ミンダナオ島における先住民への宣教

 私は昨年、イエズス会修練者と して1ヶ月の間ミンダナオ島の宣教地区に派遣された。イエズス会フィリピン管区はミン ダナオ島において2つの宣教地区を持つ。ザンボアンガ地区とブキドノン地区である。宣 教師達はこれらの地域で、文明から孤立した生活を営んでいる原住民達への宣教活動を 行っている。私はこのうちのブキドノン地区にあるカバングラサン村に派遣された。カバ ングラサン村はブキドノン州の州都、マライバライからジープで2時間ほど舗装されてい ない山道を行ったところにある。この村の小教区であるグアダルーペ教区を任されたイエ ズス会員、マット神父はこの村を拠点にして山岳地帯に住んでいる先住民達の村々をオー トバイや徒歩でまわりながら宣教活動をしている。この地域にいる先住民はウマヤム族と 呼ばれている。私はマット神父とともにこのウマヤム族の村々を訪ねることができた。以 下ではこの時の経験の中から、特に奥地の村への宣教旅行のことを紹介する。
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 私の滞在していたカバングラサン村 は、先住民の地域と移民の地域の境目にある村である。カバングラサン村の東の端にプー ランギ川と呼ばれる大きな川が流れており、この川に人間とオートバイだけがかろうじて 渡れる吊り橋がかかっている。この吊り橋を渡ると、そこから先は先住民達の世界であ る。この橋から先では車は使えず、電気ももちろん通っていない。この橋からオートバイ の荷台に揺られて1時間ほど山道を登って行くと、戸数15軒くらいの小さな村、カラカ パン村につく。
この村を出発点として、今回マット神父はここからさらにジャングルの中を徒歩で 12時間あまり行ったところにあるミンサルアイ村まで宣教旅行する計画を立てていた。 私がカバングラサン村に到着する少し前にマット神父のもとにミンサルアイ村の酋長(現 地の言葉でダトゥ)から、援助を求める使者が送られてきたのが今回の宣教旅行のきっか けだった。
 マット神父自身に とってもまだ3回目だというこの奥地の村への宣教旅行に参加できたことは、私にとって 非常に幸運なことだった。マット神父は基本的に先住民達からの要請に基づいて、言葉を 教えたり衣料品を供給したりすることを通して宣教活動をしている。彼のもとには、先住 民の中から選ばれてカバングラサン村の学校で勉強したことのある若者達が10数名、宣 教のためのスタッフとして働いている。彼らは村々に分散して住みながら先住民達に言葉 を教えたりしており、マット神父は彼らのところを回って歩いている。
カラカパン村で私達は、宣教スタッフとポーターとして今回雇った先住民達からな る12人のパーティーを組織した。まず初日、私たちは2時間ほど歩いて隣の村であるカ タブララン村まで進んだ。ここで1晩すごした。この晩私はとても神秘的な光景に出会っ た。1本の大きな木の周りに何千という数の蛍が群がって、木があたかもクリスマスツ リーのように光っていたのである。今から思えば、これが今回の宣教旅行の中で唯一の平 和な夜だった。
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  翌日の早朝、私たちはミンサルア イ村を目指して出発した。村を出てしばらくは、狭いにしても山道があった。しかしすぐ にその道すらなくなり、私たちはジャングルの中の獣道、前に行った人が踏み分けただけ の道を歩かねばならなかった。ぬかるんだ急な下り道を私たちは谷底を目指して降りて 行った。道の両側には棘だらけの草が生えている。転べば体中傷だらけにならざるを得な い。私は何度か滑って、傷だらけになってしまった。

 1時間ほどこんな道を行って 谷底のカタブララン川にたどり着き、これから目的地まではこの川沿いに下ると聞いたと きは安心した。河原でも歩くんだろうと思ったからである。しかし、これは大きな勘違い だった。この川は、これから始まる本当の危険の始まりに過ぎなかったのである。まず、 谷底の急流に河原などはなかった。私たちはごつごつした岩だらけの川の中を歩きながら 下って行かなければならなかったのである。岩は苔などが生えて滑りやすく、先住民の ポーターに手を引かれながら進んでいくのがやっとだった。さらに所々には滝や、歩いて 渡れないほどの深みもあった。そのような場所では、川の両側にあるきり立った岩を登っ て難所を回避していかなければならなかった。この岩上りと、滑りやすい岩の壁面をわず かな窪みだけを足がかりにして進んで行くということが、この宣教旅行の中の本当の危険 だった。

足を踏み外せば 谷底のぎざぎざした岩に叩き付けられるか、激流に転落してしまう。実際私たちがこの旅 行に出る半年ほど前、この地域で単独で宣教旅行をしていたイエズス会員が岩から落ちて 脊椎を損傷するという事故も起こっていたのである。この事故のことも聞いていたので私 は慎重に進んだのだが、それでも一度岩から滑り落ちて脳震盪を起こしてしまった。だが 幸いにして軽い脳震盪だけですんだらしく、30分ほど休んだだけでまた歩き始めること ができた。あの時足でも折っていたら、今頃こうして報告書など書いていなかっただろ う。

このような道が3時間ほど続い たところで、私たちは小さな河原を見つけ昼食をとった。マット神父はこの時「もうとて も危険なところは過ぎた。これからは楽だよ。」と言ってくれた。しかし、これは私を励 ますために言ってくれただけだということがすぐに明らかになった。同じように危険な道 があとさらに3時間ほど続いたからである。やっと河原を見つけたときには本当に安心し た。

河原を2時間ほど行ったところ、カタブララン川とウマヤム川の合流点に私たちのめざ したミンサルアイ村があった。ウマヤム族の名はこのウマヤム川からとられたのである。 村人達は私たちを音楽で迎え入れてくれた。

 この村は本当に原始の村だった。村人達はイノシシや蛙の丸焼きで私たちをもて なしてくれた。翌日には、米の収穫を精霊に感謝する祭りが行われ、いけにえの儀式など も行われた。マット神父はこの祭りの後で、この村で初めてのミサを立てた。電気もトイ レも何もないところで、高床式住居にとまって数日を過ごすことができたのは得難い経験 だった。
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 今時「ミッション」でもあるまい、という意見もあるかもしれない。精霊崇拝を 続ける人々を改宗させることに意味があるのか、ということは問われるべきであろう。し かし、私が見た限りマット神父の宣教は文明化されたいとの先住民達の希望ともあいまっ て、自然な形で行われていたと思う。キリスト教を、自分達の崇拝している神の真の姿を 教えてくれるものとして受け入れる人々も多い。

 もちろん宣教活動にともなっていろいろな問 題が起こることは確かだ。たとえば私が知り合い、今も文通を続けているウマヤム族の少 女は、町での勉強の後、都会の大学に進んで医者になりたいと希望している。しかし、酋 長の娘という立場ではそれはきわめて難しい。勉強をしても、やがては原始の生活を続け ている村に戻って、村の男の嫁として生涯を過ごさなければならないかもしれない。

 また先住民達のなかには、もちろんキリスト教をよく思っていない人々もいる。 先祖から教えられた精霊崇拝を冒涜するものと感じるのだろう。私たちの宣教旅行中に も、そのような先住民達が私たちを誘拐しようとしているといううわさがあった。

 さまざまな問題を抱えながらも、マット神父は今日もミンダナオ島の奥地を歩きま わっていることだろう。現代にもこのような宣教師がいるのだということは、覚えておい てもいいだろう。
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