社会司牧通信 No 94  2000/2/25
 下関便り…(16 )


   東ティモールを行く

林 尚志(イエズス会労働教育センター)

 東ティモールの状況は日々変っているようだ。西ティモールでの東ティモール人の状況も不安定だ。インドネシア全体の緊張が大きく、いつものことだが、情報の波の中で浮き沈みする頭が見える程度で、溺れないかと心配だ。そんな時、昨年の11月下旬の現地訪問の報告はピント外れかも知れないと思うが、少し分かち合ってみたい。

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 下関の仲間に送られ、関空(関西国際空港)からブリスベンを経て、11月19日、ダウィンから国連のチャーター機に乗せてもらい、バウカウ経由でディリ空港に立つ。多国籍軍の管理下のそこは、以前のインドネシア支配下の不気味な緊張はないが、すっかり変ってしまった。兎に角、日本のNGO、AFMET(東ティモール医療友の会)の車に便乗させてもらい、コモロのサレジオ会の施設に行く。半分は焼かれ破壊されている。難民たちが多く待機している。
 神学校が無事と聞いていたので、其処へ向かう。上空からも見えていたが、市内は実にひどく破壊され焼かれている。路上の果物の出店や動きの始まっている市場に安心しながら、すっかり壊された町をバリデ迄行く。車は殆ど通らないが、歩く人々の表情は明るい、特に子どもたちのそれが。イエズス会員に会い、やはりホッとする。破壊されず焼け残った神学校は市内でもっともいい建物の一つだ。教区司祭ジョビト達が必死で守ったからだと聞く。
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 早速、9月11日射殺され帰天された、カリム・アルブレヒト神父の墓参りに、バグス神学生とタイベシのイエズス会レジデンスへ行く。「あなたがこの次ここに来る時は、私はもういないだろう」と言われた、8月下旬のコモロ空港でのカリム神父との別れが甦り、つらい。60歳で新しい任地としてラハネの元神学校の院長に赴任したときからの交流を、これからの東ティモールの為に実らせたいと思っていた矢先のこと。なにかぽっかりと穴が空いた感じだ。でも留まれない、ティモールの人々を思う彼の心を受け継いで進むしかない。
 イエズス会経営の聖ヨゼフ高校の校舎には200名程の生徒が泊り込み、エドゥ神父が寝食を共にしていた。なにか強烈な体験を潜り抜けた表情がこのフローレス人に刻まれていて、今迄数回も会った彼とは違っていた。きっと彼のフリュートの音は悲しも含んだ喜びを告げるだろう。ポルトガル人フィルゲイラス神父は少し太り髭をたくわえていた。91年以来始めて感じる、ゆったりとした宣教師の姿だった。ジャコブ・フィロメノ神父は投票前の超多忙と苦悩の緊張から、今度は破壊と無からの再構築に向けて山積する課題の前に緊張しつつ、やはり超多忙の人だった。JRSは着実にその使命を展開していた。

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 国連の暫定行政機構の歩み、諸NGOの展開、東ティモール人の人間として生きる基本的条件=BHNs(Basic Human Needs)の欠如への取り組みを見るとき、住民投票の独立選択の圧倒的・歴史的勝利は自由と解放の喜びをもたらすはずが、なんでこんな破壊と暴力的・悪魔的復讐をゆるしてしまったのかと、慙愧(ざんき)の極みだ。国際社会の他国の状況、他国の人間や自然への配慮と連帯は、20世紀が取り組みだした生き方だったが、その脆(ぜい)弱さを曝け出した。
 延期前の住民投票予定日だった8月22日頃にレテホホに入った道を、今回はエルメラへと向かう。途中、日本からのUNAMET(国連東ティモール派遣団)要員の一人、黒田氏が約2ヶ月勤め上げ、現地国連スタッフをかばって負傷した場所であるグレノは廃虚となり、雨季の雨の中人影もまばらだ。エルメラ同様、強制的に西ティモールへ連行された人々は未だ帰還していない。なんと言っても輸送手段の欠如が大きなダメージだ。国連関係や外国のNGOは車を持っているのに、現地の民衆で一番必要な場所・状況が分かっている人々が、車を持てずに手をこまねいている。援助・支援する側がするのか、必要とする側の民衆が自分達の方法で、支援者の協力を得て復興への仕事をするのか。誰かが「東ティモールも、きっとまた、国連関係とNGOの草刈り場になるのではないか」と心配顔をしたことが思い出された。
 どこからか、車の販売・レンタルをする人が入り込んで来ていた。宿泊施設・物資特別販売所(PX)もあり、そこに出入りするには特別のIDが必要という。僅かの米と野菜と一週間一つの卵でも有り難い、勿論ビールなどない生活の人々もいる現地の困窮状態と、余りにもかけ離れた生活をしながらの支援活動は、いつものことながら改めるべきだ。でも、あんな重たい自動小銃を何時どこでもぶら下げて行動すればお腹が空くだろう。多国籍軍の派遣は遅すぎたが、民兵とインドネシア国軍の暴力を追い出した。シャナナ氏も言うように、武器を使用しての治安は必要最小限度にとどめて、できるだけ速やかに民生復興に力を投入することだ。

 住民投票直後は、その圧倒的勝利の中で家族と共に喜びと希望の中にありながら、その後公然と殺されていった人々の遺族の心の傷は深く、慰める言葉がなかった。この四半世紀の東ティモールでの人権への犯罪は、民間集団であろうと国家であろうと裁かれなければならない。私は日本政府と日本人の、東ティモールでの人権侵害への共犯性をはっきりさせる必要を感じる。私の無関心・無行動を謙虚に明らかにしておかねばならない。どれだけ償えるか分からなくても。性犯罪を始めとする人権侵害が女性に与えたトラウマへの癒しと回復のための、女性自身による立ち上りが、現地で起こっていた。あちこちに日本軍占領下の跡を見、日本軍から人権侵害を受けた高齢の体験者に出会う時、永い永い植民地主義と20世紀の人類の未熟さのつけを何らかの方法で払わねばならないと痛感した。
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 東部の小さな医療支援のNGOの働き手の看護婦さんが一人で現地フィロロのスタッフと協力して、3時間も列を作って待つ人々の中にいた。言葉が不自由で医師も不在でも、精一杯できることをされていた。「薬よりきれいな水と栄養が必要なのに」、次々と送り込まれてくる、抗生物資を始めとする東ティモールの人が普段服用したこともない薬。「このままではティモールの人々が薬信仰になってしまう。現地のスタッフに、注意するようにと説明してもらいたいのだけど…」とのこと。このように第一線で医療支援に生きる人の心を動かすものが、日本の多くの人々にも分かち合われたら、日本人は少しでも心が豊かになるだろうにと思う。

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 付近の治安担当の多国籍軍の軍医が巡回していた。2・3時間あるいて、大きな町の焼け残り破壊し尽くされなかった病院に人々は群がる、僅かの薬を得て、また歩いて雨の中でも帰っていく。日本の車捨て場に転がっている廃車を直して山の中の村から病人と食糧を運ぶのに使いたい。ダウインで購入し、運び込んで使っているNGOの車に、ロス・パロスの町の焼跡に集まる男達の羨望の目を感じる。

  一人の高熱の子どもと、病院帰りの母子を車に乗せた。緊張した子どもに飴をあげたが、食べないでポケットに入れてしまう。紙をむいて自分も食べながら渡したけど、また食べないでしまってしまう。朝から何も食べていない筈だが。でもその少年を家に運び戻った時、焼跡の家から数人の兄弟姉妹が駆け寄ってきた。父親は殺されて不在という。飴は兄弟たちに分ける為に一つも自分の口には入れなかったのだ。
 ロス・パロスからロレの山道で歩き疲れて車に這い上がった母親に娘の分と飴を渡した。疲労の時の糖分。目を輝かせて笑顔で受け取り、早速少女に食べさせ自分も口に入れていた。車で約一時間、焼かれたジャングルの中の集落に着くと、母子は礼を言いつつ集まってきた子どもや人々の中に降りた。降ろすのを手伝った母子の荷物の上に、布切れに包んだ舐めかけの飴が見えた。母親が口に入れた貴重な糖分をそっと待っている子どものために残したのだろう。一度自分の物になった食べ物をもう一度分け直す生き方のメッセージを痛く感じた。
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 ロレでテトン語で話し掛けたが通じない。勿論英語はだめ。ポルトガル語はこちらが出来ない。結局インドネシア語での意思疎通になってしまった。言語の問題は重要なことは当たり前なのだが、当面どうするか。テトン語・ポルトガル語・英語・インドネシア語が同時に使われる状況が続くのだろうが、海外で育ったり、英語・ポルトガル語を母国語とする人々は余程気を付けないと、言葉による植民地主義が力を持つ。ダウィンで開かれた国際会議に出たが、英語を母国語とする人々が主流を作るようになり、当事者の東ティモール人の発言は、最後に問われてやっと参加という具合だった。当事者が一番理解し表現出来る言語を選ぶ必要をいつも感じるが、通訳の難しさもあり、大体支援国・大国の言葉になる。ディリの放棄された建物で、英語とポルトガル語の教室が開かれ青年が多数受講していた。兎に角、現地の人々が母の胎内で聞いていた言葉を学びつつ、人々の復興の働きに参加したい。
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 緊急の状態から、長期の復興計画への移行も行われつつあり、日本から、下関から何が出来るかを見聞してきて欲しい、との要望にも答えられないほど短い滞在を終え、WFP(世界食料計画)の空席の都合で予定より早くディリを離れ、デワント神父達が命を捧げたスアイや、緊張の続く国境付近はついに分からずじまいで、再びダウィンに向った。






【編集後記】
 安藤所長が1月末から東ティモールを10日間訪問して帰ってきました。想像していたより事態は困難で、ボランティア派遣にはさらに準備が必要なようです。破壊はたやすいですが、創造はいつも困難なようです。
(柴田)