社会司牧通信 No 91  99/8/15
 下関便り…(15)


   21世紀への、産みの苦しみを共に…


林 尚志(イエズス会労働教育センター)



「どの写真を表紙に使おうか?」数人の市民が、夜仕事帰りに集まり、定期発行パンフの編集会議です。「あの行進のにしよう、聖者の行進…いや聖職者の行進にしよう…」と決まりました。それは、今年5月13日、今紛糾の続く東ティーモルで、インドネシアへの併合継続を主張し、軍からの指示を受け、暴力的襲撃を展開する準軍組織(民兵=militia)の恐怖で冷える状況に対する、ディリ市での無言の祈りの歴史的行進の写真です。この日本に数枚しかない写真です。なぜならその行進には、日本人は一人しか参加していなかったからです。しかしその参加者の心の中に、日本の多くの東ティモールを思う人々が共に祈り歩いていたことは確かです。下関の人々も参加者の心の中で、真っ暗な道を4時間歩いたのであり、そこから連帯は始まっていると思います。 

 パンフの内容の討議の中で、何故民兵組織がそこまで治安を壊し、恐怖の下で8月8日と決められ、22日に延期された住民の直接投票に、公正な投票をさせないようにしているのか、東ティモール人の殆どが独立を望んでいるのではないのか、と現状理解にそれぞれの情報に基づいた意見が出ます。一番奇妙なのは、1975年以来のインドネシア軍の撤退の国連決議が実行されないのに、米国はじめ日本を含めていわゆる大国のリードする国際社会が、その決議を実行しようとしない。湾岸戦争やコソボと扱い方が、平気で全く違い、若い世代や質問する子ども達に説明は出来ない。それを見逃している、国民・市民・教会等、21世紀に入って行く資格がないのではないか。国軍の撤退を国際社会の良心が先ず実行すべきなのだ。
 民兵組織の暴力による、難民化・脅迫・破壊・殺人等などは、軍と警察の後ろ盾なしには有り得ない…と議論は絶えません。
 ところが、5月5日の国連でのポルトガルとインドネシアの合意では(繰り返すが東ティモールの代表は入れない合意)、一番難しい治安維持を、侵略と弾圧を25年間続けてきた軍と警察に委任しました。武装解除も軍事的対決者の一方である軍と警察をのぞいてとは、全く理解出来ない。その結果が、恐怖・破壊・死・難民等などです。

 心配なのは、もう併合派の作戦は半ば成功してしまったのではないか、公正な自由な投票は行われず、国際的諸NGOと国連の後手後手の対応の中で、20世紀最後の、植民地主義と軍事侵略と国際的無関心の落とし子を産むのかということです。一方、現地では、脅迫・暴力に屈しないで、国連関係・諸NGOが、本質的なよじれ、様々な欠点があるが、現状を最善の方向に持って行こうと全力を尽しています。それに協力しての支援しかない、と言うことになりました。
  ぎりぎり迄の努力、投票後の前に上回る国際的監視行動が求められます。小さな地方のNGOとして何が出来るのか? 会議は遅くまで続きました。日本教会の司教団の積極的関わり、イエズス会の総長はじめ東・東南アジア・太平洋地区の管区長会議の積極的態度、国会議員の投票監視への参加の働きかけの進行等、報告や提案で前向きに取り組みがなされました。主婦・事務職・店員・医師・記者・司祭等など、小さな地方都市の小さなグループの中で、21世紀への流れの中で、質的に神の国へのそれに変えようと、祈りと努力が行われている。連帯はここでも生きています。

 隣の家で何が起こっているのか分からなくても、数千キロ離れた海の向うの出来事が、すぐ伝えられます。隣の町の友人の留守番電話に残したメッセージへの返事は来なくても、地球の反対側からは、すぐ電子メールの応答があります。もちろん、何処でも情報から隔離された、交信の困難な所は相変わらずあります。でも関心を持って努力すれば、お互いの緊急状態になんとか対応出来ます。投票まであと僅かの日数と時間を、連帯の中で生きたい。

 最後に一言、東ティモールでは、特に西部で民兵組織の厳しい弾圧の一つは、紅白のインドネシア国旗を各家に掲げさせ、旗を出さない家の住民は殺されると言う脅迫が徹底しています。抵抗するものは山に逃げるしかありません。難民の中で、胸や手首に紅白のリボンや何らかのしるしをつけるものが多いのです。紅白の国旗が、生死、自由・強制の選別をしています。国旗というしるしの侵略は、受けたものでないと分かりません。何年経っても、この紅白のインドネシアの国旗を、東ティモール人は、他国の国旗であるからと敬意をもって受け入れられないのではないでしょうか。その国民が、正義と愛を平和の中で、誠意をもって伝えない限り。

 この下関で、大学の行事の式典に「日の丸」掲示中止が、教授会で了承されました。マスコミがこれを取り上げるや否や、様々な非難攻撃が集中し、掲示中止を断念する出来事がありました。その後ことは水面下に消えたかの様です。

 東ティモールは、1942年から45年迄、「日の丸」を国旗とする国家とその軍隊に侵略・占領され、約4万人が犠牲になったと言います。ポルトガルの植民地支配は次に回して、アジア人のアジア人による東ティモール侵略は、両方とも形は違っても紅白のしるしの下なのです。日本人もインドネシア人も、自分の国が行なっていることで、21世の若者に誇り、喜んでもらえる現在を創って行かなければなりません。もう既に多くの命が捧げられました、自由・正義・平和・愛の栄える状況を産み出し、死産にしてはなりません。「いのち」の母・聖母マリアに祈りつつ...。


【編集後記】

 日本の司教団が東ティモールの教会に連帯して、インドネシア軍と民兵の暴力に抗議する生命を発表しました。画期的なことです。
 どうか、わたしたちの祈りと行動が、東ティモールの人々の、真に自由で民主的な選択を可能とするために、少しでも役に立ちますように。


  (柴田 幸範)