社会司牧通信 No.88 99/2/15
下関便り…(12)

 バリアー・フリーをめざして

林 尚志(イエズス会労働教育センター)

 「土建自治体」から「福祉自治体」へ…。これは下関の市民運動グループ、「福祉の街づくり」懇談会(以下、懇談会)の機関パンフ、『Information』第11号の巻頭文の呼びかけです。経済不況・就職難・少子化・超高齢化社会等々の波の中で、自分たちの街づくり、すなわち自分たちの生き方を、現状の調査・評価・討議・対話・変革(創造)行動から生み出していく普通の市民の考え方の表現です。不況対策としての投資が「公共事業」より「社会保障」部門になされた方が、雇用効果が大きいという考え方にも基づいています。しかし、現在の産業構造を延命し、それで食べ、あわよくば夢よもう一度的な考え方では、この街の冷え込みには拍車がかかるでしょう。
 私事ですが、先月交通事故で救急車によりこの街の国立病院に入院しました。いろいろな人々にお世話になり感謝します。短期間の入院でしたが、たくさん学び気づきました。統廃合の病院存続の難しい状況だからでしょうが、看護婦さんの人数が看護労働の量に追いつけず、当然質が低下します。手の不自由な高齢者が、配膳された病院食を前にして、冷えていくまま30分、看護婦さんを待っている。多くの病室からナースコールが鳴り、「看護婦は忙しいのよ、あなただけじゃないんだから」と、分かっている当然の返事が、走りながら仕事をする看護婦から口癖のように返ってきます。「国は予算の配分間違えているよな。厚生大臣がこの国立病院の一般病室に入院してみればいいんだよ」と、自分も動けない同じ病室の患者までストレスの中に落ちる。何とか自力でと車椅子を求めるが、古いものは手入れがして無いのか、怪我後の腕力では重たいし、ブレーキのストッパーはあまいし、第一車輪部分が埃にまみれて不衛生です。市民病院はどうだか知らないが、地域の公立医療機関について、もっと主体性をもったかかわりをしてこなかったことを恥じました。  「懇談会」の代表kさんが、ある夜、電動車椅子でJRを利用しようとして切符まで買ったが、下車駅が夜8時以降駅員不在となるので利用できず、夜道を電動車椅子で帰った話を思い出します。私たちの街は、人と人の交わりが豊かに行われるためには、あまりにバリアー(障壁)が多いのです。「懇談会」は、気づき、訴えられるバリアーを一つ一つなくして行こうと行動しています(バリアー・フリーを目指して)。現在、市内のバス会社と交渉しているのは、低床バス配備ですが、会社は経費と運転上の困難から取り合いません。でも他の地域では、公共の補助を受けながら民間会社が導入している前例がありますから、なんらかの前向きな結果も出るでしょう。


 ここ三ヶ月間ぐらい、「五体不満足」という本がベストセラーとして読まれています。先天性四肢切断という生まれながらの体で、まず産みの母に「まあ可愛い」と受け止められ、多くの人々のバリアーを越える共生に支えられ、「障害は不自由だが、不幸ではない」というヘレン・ケラーの言葉を引用して、著者はその生き方を自らのびのびと表現しています。私は、この本がベストセラーになっている今の日本に希望を持ちます。バリアー・フリーを目指す福音に心を開き共感することを証しているからです。



【編集後記】

インフルエンザが日本中で猛威を振るっています。  もうすぐヨーロッパやアメリカにも広がるでしょう。  一説では、毎年インフルエンザを悪化させて死ぬ人が、日本だけで数千人いるとのことです。人類最後の疫病と言われるゆえんです。
▲ところで、飢餓にあえぐ北朝鮮の新聞に、インフルエンザ対策として載っていたのは「はちみつとショウガ汁」「ニンニクの絞り汁」だったそうです。 しかし、栄養不良で体力が落ちている北朝鮮の人たちが、満足な薬もないままインフルエンザに襲われたら、と思うとぞっとします。
▲貧しさの前では病気さえ平等ではないのです。風邪予防に励みながらも、本当に苦しんでいる人たちのことを心にとめていたいものです。
(柴田 幸範)