなくな りますが、そのかわり難民問題の根っこに取り組むことができるでしょう。 |
延吉でもっとも印象的だった出来事は、北朝鮮共産党の党員だった夫婦と会ったことで した。彼らは延吉に娘さんをさがしに来ていました。娘さんは食糧を求めて延吉に来たそ
うですが、彼らが聞いたところでは娘さんは誰かに売られてしまったそうです。彼らは共 産党員で、高校の教師であり、少なくとも北朝鮮では中の上の階級でした。それでも食糧
がなかったのです。彼らの二人の息子は飢えで亡くなりました。その一人は6歳だったの ですが、「ママ、もういっぺん、おなかいっぱい食べてから死にたい」と言って亡くなっ
たそうです。この話をそのお母さんから聞いて、私はどうしようもなく悲しかったので す。いったい、一人の人間が夢見ることが、たった一度おなかいっぱい食事することでし
かない、という事態がどうして許されるでしょう。彼らの息子さんはそうして亡くなった のです。彼らは、自分たちは木の皮を煮て食べていたと言いながら、見たこともないほど
哀れなようすで泣きました。でも、私たちは心と心で語り合うことができたのです。 私は、JRSも延吉の難民や北朝鮮国内の市民に何かしてくれるよう願っていま す。彼らは本当に貧しく、イエス・キリストの愛を必要としているのです。 (JRS年次集会へのペーパーから)
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