社会司牧通信 __ No 87__ 98/12/15
ボランティア教育の現場から(3)
奉仕の精神―泰星学園の東ティモール訪問
梶山 義夫(泰星学園)
 イエズス会の姉妹校は、全世界に散らばっている。 インドネシアの聖ヨセフ学園もその一校で、平成9年7月、校長と進路指導部長と45期生田中大樹君は下関労働教育センター所長林尚志神父(イエズス会)と共に訪問した。同年9月から泰星と特別な姉校妹縁組みを組んだこの学園は、3年制の高等学校である。  学園の創立は1982年。この新しい学校は、東ティモールのディリ教区長カルロス・フィリペ・ベロ司教によって「聖ヨセフ・カトリック高等学校」という名称で開校した。 ベロ司教は1996年にノーベル平和賞を受賞しているので、その名を聞いたことのある者もいるだろう。 信徒への奉仕活動を主な使命とする教区は、学校運営を教育活動に実績のある修道会に移管しようと考え、1985年にベロ司教の依頼に応じてイエズス会インドネシア管区がその会員を校長に派遣した。 そして、1993年9月3日、学園経営が完全にイエズス会に移管され、1994年、名称を「聖ヨセフ学園高等学校」と改称して姉妹校の仲間入りをしたという経緯を持つ。 泰星も、かつては福岡教区を経営母体としていた時代があり、イエズス会に経営が移された学校として現在に至っているので、似たような歴史を持つ学校と言える。
聖ヨセフ学園の特色と現状
この学園の最大の特色は、隣接するファテイマの聖母小神学校の小神学生(将来カトリック司祭になることを希望する高校生)の教育施設としても機能していることである。この小神学校の指導もディリ教区からイエズス会に委託されているのだが、この点においても泰星と酷似している。泰星の創立当初は小神学校だったのであり、またごく最近まで浄水通教会の隣にある福岡小神学校の小神学生が泰星に通学していたのである。

 泰星と異なる点は、まず男女共学であるということ。そして、生徒の大半がカトリック信徒であること。従って、教育目標においても、福音的センスを身につけてカトリック教会と社会全体を指導する人材を育てることであり、人格の形成・知性の成長・教会と貧しい人々への惜しみない奉仕、が強調されている。校訓の「AD MAJOREM DEIGLORIAM」(より大いなる神の栄光のために)は校門に掲げられている。学園の規模は、全校生徒262名(うち、小神学生90名)、9クラスとこじんまりとした学園である。
そこに働く教員は29名、事務職員・用務員が7名、そのうちイエズス会会員は3名である。他に3名の会員が小神学校の指導に当たっている。

 東ティモールは貧しい地域である。授業料は月額5000ルピア(約300円)であるが、これを約20名の生徒の保護者が支払えない。そのため、学園は慢性的な赤字経営に陥っている。また、この地方は政治的緊張が絶えない。インドネシア軍と独立派との間の紛争が頻発しているのだ。そんな状況下にあって教員の大半が東ティモール出身ではないため、生徒と教員の間に信頼関係が生まれにくいという。また、東ティモールにはよい大学が無い。将来が期待される優秀な卒業生が高い教員養成教育を受けるためには、ジャワのジョグジャカルタにあるカトリック大学教育学部で5年間学ばなければならない。アグン校長は毎年2~3名の卒業生を大学に送り出したいと語るが、一人あたりの学費が毎年30万円程度は必要だそうだ。とても東ティモールの経済状況では考えにくい金額である。しかし、東ティモール内では教職員の継続した養成教育ができない、ということで将来的展望の見えない環境にある。そして在校生たちにとって最も悲しいことは教育施設、特に理科関係が不十分なことだ、と言う。
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 もっとも、物質的に日本よりはるかに貧しい東ティモールの子供たちの目は、生き生きと輝いている。小さな子供たちは裸足でサッカーに興じ、テレビゲームに生気を吸い取られている日本の子供に比べて、どちらが幸福なのか、その判断は難しい。しかし、日本の子供たちは彼らから学びとるべき事があるのは確かなことだ。

 泰星がこの学園と姉妹縁組みを結んだ理由は、泰星の目指す「より人間的な社会の建設に貢献する人間の教育」の一環として、国際的視野を広めることを東ティモールを通して行うことが期待できるからである。生徒の派遣等までは考慮していないが、この縁組みを泰星の教育の一助として、また聖ヨセフ学園の発展のためによりよい関係を構築していきたいと考えている。
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学生の感想
 同行した卒業生の田中大樹君(45期生、上智大学外国語学部英語学科在学)は次のような感想を寄せてくれた。

 「『Vivere est militare』(生きることは戦うこと)。私はこの言葉を聖ヨセフ学園の図書館に貼ってあった壁新聞の中に見つけた。高校2年生の書いたものだ。若干16~17歳のこの生徒たちに、このあまりにも生々しい言葉を吐かせてしまう状況とは一体何なのか。これが私のわずかな東ティモール体験の中で私を打ちのめした最も忘れがたい事であった。この疑問の背景をここで皆さんと一緒に考えることで、『東ティモール』という私たちにとって馴染みの薄い言葉に少しでも関心を持つ手助けができればよいと思う。

 東ティモールは、ちょうど私が生まれた1975年以来、インドネシアの軍事占領下にある地域である。地理的にはインドネシアの首都ジャカルタがあるジャワ島の東。そして観光地として有名なバリ島と、イリアンジャヤ(西パプアニューギニア)とに挟まれた地点にある。
小スンダ列島の最東端にあって、オーストラリアにも極めて近い。面積は19,000平方キロ、ほぼ四国ほどの大きさを持つ。インドネシアの侵攻前1974年には約70万人居た人口も、現在このうち20万人(全住民の約30%)が死亡し、なお多くの人々がインドネシア軍の収容所、刑務所に収容されていると伝えられている。加えて、マラリアや結核といった病気と貧困が、現在も抑圧された東ティモールの人たちを苦しめている」

姉妹縁組みから連帯へ
 「この中には、当然、私たちの姉妹校である聖ヨセフ学園の生徒たち、その両親や兄弟友人たちも含まれている。その窮状を、聖ヨセフ学園校長アグン神父(イエズス会)は『家庭で一日三度の十分な食事がとれないので、授業中に倒れる生徒もいる。栄養補給のために、毎週土曜日には学校でミルクを配っている』と語ってくれた。私たちが訪れた短い期間は、偶然週末に重なっていたので、大勢の生徒が赤いコップに入ったミルクを並んで待っている姿を目にすることができた。
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 理科実験室にはあるべき機材はなく、図書館には僅かな書籍が申し訳なさそうに本棚に並んでいるだけだ。何かにつけて空所が目立つ。『親を病気や戦争、失踪(事実上の拉致殺害)で亡くしている子供たちには今の生活が精一杯』という状況と学校の経営は無関係ではない。私立学校が生徒の栄養状態に気を配らなくてはならないほどなので、学校経営は教会の寄付にその多くを依存している。インドネシア政府からの援助はほとんどない。

 しかし、長い間、日米をはじめとする大国から意図的に無視され、メディアからも忘れられていたこの小島が、現在ではノーベル平和賞の受賞者が出るなど、世界中の注目を集める存在となった。とはいえ、情報も出入国も制限されている現地の人々にとっては、海の向こうで何が起こっているのかを知る術はない。訪れる外国人もほとんどいない。彼らは世界の中で、自分たちだけがポツンと孤立していると感じているのだ。
 私たち(泰星)は、東ティモールのかつての首都ディリで最も優秀な高等学校(実際に、これまで多くのリーダーを輩出している)と姉妹縁組みを結んだ。東ティモールの学校と姉妹関係を持っている学校など、世界中の何処を捜しても有りはしまい。この特別なパイプを通じて東ティモールの将来を作ってゆく若者たちを経済的に、また同じカトリックの精神を共有する友人として精神的に、援助できる立場に私たちはいる。これは大変な誇りであると思う。一方、東ティモールの生徒たちにとって、このパイプは直接外の世界を覗き見ることのできるたった一つの小さな窓なのである。『将来、東ティモールが独立するか、インドネシアの一部であり続けるかどうかは私には分からない。だが、いずれにせよ優秀な人物を育てておくことが、今私たちにできる最良のことだ』と言うアグン校長の持論とそれに賛同する梶山校長の見識の合致が国際的な関係を保っている。私たちの割く僅かなお金が彼らへの大きな援助になる。
 そして何よりも『ひとりぼっちではないんだ』と彼らに思ってもらうことができれば、それが最大の貢献と言えるのではないだろうか。
 東ティモールに於ける人権侵害と抑圧は『人間は手段ではなく目的である』というカントの原理の否定である。生徒たちの『Vivere est militare』とは、その抑圧に対する当然の答えであり、私たちが忘れてしまった魂の深い叫びである。在校生の皆さんも、卒業後にでも是非この地を訪れて、姉妹校の同胞たちとの交流を通じてこの想いを共感してもらいたい。

この記事は『泰星学園紀要』
<1998年3月>から転載しました
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