社会司牧通信 No 90  99/6/15
 下関便り…(14)

   この闇に光を


林 尚志(イエズス会労働教育センター)

 去る4月下旬、統一地方選挙が終わった時、下関の市民運動・NGOの人々をはじめ、多くの人々の心に、短い間であったとしても再び又、ぽかっと穴があいた。4年間積み重ねてきた、福祉の街づくりの会代表、電動車椅子の市会議員候補のKさんが、12票差で前回と同様、次点で落選したからだ。
 いろいろな思い、意見が、一時錯綜しぶっかり合ったが、休む間も無く新しくそれぞれの目指すものへ進み始めている。草の根は踏まれてもっと強くなる。
 しかし闇が残った。そこに光を当てる動きが始まっている。闇とは、基本的人権である投票を行った後の、開票結果発表迄の、不透明さだ。障害者のKさんが立候補してから、開票時に判読出来ないとされた無効票が増加した。点字票の投票の仕方、障害者の書いた票が判読し難い場合の処置方法等、主権者の私達の知らない闇があった。立会人も各立候補者が一名づつ出して、籤(くじ)で10名以内に決めるという。多数の候補者を出す陣営から、開票時に重要な役割を果たす立会人が多数出る確率は高い。籤びきだけの公正さしかない。
 立会人が自陣営に票を引っ張らないとしても、無効と判別することは出来る。良心を信じろと言われても、私達は政治・経済界のあらゆる分野で、良心の喪失・腐敗を体験している。選挙の法的欠陥の闇を覗いた感じだ。Kさん達市民が、異議申し立てを行い、無効票の公開を求め、マスコミも取り上げた。この不透明さを明らかにするのは、私達有権者の一票の尊厳に対しての責任だ。
 さて、海の向うでは、24年間インドネシア軍の侵攻、そして27番目の州としての併合、抑圧の続いた東ティモールが、8月住民の直接投票によって、インドネシアの特別自治区(併合)になるのか、その提案を拒否して独立への道を選ぶのか、20世紀末の歴史的時が近づいている。
 10日間、その東ティモールへ入った。聞きしに勝る厳しい緊張状態が繰り広げられていた。ディリ市内でさえ、昼間はまだしも、暗くなったら恐怖の支配する沈黙の街だし、都市から離れたら、山間部は当然、脅迫(intimidation)がどんどん進んでいる。10日間の滞在中でも、5月5日のポルトガル・インドネシアの国連での合意(なぜ肝心の東ティモール人は、その合意に関与しないのか?)は守られず、多数が殺され傷つき、行方不明になった。武器を持ち、麻薬まで飲まされているという民兵組織(militia)はだれが支えているのか。
 軍の影がちらちらしていた。軍が撤退するか、国連平和維持軍が武装解除しない限り、公正な投票は有り得ないと思ったし、現地に入ったインドネシア人自身もそう言っていた。自治区案に賛成するよう死の恐怖によって強制された投票が行われれば、国連が認める正式併合になる。自治案が否決されたら、独立派を殲(せん)滅するとまで豪語する、豊富な武器をもつ併合派の異常な勢力を、今も、そして投票後も武装解除し続けなければならない。
 現地入りしている国連要員は、現地警察・軍に守られて、言わば現状から隔離され、真実に近づく者は妨害されている。もう現地を離れて10日経った。少しでも事情が好転していればと祈るが、引き続き武力による殺し・弾圧の暗いニュースが入る。そして世界の多くの眼がコソボに向けられている裏で、確実に殺戮(りく)は進行している、取り返しのつかないほどまでに。
 日本のマスコミ(テレビ)が東ティモールに入っていた。聞くと「ガードが堅くて取材出来ない、ありきたりの画像を撮っています」とのことだった。住民は、選挙のことを自由に話せば、死の恐怖が追いかけて来るのだ。
 日本で一票の尊厳を守る異議申立てと、良心に基づいて自由に投票出来る権利を守ること、自決権の侵害と闘うことは、東ティモール支援とつながっている。両者の現実の差は大きいが、どちらの闇も、21世紀に向かって私達が光を注ぎ、なくして行かなければならない。
 時間はあまり無い、各自が出来ることを今すぐ行動に移そう。

【編集後記】

イエズス会ローマ本部が出した「エコロジー」にかんする文書を翻訳しています。「やっと出たか」という感じです。
▲地球は神からの預かりもの。私たちは地球の主人ではなくて、執事(steward)に過ぎないのです。 思い上がりは禁物です。
▲邦訳は7月中には完成予定です。


(柴田 幸範)