タイトル
阿部 慶太(フランシスコ会)


 この6月は、韓国・北朝鮮にとって、南北の国家元首の会談という歴史的な出来事がありましたが、この会談の翌日、6月16日に韓国・ソウルを訪れ、そこで見た南北分断から55年、朝鮮戦争から50年目と言われるソウルの様子を報告したいと思います。
 まず今回、韓国・ソウルに行ったのは、現在関わっているオモニハッキョのスタッフの研修旅行のためで、研修の日程が会談後の翌日6月16日になったのは偶然の事でした。
 しかし、そのおかげで、この国の南北統一への想いや朝鮮戦争から50年という歳月を刻んだ様子を見ることが出来ました。
 まず、南北統一への想いという点では、日本でも報道されたと思いますが、ソウルの繁華街・ミョンドンで、統一への想いを綴った寄せ書きや垂れ幕をいくつも見ることができました。
 また、旧朝鮮総督府の建物を壊し、かっての王宮である景福宮の再建が、韓国大手の現代グループの建設会社を始めとする韓国の建築技術の粋を集めて行われていますが、この工事フェンスを囲むように、民間のボランティアによる南北統一をテーマにモザイクや絵のパネルが次々と並べられ、作成されていました。
 以前、阪神・淡路大震災の時に工事フェンスに絵を書いて殺風景な町を明るくしようという「お絵書きプロジェクト」のような感じで、青年達がパネルに向かって作業を続けていました。作業は楽しそうに進められ、景福宮を訪れる人々もその風景を楽しんでいました。こうした光景からハングルが分からない私にも、統一を願う人々の気持ちが、寄せ書きや垂れ幕、そして大きなパネルの絵を通して伝わるものがありました。
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 こうしたプロジェクトは、5年前に訪れた時と明らかに違う印象を受けました。というのは、5年前はかっての植民地支配のシンボル旧朝鮮総督府の建物を取り壊すことで忌まわしい過去を拭い去るという側面がありましたが、今回は再建中の景福宮を囲むフェンスのテーマから、21世紀の国作りや新しい創造という印象と未来へ向かう韓国の希望というものを感じました。また、以前に比べて日本語の表示や博物館などでも日本語の通訳無料サービスなどが増えた点から、この国のかっての傷痕が少しは癒されてきたのかな、という印象を受けました。
 次に、ソウル市内の主な施設で、かって朝鮮戦争に従軍したアメリカ軍のOB達がツアーで訪韓している風景にも出会いました。彼等は75歳前後の老人になっており、ある人は感慨深げに風景を見つめ、ある人は周辺の小中学生達に「朝鮮戦争を知っているか?」「私達はかってこの国のために戦いました」などゆっくりと英語で一生懸命話しかけていました。それを聞いていた小中学生達とOB達との意識の差も見ていて面白いものがありました。
 つまり、小中学生達にとって、この国が北朝鮮との間に緊張関係があったとしても、朝鮮戦争の話自体は遥か大昔の出来事という印象だったのです。「学校の授業で聞いたことがあるけれど、良く分からない」というような受け答えが多かったのは、英語力の問題もありますが、それを差し引いても、老人が子供に昔話をしているような印象や、小中学生達とOB達の間にある50年という歳月の大きさを彼等のやりとりから受けました。時代は大きく変わっているのです。
 しかし、変わっていない部分もありました。かっての従軍慰安婦の賠償問題を巡る座り込みが、現在も毎週1回、従軍慰安婦だった人々と支援者によって、日本大使館前で行われているのです。
 この7月に、富山県のある企業と強制連行によって働かされた人々の訴訟で、賠償金を出すことで和解が成立したケースがありましたが、このケースの場合、和解するということにより、過去の償いを果たす道を示していますが、この従軍慰安婦の賠償問題では和解の道さえ示されていないケースがまだ存在し、闘争が継続していることを示しているといえます。まだ終わらない戦争がここにあります。
 以上、南北会談後の韓国・ソウルの様子を紹介しましたが、今回は希望に満ちた未来へ向かう面が強く現れていた韓国という部分と、まだ残る戦争の傷痕や日本が果たしていない戦争責任という部分がまだまだあるという点から、南北統一の希望、過去の戦争の傷痕の両面を韓国は持っているのだ、ということを再認識した次第です。
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