大谷 隆夫(釜ヶ崎キリスト教友会・代表)

 

 釜ヶ崎日雇労働者を取り巻く最近の状況は、基本的には、何等、変化のないまま、釜ヶ崎もまた、2000年という新しい年を迎えました。ここで新たに、昨年1年間の釜ヶ崎=寄せ場での動きを振り返りながら、釜ヶ崎日雇労働者の状況改善のために、我々が取り組まなければならない課題は何であるかという事を少し考えてみたいと思います。
国レベルの「ホームレス対策」の動き
 大阪市内だけで1万人以上、全国規模では2万人を越えていると言われている、野宿者の急増の事態の中で、1999年2月12日、いわゆる「ホームレス問題」についての、国レベルでの初めての話し合いが行われました。
 しかしながら、その時の話し合いに際しての、磯村大阪市長の、「野宿者の多くは名前も明かさない『ネームレス』なので、福祉制度等も適用できない。身元を調査できる権限を法律で作れないか」という発言は、この国レベルの話し合いの中身が、あまり期待が持てないものであると言う事を私達に認識させました。
 事実、99年5月26日には、野宿者問題に対する、国の当面の対応策なるものが発表されるわけですが、その内容は、「公的就労対策」「生活保護の運用改善」「居住の確保」といった、根本的な課題に踏み込むのを避けた物でした。
 根本的な課題に踏み込むのを、あえて避ける一方で、今回の当面の対応策では、野宿者を3つのタイプに分類し、特に3番目のタイプの社会生活を拒否する野宿者については、国としても退去指導を実施していくと言う事は盛り込まれています。
 98年12月28日、大阪市によって、釜ヶ崎で行われた強制撤去の事件は、私達の記憶には、まだ新しい出来事ですが、この様な大阪市等、各自治体が、野宿者に対して行って来た強制排除の動きを、今回の当面の対応策では、実質的に認めており、今後の国=自治体による、野宿者に対する、強制排除の動きが懸念されます。
絶えることのない野宿者襲撃事件
 1995年10月18日、釜ヶ崎の高齢寄せ場労働者であった、藤本彰男さん(当時63歳)が、青年により、道頓堀川に落とされ、亡くなった事件は、私達にとっては、永遠に忘れ去ることのできない出来事です。
 しかしながら、藤本さんの事件以降も、野宿者に対する、青年たちによるイヤガラセや襲撃事件は後を絶ちません。98年6月13日、釜ヶ崎のすぐ隣にある、兵庫県西宮市では、テントで野宿生活を続けていた労働者が、青年たちによる襲撃を受けた結果、青年の一人を殺害するという事件が起きています。この事件の判決は、99年10月27日に、懲役10年(求刑12年)が、被告の野宿労働者に対して言い渡されました。もっとも、今回の様な事件は、判決が出たからと言って、それで済まされるものではありません。今回の事件の背景にある、野宿をせざるを得ない状況に対して、行政が、責任を持って抜本的な対策を立てない限り、同じ様な事件は、今後も繰り返されると思います。

写真1/南港の臨時宿泊施設(手前のプレハブ)
大阪府・大阪市の動き
 野宿者急増という状況に対しての、大阪府・大阪市の99年に入ってからの動きはどのようなものだったでしょうか? 主だったものを挙げるとするならば、短期入所の法外施設である、ケア・センターの拡充(従来の20人枠から170人枠へ)や、NPO釜ヶ崎支援機構などが受け皿となることにより、高齢者特掃事業が拡大(53人枠から143人枠)されたことなどです。
 しかしながら、「健康で文化的な最低限度の生活保障」という観点から考えるならば、大阪府・大阪市の釜ヶ崎日雇労働者に対する現行の対策はあまりにも不十分であると言わざるを得ません。
訴訟の闘いを引き継いで
 94年5月9日、名古屋市を相手取って、生活保護決定処分取り消しの訴訟を起こした、釜ヶ崎と同じ寄せ場である笹島の日雇労働者、林勝義さんが、闘病のかいもなく、99年10月22日に亡くなられました。享年61歳でした。
 林さんが提訴した、いわゆる林訴訟は、その提訴以来、全国各地の寄せ場での生活保護獲得の闘いに、大きな影響を与えてきました。とりわけ、一審での林さん側の全面勝訴は、各自治体による、不当な生活保護法の運用の下、名古屋のみならず、全国各地の寄せ場で野宿を強いられている労働者に、大きな励ましと、勇気を与えました。
 釜ヶ崎でも、生活保護行政を法的に問う闘いとして、98年12月2日に、佐藤訴訟が提訴されましたが、この佐藤訴訟等も、林訴訟の影響を抜きにして、語ることは出来ません。
 佐藤訴訟とは、野宿を余儀なくされていた釜ヶ崎日雇労働者の佐藤邦男さんが(保護申請当時65歳)、アパートでの生活保護をいっさい行わない大阪市立更生相談所(釜ヶ崎における生活保護の実施機関。以下、市更相と略す)、大阪市、大阪府を相手取って、裁判を起こしたものです。
写真2/越冬まつりでの餅つき大会

 佐藤さんは、過去2回、施設に入所しましたが、施設では難聴である佐藤さんのコミュニケーションが保障されず、やむなく退所し、野宿に戻らざるを得ませんでした。そのため、佐藤さんは、98年10月にアパートでの生活保護を市更相に申請したわけですが、これに対し、市更相は、施設退所の理由や、アパートでの生活保護を行う可能性などをいっさい検討することなく、一方的に施設への収容を決定しました。佐藤さんはこの収容保護決定を不服として、今回、裁判を起こしたわけです。
 「この裁判を起こしたのは、私だけのためではありません。野宿を余儀なくされている1人でも多くの仲間が、アパートやドヤ(簡易宿泊所)で生活保護を受けられることを願って、裁判を起こしました」ということを、佐藤さんは第1回目の裁判(99年2月25日)で陳述していますが、裁判もいよいよ証人調べに入り、これからが正念場です。また、亡くなられた、林さんの遺志に報いるためにも、絶対負けられない裁判です。
 生活保護は、本来は、居宅保護が原則です。しかしながら、釜ヶ崎日雇労働者の公的な福祉の窓口である、市更相では、未だに、施設か病院へのの収容保護しか行っていません。けれども施設はすでに定員を大幅に超過しており、野宿を強いられている、釜ヶ崎日雇労働者が、市更相に相談に行っても、まともに相手にされません。また、施設に入所できても、施設では、多くの入所者が狭いところに押し込められているため、プライバシーなく、他の入所者への気遣いなどで疲労してしまいます。市更相は施設に入った労働者をケアすることなく、むしろ早く退所させようとするので、労働者は疲れ果てて、退所へと追い込まれ、結局、再び、野宿生活へと戻らざるを得ないのです。
 今日の全国各地における、野宿者急増の直接的な原因は、長引く不況に伴う、失業であることは言うまでもありません。しかしながら、より根本的には、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべき実施機関である、全国各地の福祉事務所の、野宿者に対する、ズサンな生活保護法の運用の実態にその責任が求められるべきです。とりわけ、釜ヶ崎における市更相は、その典型と見なされるべきですが、釜ヶ崎のみならず、全国各地でも、各福祉事務所に対して、生活保護法を野宿者に対して、きちんと運用させる闘いの必要性に迫られていると思います。


今後の課題
 99年10月16日、いわゆる「強制排除」と「収容」を前提にした、国の野宿者対策に全国的に対抗していくために、全国各地の野宿者・支援者が集まり、反失業全国集会が、東京で行われました。
 釜ヶ崎からも40名の仲間が参加し、最終的には、全国から集まった600名の仲間が、今後1年間に渡って、国の動きに対抗して行くために、全国的なつながりを作っていこうということが確認されました。いわゆる寄せ場のみならず、全国各地で、野宿者の存在が確認されている現状の中では、今後、ますます、全国的なつながりを持った、取り組みを作っていくことが必要とされています。しかしながら、それと同時に、野宿者一人一人が、本格的に立ち上がり、怒りをぶつけ、自分達の置かれた状況改善のための要求行動を、野宿者自身が中心になってまず起こしていく必要があると思います。
 いわゆる「ガイドライン関連法案」や「日の丸・君が代」法案の成立などに見られるように、この国の権力者達が、自分達の今置かれている地位を、あくまでも保持して行こうとする動きなどの現状を考えるならば、先に述べた、国の野宿者対策というものが今後においても、野宿者の状況改善のための、抜本的な対策に変わっていくと言うことは、到底、考えられません。
 野宿者の「生存権」というものが、野宿者一人一人の闘いによってしか、最終的には勝ち取られないものであると言うことを、私達支援者も、今改めて認識し、野宿者に呼びかけ、野宿者一人一人が、怒りを持って、自分達の置かれた状況改善のために、本格的に立ち上がれる様に、私達、支援者も、釜ヶ崎=寄せ場での活動を続けていかなければならないと思います。
 バブルが崩壊してからのこの間、釜ヶ崎では様々なグループ・諸個人が、野宿者の状況改善のための取り組みを懸命に続けています。残念ながら、今のところは、全体の状況改善のための具体的な成果が出ていないのが現状です。
 だからといって、現状の行政の動きに妥協するのではなく、私達としては、あくまでも野宿者の立場に立ち、野宿者一人一人の生存権が尊重されていくような取り組みを、これからも、釜ヶ崎で支援活動を続けている、様々なグループ・諸個人とと連携しつつ、また、全国的なつながりを大事にしながら、これからもねばり強く続けて行くしかないと思います。
 いよいよ2000年を迎え、この一年は、国を挙げての野宿者対策の動きが本格化しそうです。国全体の動きとして、着々と戦争に向けた体制が作られつつある中、まさに「平和」ということが、事実上、「有名無実」化しつつあるわけですが、まさに、こういう時であるからこそ、最も弱い立場に置かれている、野宿者の生存権が保障される取り組みが、今後ますます強化されることがなければ、この国には、もはや、未来はないと言っても過言ではないと思います。
2000年1月17日