社会司牧通信  No 90 99/6/15

渋谷野宿者達の運動の新たな方向性と
アジアの居住運動の経験(第89号の続き)


下川 雅嗣(イエズス会神学生・のじれん)

1.渋谷野宿者たちの運動の新たな方向性
 前号の通信で、渋谷の野宿者と「のじれん」の運動について紹介した。今号では、こののじれんの運動の中で、前回あまり触れることの出来なかった新しい方向性について書いてみたい。昨年末からたった半年間で、渋谷の野宿者達(特にのじれんの仲間達)の中で、急激な意識変化と実際の歩みの変化が起こりつつある。そして、この変化は、これまでの日本における寄せ場や野宿者運動にとって新しい地平を開いてくれる可能性を持つものと私には思われる。昨年までののじれんの運動は、炊き出しと夜間パトロール、そしてこれらによって仲間づくりをやりながら、その結束をもって、対行政闘争によって仲間の利益(強制立退きの阻止、生活保護、医療、福祉、就労支援の獲得など)を獲得するというのが中心だったと言う。これに新たな光を投げかけたのは、98年末から始まった集団野営の開始である。ここから計らずも仲間の強力な結束が生まれ、そのコミュニティーを基盤としたより積極的な自立的運動への芽が生まれてきたのである。すなわち、行政が野宿者達のための対応を何もしないのなら、また野宿者達が、既存の社会システムの中において、住居・仕事を得ることができないのなら、対行政闘争を繰り返しながら行政がやってくれるのをただ待つのではなく、自分達皆で、新たな仕事や住居をつくっていこう、すなわち全く新しいものを切り拓いていこうとする方向性である。
 ここで、すでに実現している具体例、現在実現に向けて取り組んでいる具体例についてその一部を紹介する。
 新たな方向性の中心は、主に就労(支援)プロジェクトである。この就労プロジェクトには、既存の社会システムにおける就労を支援するだけでなく、新たな仕事をつくりだすことも含まれる。そして、そのプロジェクトにおいて、こだわり続けたいのが、コミュニティー意識と自分達の創意工夫によって創りあげることである。
 週払いや、月払いの定職をみつけるのは、20代の若い人でも野宿労働者にとっては非常に難しい。さらに、もし見つけたとしても、路上で生活をしながら、毎日仕事に行くのは、普通に我々が想像するより困難なことである。また、賃金は、普通その週末、月末または翌月に支払われ、それまでの食費、仕事に行くための交通費さえ、彼らには用意することが出来ない(実は、仕事を見つけるための面接に行く交通費さえ手に入れるのは難しい)。現在、仲間が日雇い等の仕事を見つけた場合、また後に述べるように、仲間による事業の収益が上がった場合、そのうちの一部を彼らのコミュニティーの就労支援基金として積み立てを開始し、実際に面接の交通費程度の貸出を開始している。まさに、第三世界のスラムで、現在流行になっているマイクロクレジット(小規模貯蓄・信用グループ)である。また、路上から仕事に通うことの負担を軽減し、かつ無味乾燥な仕事をやらざる得ない場合に、戻ってくるコミュニティーの暖かさを維持するために、5月下旬、バラック構想を開始した。バラック構想は、主に若い仲間が中心となっていて、代々木公園内に、テントでなく、鉄パイプと木材で、移動可能な(月一度の強制撤去のため)きちんとした共同生活のための家を自分達で建てる計画である。手始めに5月18日に4棟のバラックを建設した。
 また、仲間達で作った新たな仕事としては、仲間達で弁当やお菓子を作り(仲間の中には、もとプロの料理人も何人かいる)、様々な集会でそれを売ったり、フリーマーケットを企画し、その場代の収益をあげたり、仲間達が日々、街をうろうろして、拾ってきたゴミの中から売れそうなものを売り、そこから収益をあげたりする。これらの収益は、今のところ微々たるものであるが、何も自分達では出来ないと思いこまされていた仲間達にとって、仲間と一緒に一つ一つ何かを作り上げていくことによって、失われた人間としての尊厳を少しずつ取り戻すことには、大きな役割を果たしている。
そしてなんと言ってもその共同の試みのプロセス自体がわくわくするほど楽しい(私もこの楽しみを一緒に味わわせてもらっている)。また、実際、この微々たる収益でも、上述した自分達の基金として運用するので、実際的な効果も大きい。
今後は、上記のような試みに加えて、犬の散歩から家の掃除にいたるまでの何でも屋を始める計画や、イギリスのホームレスが実際にやっていることであるが、野宿者達の雑誌を作り、その雑誌を野宿者達のみが販売するような計画も考えている。また、山梨のある農家と契約して、忙しいときに仲間で一緒に農作業にも行った。さらに、この話は、現在面白い展開の可能性を見せている。つまり、その時に、山梨に行った仲間が、その農場のそばに300坪の空き地を見つけ、地主と話したところ、耕作する人がだれもおらず、そこにのじれんの共同農場を作っていく可能性も広がってきた。
 すなわち、集団野営後ののじれんは、行政の言う「自立(=下層労働者への復帰)」とは異なる、新しい意味での「自立autonomy」に向けた質的変化が生じているのである。今後、この芽をつぶさずに、いかに育てていくかが問われている。 ところで、この芽を育てていくためには、またこの新しい芽とこれまでの対行政闘争運動を適切に統合して結び付けていくには、1970年代から90年代に至る四半世紀のアジアのスラムにおける居住運動の展開から学ぶものが大きいと思う。実は、この四半世紀にわたるアジアの居住運動は、まさに今ののじれんの経験している上記のプロセスを歩みながら展開し、その中では運動方針の違いからくるさまざまな緊張や失敗を経験しながらも、数多くの実りを得てきたからである。
 大きな流れを紹介すると、70年代は、
  1. スラムや不法占拠地の住民の強制立退きに対して、コミュニティーを作って団結して、行政闘争を行う運動〔対立型コミュニティー組織論〕が運動の主流だったが、
  2. 80年代から、2つの新しい流れが順に出現した。一つは、②行政と協力し、また行政に入り込み、行政の力を利用して居住環境改善を行う運動〔社会統合を目指す運動〕、そしてさらに
  3. 政府が何も出来ないなら、既存制度の側からの統合を待つことなく、自分たちで全く新しいものを切り開いていこうという運動〔自立的な空間や制度への運動〕への展開である。
 以下もう少し詳細に、この3つの運動の展開について、穂坂光彦氏(日本福祉大学教員)の著述を引用して紹介する。


 

2 アジアの居住運動の展開*

*この節は、国際東アジア研究センター(ICSEAD)の研究プロジェクト『アジア地域におけるまちづくりに関する研究』1997の一部から抜粋。
2-1)対決型の組織運動
 この四半世紀の間に居住運動の流れも変化した。70年代にアジアの居住運動を領導していたのは、アリンスキー流の対立型コミュニティ組織論であった。訓練されたオーガナイザーをスラム地区に送り、そこでの切実な生活課題について住民自身に考えさせ、解決のための組織化を促し、獲得目標を掲げて当局と対峙させ、より大きな社会変化の必要性を自覚させる。この運動は、マニラでトンド再開発の住民移転地を獲得し、香港で船上生活者に公共住宅への入居権を確保させ、ボンベイでは世界最大級のダラビ・スラムの改善事業を政府から引き出した。しかし多くの国で開発独裁政権が一定の協調姿勢をみせるようになるにつれ、「組織し、対決し、要求し、獲得する」型の運動は曲がり角に立たされた。

2-2) 社会統合をめざす運動
 80年代になって、二つの新しい流れが現れる。第一は、社会統合をめざす運動であった。都市経済成長から疎外されたスラム住民を社会的に再統合することが重要な政治課題となり、政府の施策のなかに住民が活動する一定のスペースが生まれた。これに対応して住民の側も、施策の受け皿組織を用意し、積極的に新たな制度を利用して居住改善に立ち上がる動きが見られた。それを支援するNGOの立場は、いままで虐げられてきた貧しい住民が(「一般市民」と同様に)既存の制度(銀行や行政など)を利用できるように、そして市民として認知されるように、組織的な力を高め支援する方向をとった。
 その典型例として、例えば88年に制度化されたフィリッピンのコミュニティ抵当事業(CMP)や92年にタイで設立された都市貧困開発基金(UCDO)などがある。たとえばCMPがめざしたのは、スクォッターに代表されるインフォーマルセクターの人々をフォーマルな融資システムに結びつけ、土地住宅へのアクセスを助けることであった。この際、多くのNGOが主体となって貧困コミュニティを支えた。
2-3) 自立的な空間や制度への運動
 80年代に台頭したもう一つの居住運動の流れは、貧しい住民の組織化によって、彼らに最も適する彼らだけの独自の制度・システムを既存の社会のただ中に創出していく方向である。それは新しいセルフヘルプとでも言おうか、既存制度の側からの統合を待つことなく、自立的な空間をつくる運動である。

 その象徴的存在はカラチのオランギ下水道事業であった。マスタープランに従って下水幹線から枝線へと機能的に工事していく官僚都市計画と全く反対に、オランギ住民は金を出し合ってまず個々に路地の改善を始め、しだいに触手を伸ばすようにして排水ネットワークを街全体に広げていった。腐敗した行政がやってくれるのを待つ前に自分たちで解決へと歩みだし、住民の側が本来行政の仕事とされている領域まで踏みいってその自治能力を示すことができたら、そのときこそ初めて住民と行政との不平等な関係に変化がきざす、今ここで始めればよい、なぜ権力がやってくれるのを待つ必要があろうか。それがオランギのメッセージであった。
 また、スリランカの女性銀行のように、既存制度の枠外に独自の融資プログラムを作る動きがめだってきた。これは単に、既存の商業銀行や政府融資機関が貧困者を対象にしていない、という否定的な要因のみからでてきているのではない。もちろん出発はそうであるけれど、これらがかくも持続し、似たプログラムがあたかも流行のように各国で行われるようになっている事実の背景には、より積極的ないくつかの理由がある。なかでも最も重要なことは、人びとが自分たちで築いた制度を「わがもの」と感じていることである。自分と仲間の金が自分たちがコントロールできる形で今ここにあり、自分が返した金は仲間のために使われる、という実感こそが、これらのコミュニティ・ベーストな融資制度を支えている。

 

3 アジアの居住運動の経験から学べること

さて、日本の野宿者運動、特にのじれんのこれからの歩みにとって、以上に述べられたアジアの経験は、どのように役に立つであろうか。これに関して、以下3点のコメントをしておきたい。
 (1) のじれんは、1の対決型運動から3の自立的な空間制度運動への可能性が開けてきた段階と言えよう。ここで、3の自立的運動を考えたとき、日ごろ何も出来ないと思い込まされている人々が自信を取り戻す意味としても重要であることに注目すべきである。なにも既存の社会に再び、無理して自分たちを適応させて組み入れる必要はなく、自分たちの新しい社会を作り上げて行けば良いのである。そこに大きな魅力がある。それによって、逆に社会全体を変革していけばよいのである。そう考えると、ただ対行政闘争を繰り返すよりも、社会へのインパクトは大きい。しかしながら、実際のアジアの現場では、外から来た支援者が自立的運動はこんなにすばらしいんだよと言っても、スラムの人々に(また何も出来ないと思い込まされている人々に)なかなか伝わらないことも多い。こんなとき、実際に別のスラムで同じような境遇にありながらも、少しでも自立的運動を進めて力を得つつある人々との交わり〔仲間同士の経験交流〕こそが力になっている。つまり、彼らに出来るのだから自分たちにも出来そうだと思えてくる。渋谷の場合に、そのような先行例が日本にはほとんど見当たらないので、最初は大変かもしれない。アジアのスラムの人々との交流がその助けになるかもしれないが、一方あまりにも状況が違うような気もする。…しかし、もしうまく行けば、逆に、日本全国の野宿者を励ます良いモデルになることは間違いないだろう。  (2) コミュニティーを基盤とする運動は新しい社会をつくるのにとても大事だと思う。ここで、アジアの例をふりかえってみると、コミュニティーの結束の力 が弱まる大きな要因が2つある。
一つは、対行政闘争を繰り返していくなかで、行政側があまりにも強くて、何一つ実りを得られない時期が長く続くときに、あきらめから、コミュニティーの結束は弱くなる(渋谷では、これを去年経験している)。もう一つは、行政闘争において、実りを得た結果、自分たちの生存を脅かす抑圧が弱くなって、生ぬるい状態になると、かえってコミュニティーの結束は弱くなる。つまり、1の対決型運動だけでは、コミュニティーの結束を持続させることは、難しい。そこで、アジアの経験では、3の自立的な空間や組織への運動が大きな力を持つ。これは、コミュニティーを結束させる大きな魅力となりうる。  (3) ただし、3の自立的運動に対しては、普通、次のような批判が1の対決型や2の社会統合型運動からなされる。それは、自立的な運動に関わっていくことの出来ない、もっと弱い立ち場の人達がいて、その人達が取り残されてしまう、そこに分断が生じるといった批判である。これは、もっともな批判である。だからこそ、1や2の運動との連携が必要だし、さらに、3の運動によって、実りを得つつある仲間自身が、自分達さえよければよいという利己的な考えから出来る限り脱却して、つねにより苦しい状況に置かれている人々に目を向けていることが必要である。3の方向に歩み出した仲間が、自分達さえよければという利己的、閉鎖的な状態に陥れば、その運動はその時点で、失敗に向けて歩み出すことが多い。

 

4 おわりに

 最後に日本の特殊事情を意識しておくことも重要である。大きな違いが4点あると思う。第一に、日本の野宿者達は、ほとんどが単身者しかも男性である。第二は、日本の野宿者は、公園や河川敷に住んでいる仲間以外は、普通は、一般的には定まった場所、またコミュニティーを作っていくような場所がほとんどないということである。第三に、お金の問題がある。一般にアジアのスラムでは、人々は、少しのお金でも、これまでの人生で扱ったことのない人が多い。そんな中で、たった10円でも20円でも貯蓄を続けて,自分達がコントロールできるお金をつくるということは、大きな自信につながり、そこから例えば貯蓄グループの形成は、コミュニティーの結束を強めるのに大きな役割を果たす。しかし、日本では、野宿者は、子供の頃は大金を目にしたことがあるだろうし、また今でももし、一日仕事を見つければ、5千円以上の大金を手に入れることもありうる。そのような状況で、小額のお金を継続的に出し合う貯蓄グループのようなものがうまく育っていくかどうかという疑問もある。
 第四に日本の社会におけるコミュニティー意識そのものの問題がある。日本は、高度成長の過程において、このコミュイニティー意識をかなりのところで、置き去りにしてきたと思う。そういった状況で、再びコミュニティーを作り上げていくのは、並大抵の努力ではないであろう。
 しかしながら、日本の社会全体が再び真のコミュニティー意識を持つ社会に変わることができるとしたら、まずそれは、野宿者などの貧しい人々のコミュニティーづくりがその起爆剤になるしかなく、その意味で、このコミュニティーを基盤とした自立的な空間や制度への運動は、野宿者だけのためでなく、日本の社会全体を変革するために、非常に重要な方向であると思われる。




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渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
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