社会司牧通信 No 89 99/4/15
 下関便り…(13)

   ある緊張


林 尚志(イエズス会労働教育センター)

 コソボからの難民の悲惨な脱出・追放の状況がテレビで放映される時、ここ下関は桜の開花。短い花の下で、人々はしばしほろ酔いの時を楽しむ。自然の中での喜びを味わい感謝して良いのだが、情報のグローバリゼィションにより同じ地球市民・家族としての苦痛が響いて来る。20世紀にさんざんその悲惨さを経験しながら、国家・民族・宗教等の既成の枠組みは問題を解決出来ず、かえって深刻化する。
 空爆強化を決定したクリントン大統領は、イースター休暇に飛び立つ。大量の兵器が消耗され、人命も自然も非道に消耗する。なんと愚かしく、空しいことか。この破壊の中に復活祭が示す希望も喜びも無い。しかしこの破壊がもたらされるに至る状況への関わりは、国家としても地域のNGOとしても何が可能であったのだろう。
 やっとその独立が具体化してきた東ティモールでも、対立を煽り操作するように武器が渡されている情報があっても、悲劇的状況が予想されても、国家やその政府間の動きは実に遅く非効果的である。そして私たちのNGOも微力で鈍い。まして地方選挙の中で、市民レベルからの代表を出そうと懸命の努力をする時、必要を感じていても関わる余力が無い。
 そんな状況の中で、三月末、夕食抜きで九時過ぎまで一つの会議があった。NGOネットワーク山口(社会司牧通信84号参照)の世話人会議である。
 県下十数のNGOが昨年結成したこのネットワークはスタートから、問題を抱えていた。県行政の下請け機能を持つ、山口県国際交流協会を軸足に(呼びかけ・事務局等)、東アジア・東南アジア・南アジア・近東・ロシア圏・アフリカ等、多様な相手を持った、規模の大小様々なNGOが、言わば僅かの準備で集まり発足したわけだし。ODA等日本の海外援助の的外れを、NGOの立場と経験から正して行こうという気負いが強かった。それに、県やJICA(国際協力事業団)から補助金が引き出せるなら、それに見合った企画をとあせりながら、NGO活動のヴェテランにお任せ的なことも含めて、ネットワークとして草の根的足場固めが不十分なままで活動してきた。三本柱として、1)国際協力地球市民講座、2)自治体国際協力実務研修会、3)国際フェスティバル等、それなりの実績は残した。
 しかし、僅かのメンバー、資金で活動しているうえに、なにより自分達の相手の国々の人々の必要を第一にしなければならない小さなNGOにとって、ネットワークの企画を実現することは、結構な負担であった。例えば、委員会に参加する一回の往復交通費で自分の支援する人々の家族が一月以上生活できる。行事をこなす会議が殆どでお互いのNGOの姿が見えてこない。生活の負担の大きい中でぎりぎりで行っているNGO活動に加えて、行政の下請け的な事までしなければならない。時間は掛かるが草の根民主主義的段取りが希薄だ…等など、それぞれ意識も経験もある人々だけに不満・批判も出てきた。
 そこで、一つの立ち止まり・足場固めが自然に出てきた。それは、下関地方が国際フェスティバルの企画実践の責任を取り、準備の会合を諸NGOが重ねる中で出てきた動きだった。県全体をカヴァーするネットワークの前に、西部でもっと情報交換・協力を密にして、十分意見交換が出来、お互いの顔の見えるネットワークを創ろうと言う話になり、名づけて「ネットせーぶ」が結成された。
 早速分裂、分派かと思われる方もあろうが、NGOネットワーク山口に参加しない、出来ない団体や個人も含んで、すそ野が広がると考えられる。「せーぶ」は、山口県「西部」の身近な所という地理的な観点も、国際的「save」と地域的「save」の目的も含んでいる。
 政府とか県行政主導の国際協力・国際交流に限界・問題を感じ、参加・協力しながら、相互協力で行こうと思うが、特に国境を越えた緊急事態にNGOの活動が、迅速効果的に行われたらと思うが、未だ程遠いのか。
 アブラハム・ミッションとか、JRS等の国際NGOの活動を聞く時、小さなNGOでも、自分の本来の相手との関わりを損なわないならば、一時的でも力の結集と思うが、なかなか難しい。ネットワークのねらいは何だったのか。行政内部の変革、すでにあるNGO自身の開発についての自己養成の継続をも考えてネットワークは創ったものも、ある緊張の中で模索している。地域のNGOのネットワークは何が出来て、しなければならないのだろう。下関発の質問である。

【編集後記】

 2月にJDRADの事務局責任者で信徒のニァムさんがセンターを訪れました。3月14~16日には、東京・大阪・下関と3つの社会司牧センターの信徒職員がはじめて一堂に会した研修会がありました。
▲最近、イエズス会でもやっと信徒共動者の存在が注目されはじめました。あるべき共動関係の確立など、まだまだ先の話。東京センターでも、今日も仲良くケンカしながら働いています。

(柴田 幸範)