田中 政弘(東京拘置所在監)

 あなたは、「いのちの絵画展」を知っていますか? 「いのちの絵 画展」とは、一言で説明するならば、死刑囚が描いた絵ばかりを集めた絵画展です。この 絵画展は、日本全国を巡回する巡回展でもあります。
 一口に死刑囚と言っても、死刑囚にも色々と違いがあります。例えば、既に死刑 が執行されて亡くなられている死刑囚、そして、今日明日にも死刑が執行されてもおかし くない、裁判で死刑が確定した確定死刑囚、そして最後に、一審の裁判で死刑を言い渡さ れたものの、その後上級審に上訴して裁判中の未決死刑囚です。
 私自身はそれのどれに当て嵌まるかと申しますと、こうやって文章を書いている 訳ですから執行された死刑囚ではありません。 
 かといって未決死刑囚かと言うと微妙なところがあります。と言うのも、これを 書いている2000年の9月中旬の時点ではまだ未決囚ですが、この文章が皆様の目に届 く頃には確定死刑囚になっているからです。
 どういうことかと申しますと、2000年9月8日に私の最高裁判所での判決が あり、上告棄却の判決が言い渡されました。
 そういうことから私は今、明日にもやって来るかも知れない確定処遇の通知を、 待ちたくもないのですが待っているところです。
page - 1 -
 そして、この確定処遇になると はどういうことかと申しますと、今度は何時やって来るやも知れぬ死刑の執行を、毎日命 を縮めながら待つと言うことです。一日過ぎればそれだけ執行の日が近付く訳ですから、 命を縮めながら執行を待つというのは、言い得て妙だと思います。そして確定処遇に入り ますと、それまで自由だった面会・差入れ等が大幅に制限され、親族の者以外の人との交 流は一切認められなくなります。我々獄中者にとって、これが一番辛いことです。
 さて、話を「いのちの絵画展」に戻しましょう。この「いのちの絵画展」には、 先ほど書いた執行で亡くなられた死刑囚を含め、確定死刑囚、未決死刑囚の人達19人、 作品点数にして約130点近い作品が出品されています。
 そしてそれらの絵には、上手いものもあれば下手な絵もあり、中には上手い下手 を超越して人を魅了するような絵もあります。 それぞれとても個性的な絵の集 まりで、これほど風変わりな絵画展も珍しいでしょう。
 私も一応何点か出品させて頂いていますが、私の絵は自分で言うのも何ですが、 少しは上手いと思うものの、ちょっとおもしろ味に欠ける絵ではないかと思います。
 処で、ここから少し私のことに ついて触れましょう。私が絵を描き始めたのは今から5年半前のことで、それまでは絵心 とか絵を描くということは全く無かったのです。
 一番最後に絵を描いたのは、中学の美術の時間に描いたのが最後で、それも、当 時の私の絵はとても人に見せられるような上手いと言える絵ではありませんでした。それ から10数年の歳月が経ち、獄中で未決死刑囚となっていた私に、あるシスターの方が1 冊の本を差入れて下さいました。その本が、恐らく皆様も御存知の本とは思いますが、口 にペンを銜えて絵を描き続けている星野富弘さんの闘病記を記した『愛、深き淵より』で した。私はこの本を読んで、体が震えるほど感動しました。そして、それまでの自分の生 き方を全面的に見直させられました。
 『愛、深き淵より』を御存知でない方のためにその本の内容を要約しますと、大 学を出たばかりの新任の体育教師だった星野さんが、赴任して僅か2か月後の6月、放課 後のクラブ活動中の事故で首の骨を折り、首から下が完全に麻痺してしまったのです。
page - 2 -

そして、絶望の淵にあった星野さんですが、多くの人の励まし を受け、そしてある時どうしても字が書きたくなり、色々と考えた挙げ句、唯一自由にな る口にペンを銜えて字を書くことを考え付きます。それ以来、口にペンを銜えて字は勿論 のこと、見事な絵を描きそれに自作の詩を付け加えています。そして、これまでに何冊か の詩画集を出版されています。
 私はこの星野さんの『愛、深き淵より』を読んだ時とても感動し、そし て自らのだらしなさを恥じたのです。首から下が完全に麻痺している星野さんが、唯一自 由になる口にペンを銜えて見事な絵を描き詩を書いているのに、五体満足の私は獄中に あって環境的・条件的には不自由をしているとはいえ、“このままノホホンと生きていて いいのだろうか?”“私も何かしなくちゃ”と思うようになったのです。それまでの私は と言えば、一審で死刑判決が出されていたこともあり、人生を投げやり態度で生きてお り、毎日本ばかり読んで過ごしており、何一つ生産的な生活を送っていなかったのです。 “星野さんのように体の不自由な人でさえ前向きに頑張って生きているのに、私は今のま まで良いのだろうか?”と思うようになり、“私も何かしなくちゃ”と居ても立ってもい られず、それで星野さんに倣って絵を描き始めたのです。
 尤も、獄中で出来ることというのは非常に限られており、絵を描く以外に他の方法が無 かったというのもありますが…。
 因みに、獄中(東京拘置所)て使用出来る筆記具は、黒と赤と青のボールペンと黒のサ インペン、筆ペン、シャープペンシルだけです。
 青のボールペンにしても、使用出来るようになったのは1999年の12月からで す。
 ボールペンでさえそうなのですから、絵の具や色鉛筆などは全く使用させてもらえず、 何度も使用させて欲しいと頼んでいるのですが許可が出ません。絵の具までは無理でも、 せめて色鉛筆が何色か使えるだけで、“絵に幅や奥行きが出せるのになぁ…”と思いま す。残念です。処で、私が絵を描き始めた動機は今も書きましたように星野富弘さんの本 を読んで感動し、自分も何かしないではいられなくなり、それで星野さんに倣って絵を描 き始めた訳ですが、最初から上手く描けた訳ではありません。何しろ、絵を描くこと自体 10数年ぶりでしたし、その10数年前の昔も決して絵が上手い方ではなかったのです。
 いえ、正直に言うと、下手でした。
page - 3 -
 そんな私が、短期間で絵が上達したのは、やは り神様のお導きではないかと思います。星野さんの本を読んだ時にしても、普段の私な ら、いえ、少なくともこれまでの私なら感動を覚えたにしろ、だからといって自分がそれ で何かをしようとは思わなかったと思います。そんな私が、とにかく居ても立ってもいら れなくなり、星野さんに倣って絵を描き始めたのも、そして短期間で絵が上達したのも、 全て神様のお導き以外の何物でもないと考えています。そうでも考えないと、10数年も 絵を描いていなかった私が、昔から絵を描くのが苦手だった私が、そんなに短期間で絵が 上達する訳がないのです。このことも、私がキリスト教へと導かれた切っ掛けになったと 思います。言い忘れましたが、私は絵を描き始めた後、縁あってカトリックの個人教誨を 当所内で受けており、99年4月には洗礼の恵みにも与りました。
 絵を描くようになった動機は星野さんの本を読んだからですが、その後、絵が上達する につれて人から“上手い”と言われるようになり、それですっかり自信を持つに至り、今 では絵を描くことが楽しくて仕方ありません。
 そして、私が描く絵は、私が生きていたという証なのです。そして、今は全く交 流を持っていない中学生になる息子に対して、“父(私)は殺人という重大な事件を起こ して死刑囚となったが、後にはこういう絵を描けるような真人間に返れたんだ”というこ とを無言の内に絵に込めて伝えたいと思いつつ絵を描いています。そういうことから、絵 を描いている時は一本一本の線を大事に描いています。そして、絵を描いているとそのこ とに集中出来、嫌なことも何もかも忘れられるのです。もし私が絵を描いていなければ、 いえ、星野さんの本に出会っていなければ、私はまだ昔のままの投げやりで怠惰な生活を 送っていたに違いありません。そういう意味において星野さんの本には感謝しなければい けませんし、星野さんの本を差入れて下さったシスターにも感謝せねばなりません。
page - 4 -

 処で、獄中で絵を描いている人は割と多いので す。何しろ、獄中ではすることが無いものですから、少しでも絵心のある人は絵を描き、 俳句や短歌を嗜む人は歌を作っています。で、絵を描いている死刑囚の中には、何を勘違 いしているのか、絵を描くことを罪の償いと捉えている人がいるのです。
 私は“何を勘違いしているのだろう”と思ってしまいます。絵を描いたからと いって、罪の償いには決してなりません。我々獄中者が絵を描いているのは、飽くまでも 自分の主張したいことを言葉ではなく絵によって伝えているだけのことであり、絵を描く ことによって罪の償いをしているなどと思うことなど、おこがましくて考えるだけで恥ず かしくなります。私はそう思います。
 人の命を奪った者の罪の償いが絵を描くことだとすれば、その殺された人の魂は 浮かばれません。それどころか、逆に死者の魂を更に冒涜しているように思えて仕方あり ません。人のことはともかく、私はそのようにはなりたくないと思っています。
 それでは、「死刑囚にとっての罪の償いとは何であるのか?」と聞かれれば、正 直言って今の私は言葉に詰まってしまいます。
 と言うのも、何か物を壊した、物を盗んだ、あるいはなんか損害を与えたという ようなものであれば、それを弁償することで償いは出来ると思うのですが、しかし、人の 命を奪ってしまった我々には、その人を生き返らせる力はありませんしそんなことは不可 能な話です。
page - 5 -
 つまり、私は人の命を奪ってしまった者には、罪の償 いの道は無いのではないかと思います。裁判の判決では「自らの命をもって償いをしろ」 と言っていますが、果たして私達の命をもって罪の償いが出来るものなのでしょうか。私 は先の言葉が、裁判の、判決の常套句ではないかと思います。
 我々が死んだ(死刑が執行された)からといって、殺された人が生き返る訳では ありません。私は自分の命が惜しくてこんなことを言っているのではありません。
 私が死ぬことによって被害者の人が生き返るのであれば、今直ぐにでも自らの命 を捧げます。ただ、罰として命を奪われるというのは、なんだか不本意な感じがするので す。それで本当に罪の償いになっているのでしょうか。被害者は浮かばれるのでしょう か。被害者の遺族は、それで全てを忘れられるのでしょうか。納得できるのでしょうか。 何も無かったと考えられるのでしょうか。
 被害者やその遺族に対しては、当然のことながら大変申し訳ない気持ちで一杯で す。もし私の命と引き替えに被害者が生き返るのであれば、今直ぐにでも私の命を捧げた い気持ちです。そして、私の事件と似たような事件が起きたのをラジオのニュースなどで 聴きますと、自分の事件のことを思い出して胸が締め付けられ居たたまれない気持ちにな り、自分のことは棚に上げて、「世の中の人々は、こういうニュースを聴いたりしている のに、どうして人間とは同じ過ちを繰り返すのだろうか?」と、不思議でもあり情けなく もあります。
 私は今、クリスチャンとなったということもあり、朝晩には必ず被害者の冥福の ためにお祈りを捧げています。勿論、祈りを捧げたから自分の罪が消えて無くなるだとか 被害者が生き返るということは決してありませんが、今の私に出来ることは祈ることぐら いしかなく、(ぐらい、という言い方は不適切かも知れませんが…)とにかく祈ることに よって被害者の霊も慰められるでしょうし、私自身の気持ちも落ち着くというか、私自身 も救われるような思いなのです。
page - 6 -
  そしてまた、祈らずにはいられないのです。 最近では、キリスト教の祈りというのは、人のためだけでなく、自分のためでもあるのだ ということが判って来ました。
 今でこそ、そこまで考えられるというか判るようになりましたが、私は当所内で 個人教誨を受け、そして洗礼を受けるまでは、それは自分勝手で投げやり的な考え方をし ていました。例えば、「自分はどうせ死刑になるんだから、だったらそれで(被害者と) おあいこだ」という風に考え、自ら反省することを放棄し、毎日、娯楽小説を読み漁り時 間を潰し過ごしていました。
 しかし、当所内で個人教誨を受けるようになってからは、そして現在の妻と知り 合い交流を続けて行く中で「このままではいけない」と思うに至り、それもあって洗礼を 受けることにしたのです。それまでの私は、無神論者というのでもないのですが、全く神 や仏などというものを考えたことも無い、いわば自分さえよければ、今さえよければ…と いうような、自己中心的な考えの人間でした。
 そういう状況から目を醒まさせてくれたのが、面会に来て下さるシスター達であ り、個人教誨の教誨師である神父様であり、私の妻の存在でした。彼ら無くしては、今の ような考え方の私は有り得なかったと思います。恐らく、今でもまだ自堕落な生活を送っ ていたのではないかと思います。
 今ではそのことを含めてより深くより強く反省していますし、これからも反省を 続けていくと共に、被害者の冥福を心から祈っていきたいと思っています。
 最後になりましたが、私のような者にこのようなものを書くチャンスを与えて下 さいましたイエズス会の神学生で、現在上智大学で哲学の勉強をされている片柳さんにお 礼を申し上げます。どうぞ良い神父様になって下さい。そして、これを読んで下さった皆 様の元に神様の恵みがありますことを、心よりお祈りしています。
200 0年9月17日
page - End -