はじめに

 3年前、この紙面で「いくのオモニハッキョの20周年」について報告させていただきました。その後、「オモニハッキョの現状は?」「在日韓国朝鮮人の一番多い地区の識字活動はどうなっているのですか?」という問い合わせが個人的に寄せられたのと21世紀を迎えるに当り、在日韓国朝鮮人の識字活動にも変化が生じ始めていることなど、近況を報告したいと思います。
「いくのオモニハッキョ」について

 そのことについて触れる前に、いくのオモニハッキョについて少し説明したいと思います。大阪市生野区は、人口約16万人中、在日韓国朝鮮人が4万から5万人居住しているため、抑圧・差別があっても各団体がその度ごとに立ち上がる動きや、母国の文化や習慣等を大切にし、自分たちのアイデンテイテイ取り戻すための文化祭や行事が行われています。また、コリアタウンという名称の商店街は在日韓国朝鮮人のコミュニテイーとして地元に定着しています。
 1977年、その生野区でオモニ達のからの要望に地元の有志が応える形で、日本基督教団の聖和教会の礼拝堂で、日本で最初の在日韓国朝鮮人のための識字教室「いくのオモニハッキョ」が開講されました。
 現在、生野区の聖和社会館では、毎週2回月曜と木曜の夜7時半からオモニハッキョが開講されています。ここで学ぶオモニたちは戦前に日本にやってきた1世や戦前に生まれた2世で、多くが60歳前後の高齢者です。
 スタッフは大学生や社会人が20人前後関わり、全て手弁当のボランティアです。クラスは小学校1・2年生のレベルの組から中学生レベルの組まであり、常時50人前後のオモニ達がそれぞれの組で学んでいます。また、オモニ達は申込の際には本名で登録し、スタッフも教室の中では本名で呼ぶように心がけています。

◇     ◇     ◇

 オモニ達が文字を学ぶ理由は色々有りますが、一例を挙げると、今まで文字の読み書きをオモニの代わりにしてくれた夫に先立たれ、残りの人生を一人で生きなければならないため、生活の「武器」として文字が必要という背に腹は変えられない状況、つまり、病院の通院や何かの手続きにしても読み書きが必要だからというケースです。
 その他では、何らかの理由で戦前や戦後すぐに住むことになった日本で、日々の生活と仕事に追われたり、初等教育の際に日本人による差別で学校に通えるような状態でなかった等々の理由で就学できなかったケース等様々です。
 また、戦前の朝鮮という国における儒教の影響や男尊女卑の問題などで母国にいた時点から文字を奪われていたことも見えてきます。あるオモニは「国にいたとき、男は必要いわれて学校いったけど、私等は必要ない言われてました。自分の国でも学校いけなかったですから、日本に来ても仕事ばっかりで、気が付いたらこんな年ですやろ、若いときやらなだめですわ」「じぶんの国では学校行けない人ばかりで、特に女は全然行かせてもらえんかった。それで、学校行くの夢やったから、今勉強してるの信じられませんわ」と言います。いずれにしてもオモニ達は母国でも日本でも文字を奪われていたわけです。

◇     ◇     ◇

Page- 1
 しかし、ここで学ぶオモニ達の中に、私達の想像を越える力強さや辛い過去から徐々に解放されてゆく姿を見ることができます。それは、強制連行等々、様々な理由で日本で生活することになったオモニ達は、祖国を失い、名前を失い、日本人と同じ権利を持たずに何とか生活してきて、年を取ってからも家族を失い残りの人生を日本で送らなければならない人が大勢います。普通なら多くのものを失っている時点で、絶望すること諦めることの方が多いでしょう。
 ところが、奪われ、抑圧されてきた立場のオモニ達が高齢になってから自分たちを侵略した側の言葉を学び、残りの人生を異国で生きるために努力していることや自分の内面を表現し、次の世代にその記録を『オモニ達の文集』の形で残すことは、自分史という形で抑圧された民族の歴史を残すダイナミックな作業といえます。
 さらに、教室で互いに本名で呼び合うオモニ達が、ここから自分を取り戻し始め、韓国料理や踊り等を通じて民団の集まり等に参加する人も出ていることや、行動範囲が広がる様子から、パウロ・フィレイの言う「文字を通じた解放」ということを生きた姿で見せてくれるのです。


ここ数年の変化について


 さて、このオモニハッキョもここ3~4年変化が生じています。それは、世代交代の兆しで、ニューカマーと言われる、結婚などで日本に居住し始めたオモニの比率が全体の2割以上になっている点です。理由として、来日して10数年が経過し、日本の言葉や生活にも慣れ、子供達も成長し、時間の余裕もでき、今後は日本に永住の可能性が強いオモニ達が、生活する為に文字を学びにくるようになったからです。また、子供と自分の言葉のギャップを埋めるために学びにくるという面もあります。
 しかし、それに伴う問題も生じてきました。それは、今後日本に永住するであろう、結婚のため最近日本に来たばかりの若いオモニ達の受け皿がない点ということがわかったからです。
 最近、結婚の為に日本に来たばかりの若いオモニの場合、ハングルしか話せない人が多く、結婚相手も民族学校出身でハングルができるため日本語が上達しないのと、生野区の代表的産業であるヘップサンダル工場や家内工業の職場で日中働いているため、勉強できるのは夜間という状態です。
 日本語学校、および教室は生野区付近にあるものは日中開講しているものが多く、夜間のものは生野区以外の離れた区で開講されています。そのため、どうしても足が遠のくのです。
 また、外国人が学べる夜間中学も大阪市内にありますが、夜間中学は始業時間が夕方で毎日あるため、仕事上時間的に通えないオモニ達が生野区では圧倒的に多いのです。
 また、コリアタウンのある生野区内で生活する場合、日本語ができなくとも日常生活に支障がないため、仕事が終わってから勉強するという意欲も薄れてくるようです。
 こうした若いオモニ達が、先輩のオモニから口コミでオモニハッキョを訪ねてきますが、日本語が出来ないため、文字を学びたくても、ハングルの話せないスタッフとコミュニュケーションが取れないのです。
 オモニハッキョでも何とかしなければ、ということで、公募したところ、やっとバイリンガルの在日韓国人スタッフが1名加入してくれました。そのおかげで、数名の若いオモニが学んでいます。
 しかし、最近オモニハッキョを訪れた日本語の話せない若いオモニ達は、ここだけでも数十人以上にのぼりますから、生野区全体では百人単位以上いると考えられます。

◇     ◇     ◇

Page- 2
 生野区にこうした日本語教室がない理由はいくつかあります。一つは、行政の問題で大阪市の場合、市議会が強いため、生野区のこうした滞日外国人に対する言葉のケアについて市議会で議題が挙がらない場合、そうしたシステムは確立しないのです。また、生野区から市議会へ地域活動に関わった候補者が当選できないこともこうした点を改善できないことにつながっています。生野区内に連帯できる部落解放同盟主催の識字活動がないのも提案しても新たに開講は難しいと見送られる一因として挙げられます。
 また、民団などの団体や民族教育を推進する団体には、バインリガルの在日韓国人のメンバーが数多く在籍していても「日本語を教える」ということについては否定的あるいはそれを敢えて行いません。それは、これらの団体は民族の文化や言葉を守ることは大切にしますが、日本に同化するという目的のためには動かないからです。ですから、思想的な点で不可能ということが言えます。
 日本語を話す在日韓国朝鮮人のためのハングル教室は、昼、夜間と区内のどこかで行われていますが、その反対のハングルを話す人のための日本語教室は生野区の場合見あたらないのです。
 つまり、生野区はニューカマーのための日本語教室というのが行政関係、教育関係では区内で充分に行われていないのです。そのため、オモニハッキョの生徒数も減少しないのと年々ニューカマーのオモニ達の比率がのびている訳です。
 オモニハッキョのあるメンバーが時折ふっともらす言葉に「わたしらのしていることってほんまに隙間産業やね」というのがあるのですが、夜間中学にも行けず、日本語教室にも行けないオモニ達がなんとか通えるのがのオモニハッキョなのだ、ということなのですが、23年間、民間のボランティアだけでオモニハッキョが続いているということは言葉を換えるならば、生野区は行政および教育関係が23年間充分な識字活動を在日韓国朝鮮人が日本で一番多い地域で行ってこなかった、ということも言えるのです。
 そのため、今後生野区の識字活動の課題として、日本語が話せないニューカマーのためのオモニハッキョを何らかの形で夜間に開講する、ということを行政、あるいは地域活動の中で実現することが挙げられるでしょう。スタッフの数名の有志で開講の可能性があるかどうか、すでに小さな教室でも開講されているかどうかなどを調べていますが、可能性や既存の教室がないため、今後、行政や地域活動協議会などへの提案を地道に続ける必要があるでしょう。


終わりに


 21世紀に向けてこうした新たな課題が出ている生野区の識字活動ですが、2002年には、日本初の在日韓国朝鮮人のための識字教室「いくのオモニハッキョ」も25周年を迎えます。その時に生野区の識字活動がどのように変化しているのか、四半世紀を経て周囲の状況どう変化したのか、などについて再度報告したいと思っています。

「いくのオモニハッキョ」の詳細については社会司牧通信80号を参照下さい。 なお、「いくのオモニハッキョ」と「オモニたちの文集」については
〒544-0034
大阪市生野区桃谷5-10-29
聖和社会館
電話(06)6718-1750
までお問い合わせ下さい。