社会司牧通信 __ No 87__ 98/12/15

 
出生前診断をどう考えるか-学生たちの意見


北原 隆(上智大学名誉教授)
 今年、上智大学と岡山のノートルダム清心女子大学で、出生前診断のメリットとデメリットについて講義することができました(出生前診断の倫理的考察については本紙81号<1997年12月>の筆者の記事を参照)。講義の後、学生に一枚の感想文の形で、出生前診断のデメリットを最小限にするにはどうすればよいかについて自分の考えを書いてもらいました。数百人の感想文を読むのは大変でしたが、現在の若人の考え方について多くのことを教えていただきました。ノートルダム清心女子大学の感想文から、いくつかをご紹介いたします。

デメリットのなかで第一は、その診断によって異常が見つかった場合の胎児の堕胎である。…生きる権利が障害の有無によって決定されてよいのであろうか。そして、第二に本人や家族の社会から受ける疎外感がある。社会が障害者を認めようとしないのだ。…第三に障害の診断によって人間の価値を下げるようになってしまうのではないかということだ。
 これから分かるように、出生前診断を取り巻く唯一にして最大の問題はこの社会である。…社会全体の障害者に対する意識の改革こそが、最も困難ではあるが、出生前診断のデメリットを防ぐ最大の方法ではないだろうか。


私はこのレポートを書くにあたり、大変な迷いと憤りをいだいている。なぜ障害者を特別視するのか。この現状を生み出している社会を悲しく思う。また、そのことについて客観的に述べている自分も、差別の加担者であるのではないか。
 多分、これからも遺伝子診断が、選択の自由を有するもので、利己的人権を主張する人々にとって一つの手段として存在する限り、なくなることはないであろう。しかし、その診断自体を無くすことではなく、その診断によって起こる状況を、一人りでも多くの人が知り、少しずつでも、改善していくことに全力を尽くすべきである。

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障害をもって生まれてくることが分かっても、共に生きていく決心をしている親であるなら、私は遺伝子診断は便利であると思う。生まれてくるまでの間に、それなりの準備をすることは可能であり、早期治療によってなんとかなる事もあるし、予防も可能となっているからである。
 …出生前診断を受けるか受けないかは個人の自由である。しかし私は、どちらを選ぶにしても、きちんとしたカウンセリングが必要であると思った。きちんとした知識を親にもたせたうえで選択するべきである。

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障害をもつ子もお腹のなかで生きている一つの命であるということがわかっていても、障害児を育てることは大変なことだから、自信がなくて堕胎を選択する人を私は責めることができない。しかし「障害児を育てることが大変なこと」にならないような社会だったら、障害児が生きていくのに大変な社会でなかったら、異常が判明した子を堕胎しようとは思わないだろうと私は考える。
…社会は変わっていくのではなく、この社会のなかで生きる人が社会を変えるのである。もっと多くの人が障害者の人々についての知識を得て、理解を深めて、そして障害者の人が生きていきやすい社会をつくっていくことができれば、出生前診断のデメリットを最小限に押さえることができると考える。

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私は出生前診断という言葉を知らなかった。そして、そのときは何も考えなくて、ただ便利なものとしてしか受けとめていなかった。
 …私は自分に赤ちゃんができ、検査を受け、障害があると判った時のことを想像した。正直に言うと、まだ実際問題としてうけとめることができないということもあるが、今の段階では産むことができないかもしれないと思った。
 …私たちは急には無理だと思うが時間をかけても、何の偏見もなく障害をもっている人々に接することができる社会にしていかなければならないと思う。
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そして私自身も、今はまだ障害というものに対して、壁をもっているが、赤ちゃんを産むころまでには、命の尊さを知り、偏見なく、誰とでも接することができるような、すばらしい人になりたいと思う。
診断のデメリットをゼロにする方法は、診断を受けないか、あるいは診断を受けて障害がわかっても産むことに限られるように思う。しかし、メリットがあるのも確かなことなのだから、そのメリットを尊重することも悪いことではないはずである。障害児を産むことが不幸だとする傾向が強い今の社会を変えていくには、むしろ障害をもった胎児を自然に産む人が増えることに、解決の糸口があると思う。そしてまた、そうなるためには、障害児を受け入れる社会が万全である必要がある。今この双方がまだあまりにかけ離れている。この先、双方がコミュニケーションをとって、互いの声を聞いて少しでも近づいていかなければ最終的な解決にならないことは確かである。
 これらの文章を読みながら、生命倫理を教えるとき、今日の若人の関心と理解を引き起こすために役立つと思われるいくつかのポイントが示唆されているような気がします。ここでそのポイントを述べることにします。
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  1. 多くの学生は、社会の偏見こそ遺伝子診断のマイナス面(リスク)の原因であることを指摘する。また、診断を行う場合、診断を行う医師が、その結果の意味を正確に教える正しい情報やカウンセリングを提供する必要が指摘されている。ところが、そのような情報や指導は、現実にはたびたび皆無である。

  2. ほとんどの学生は、障害児の両親を支える適当な社会サポートを強調し、社会が障害者を受け入れる措置(雇用の可能性、障害者と健常者を切り離さないで互いに知り合うきっかけを与える教育施設など)を一日も早くとるように要請すべきであると訴える。

  3. 幾人かの学生は、両親が障害児の誕生を受け入れることによって、社会の障害者に対する偏見に満ちた考えを変えさせる道を整えることになると訴える。逆に、障害児の堕胎は差別をさらに強める結果をもたらすと指摘する。おもしろいことに、堕胎に反対する理由として、人間の生命の尊さを無視するからだとする学生よりも、障害者に対する差別性を告発する学生の方が多くみられる。

  4. 障害児に対する自分の誤った考え方を変えさせたものとして、自分が障害者と知り合って、つき合う体験に恵まれたことを述べる学生が少なくなかったことも、指摘に価する。

 以上、感想文を読んで印象に残る、いくつかの頻繁に見られた学生の意見を述べました。高等学校などで若い人々に倫理と宗教を教える先生方が、生徒の理解を得るために、この文章から何かのヒントになるものを見つけていただければ、望外の幸せと存じます。
  問い合わせは
  北原 隆 電話03-3929-0847         Fax.03-5991-6928
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