社会司牧通信  93号 99/12/15


ジェビト・レゴ(東ティモール司祭)
聞き手/安藤 勇
1999年12月8日
東京・イエズス会社会司牧センターにて

東ティモールのジェビト・レゴ神父(36歳)が、12月7日に来日しました、アジア人権基金(代表・土井たか子、西川潤)の第4回アジア人権賞を受賞するためです(受賞者名は「東ティモールの独立を闘う人々」です)。受賞を前にした同神父にインタビューしました。

神父様は今、東ティモールでどのような立場にあるのですか?
 わたしは教区司祭です。小神学校の責任者として2年間働きました。今はディリ教区の秘書として働いてます。主な務めはカトリック青年グループのコーディネートです。青年たちこそ東ティモール紛争の主要な犠牲者なのです。青年たちは東ティモールの現在と未来をうちたてていくために、過去の恐怖から解放されなければなりません。私たちはいまや自由ですが、自由と引き換えに24年間に奪われた30万人の命は高すぎる代価でした。今は、青年たちにとって困難な時です。

今回の受賞を聞いてどう思いましたか?
 受賞の知らせを東ティモールで聞いて、びっくりしました。若輩の神父に過ぎないのですから。とはいえうれしいです。私は東ティモールの人々の代表として選ばれたのだと思っています。

受賞の理由はなんだと思いますか?
  アジア人権基金が選んだのにはそれなりの理由があると思いますが、私が思うのは、私たちが24年の間、けっして希望を失わず、自分たちの尊厳のために闘ってきたということです。1991年11月にサンタクルス墓地で虐殺事件が起きるまで、東ティモールはしばしば忘れられた場所でした。サンタクルスで殺された300人の東ティモール人の流した血が天に向かって叫ぶ声は、世界の人々の耳を傾けさせるに十分でした。教皇ヨハネ・パウロ2世がインドネシアに来られた際におっしゃったように、東ティモールはインドネシアの他のマイノリティの人々にとって希望のしるしたりえたと思います。
あなたは9月の最も大変な時期にディリに留まっていましたが、危険は感じませんでしたか?
 私は人々に奉仕するために神父になったのだから、留まるのは当然だと思いました。神父はミリシア(反独立派民兵)からは恐れられ、人々からは大きな尊敬を受けています。今年の1月にハビビ大統領が、独立か併合かという選択を私たちに示して以来、私は人々を東ティモールに留まり、その選択について責任ある行動をとるよう励ますことこそ私の務めであると感じてきました。
 私は若い頃、森のなかに3年間隠れ住んでいたことがありました。私が何が起ころうとディリに留まる決心をしたのは、その時の体験からでした。つまり、私がディリに留まれば命の危険は50%はあるでしょうが、あとの50%は自分でコントロールできると思ったのです。なぜなら、ここは私のホームグラウンドで、生き延びるためにどこで何を見つければよいか知っているからです。
 私は意気揚々としていました。私たちの神学校には6000人が避難していましたが、9月6日、全員がそこを離れて警察に連れて行かれました。彼らは難民として西ティモールに行きました。ミリシアは毎日、時には日に20回も神学校にやってきて、難民の持ち物をすべて持ち去っていきました。私はいつもミリシアと顔を合わせていましたが、私が独立派のゲリラをよく知っていることを彼らは承知していたので、私の命は危険にさらされていました。けれども私は元気を失っていませんでした。私は毎日人々を訪ねて、教会は彼らと共にあると感じさせようとしました。

ダーウィンに移ったのはいつですか?
どうして移ったのですか?
 それは、10月4日にダーウィンに移っていた父が死んだからです。私はオーストラリアで東ティモールの難民たちを訪ね、安全になったら東ティモールに戻るようにと励ましてきました。すでに約700人が帰還し、オーストラリアで帰還を待っているのは500人ほどに減っています。

私たち日本のイエズス会は、6、7人ずつのボランティアを2~3週間ずつ東ティモールに派遣する計画を立てています。そんな短期間でもお役に立てるでしょうか?
 家も食料も何もかもが不足しています。人々は孤立無援だと感じています。コミュニティのシステムは、主に軍隊によって破壊されてしまいました。私たちは今、自由ですが、それを享受できる状態ではありません。どこでもリーダーが必要とされています。
 ボランティアは、人々と共にいて、彼らの話に耳を傾けることかできれば、人々にとって助けとなります。ボランティアが彼らの体験に耳を傾けることによって、人々は自分たちが価値ある存在だと感じ、彼らの心の傷は癒やされていくのです。また、ボランティアたちは、人々の体験を日本をはじめ、世界中に広めてくれるでしょう。

今、東ティモールの人々にとって一番必要なのは何ですか?
 私たちは貧しいが自由です。自由は私たちの人間としての尊厳を実現します。必要なのはモノの援助だけでなく、精神的支援も必要です。最も基本的な安全は、多国籍軍の進駐で保障されました。食料、住まい、衣服などの人道的支援は国際機関などが行っています。健康も大きなニーズですが、すでに外国人の医師などが活動しています。
 今は雨季で、困難は増しています。日用品が店頭から姿を消していて、混乱しています。輸送機関は必要ですが、外国企業が車を売り込みに来たのは笑止千万です。私たちが必要としているのは、たとえばバスのような公共輸送機関なのです。

教育のニーズはいかがですか?
 ユニセフがすでにさまざまなプログラムを始めています。教員が必要です。言葉の問題は深刻です。ほとんどの若者はインドネシア語を知っていますが、年寄りの政治家たちは、政治的な理由からポルトガル語を公用語に決めました(国語はテトゥン語)。そのことは将来に禍根を残すものとなるでしょう。

(聞き手/安藤 勇、1999年12月8日、 東京・イエズス会社会司牧センターにて)



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【編集後記】
東ティモールは2000年代最初の独立国になると言われています。けれども、今 号のインタビューにもあるように、解決すべき課題は山積しています。独立はまさしく出発点なのです。
▲この東ティモールの新たな歩みに少しでも協力しようと、イエズス会日本管区はJRS(イエズス会難民サービス)のディリ事務所を通じて、東ティモールで働く短期ボランティアの派遣を検討しています。期間は2-3週間、仕事は物資の配布、子どもたちのケア、医療活動の手伝いなど各方面にわたります。来年2月末頃には第一陣を送りたいと考えています。
▲募集要項は来年1月中にできあがる予定です。お問い合わせは当センター、安藤まで。
【柴田幸範】