社会司牧通信 __ No 85__ 98/8/15
     ミッション ブルキナファソの人々と共に

川地 千代(イエズス会社会司牧センター)
  私は1979年から西アフリカでの宣教を始めました。ある黙想会の時、主の次の御言葉が私の心の内に響きました。「全世界に行って福音をのべ伝えよ」。そして私が宣教生活を始めました当時は、私の看護婦としての医療知識をアフリカの人々に与えてゆこうとする傲慢な心を持っていました。それから、彼らとの出会いの中で試練を体験しました。種々の異なる文化、価値観、言語、歴史、生活体験などに直面してショックを感じたのです。彼らとの余りの相違にびっくりし、自分は彼らと一緒に生きてゆくことができるかしら、との疑問とためらいにぶつかったのです。
私は迷ってしまいました。そして、祈りのうちにキリストの御言葉が私のうちに蘇ってきました。それは「恐れることはない。私に信頼しなさい」という御言葉でした。この聖句に支えられ、祈りと活動を通して、私の彼らに対する関わり合いは少しずつ変化してゆきました。それは、私が彼らに与えようとするのでなく、彼らから私が受け取り、学び、種々の相違点や困難な点を受け入れ、彼らとの出会いのうちに共に考え、生き、意見を交換し、対話を持ち、物質的にも精神的にも互いに分かち合い、働き合って、一つの目的のうちに彼らと共に大きく育っていくという姿勢です。

 民族によって外面的違いはあっても、人間の本質である生命、愛、人間形成の追究は、皆同じように持っているのです。ですから彼らに教育、宣教、医療知識などを押しつけるのではなく、彼らの自由と責任に基づいた主体性を生かせる場を作り上げていく愛の姿こそが、宣教者であると私は確信しています。そして、この愛に生きるためには、キリストの生き抜かれた愛、キリストのまなざしで一人ひとりのニード(社会的、心理的、物質的、精神的ニード)を見つける目、主の御言葉を自分のうちに生かす努力が不可欠です。
page - 1
ブルキナファソという国
 ブルキナファソは西アフリカに位置し、日本の国土面積の2/3にあたる27万4千km2、人口は日本の1/10の1千万人です。気候は6~10月の雨季と10~5月の乾季に分かれ、特に3~4月は非常に気温が高く、45度以上の日も珍しくありません。天然資源は乏しく、人口の92%が農業に従事し、水不足による飢餓状態が彼らを大いに苦しめます。識字率は7%で、世界で最も低クラスなのが現状です。国民は62の部族からなり、25%がキリスト教、45%がイスラム教、30%が伝統宗教を信じています。外交は穏健な中立政策をとり、経済的にはフランスはじめヨーロッパ諸国との結びつきが強い国です。日本には1994年12月に大使館を開設しており、とても親日的な国です。また部族間の争いのない平和な国であり、部族の人たちは互いによい対話のうちにコミュニケーションしています。  
 医療の面では国立病院が2ヶ所に存在しますが、病院設備は非常に貧しく、入院時には必要な衛生材料や医薬品をすべて患者が持っていかなければならず、買えない人は医療機関は利用できないという現状です。この国の主な疾病は、食糧難(降水量が不安定で農業生産高が激減することによって起こる)による乳幼児の栄養失調で、その結果体力が低下して、マラリアや風土病にかかった時に抵抗力がなく、死亡する例が多いのです。さらに、予防接種に対する理解不足からくる小児麻痺やはしか、結核、貧血、肺炎などの罹患率が高く、最近はエイズの問題も深刻になっています。

生活と一致した信仰
 ブルキナファソのカトリック教会の動きは非常に活発で、信者の数は毎年増加しています。
page - 2
私が所属する教会は教区の中でも大きな教会で、毎年クリスマスと復活祭には子どもが100名、大人が200名ほど洗礼を受けています。大人の場合は4年間カトリックの教えを学んだ後に受洗し、その後1年間さらに勉強して信仰を深め、堅信を受けます。受洗を希望する人は、入門式から受洗までの各段階の終了時に、日曜のミサの中で全信者の前で紹介され、教会の家族の一員として育っていく自覚を互いに強めています。受洗に際しては本人の生活態度が考慮され、ふさわしくないとされた人はさらに勉強を求められます。
 毎朝の週日のミサには100人程の信徒が、1日を始める前に祈りに参加します。祝日や日曜のミサは、ブルキナファソ人独特の各部族の生活習慣を取り入れた典礼で盛大に行われます。日曜のミサなどは3時間近く続くことがありますが、ちっとも長く感じられません。ミサの前の行列、御言葉の祭儀の行列、聖書朗読は代表的な部族の言葉で歌われます。
時には、聖書の場面を祭壇の前でパントマイムで表したり、劇にしたりすることもあります。奉納の時には、ダンスのリズムと共に彼らの収穫した農作物、家畜、学校の教科書やノートなどが奉納され、ミサの中に彼らの生活が浸透しています。閉祭の時には、祈りと共に神父様と一緒に聖堂を出て、外で喜びを表現するためダンスを踊ります。また、村では識字率が低いため、典礼委員あるいは特に選ばれた人が村の信者たちの意見を直接聞きながら典礼聖歌を作詞作曲し、日常の生活が生かされた、創造性のある典礼を、共同体自身で作り上げています。そのために、ミサの後にはさまざまな集会があり、みんな喜んで参加しています。
 私が所属している教会は4つの村の巡回教会を持っています。村人自身が司祭に自分たちの村に教会を建設したいという望みを話し、彼ら自身が簡単な土壁づくりの教会を建設します。司祭が常に村の教会にいるわけではないので、カテキスタの役割は大きく、彼を中心に教会の動きがなされています。
page - 3
また、家族内での夕の祈りも熱心に行われています。ブルキナファソの人々が朝交わす挨拶には、「神様が今日一日を祝福してくださいますように」「神様の平和がありますように」「神様はあなたといつも一緒」といったものがあり、生活習慣の中に神様が生きています。畑仕事をする時にも神様を賛美する歌を歌いながら働いています。

修練長としての体験から
 西アフリカ全体で、司祭や修道女の召命は12歳頃から芽生えます。各修道会では小学校卒業と同時に養成の家に受け入れています。自分の村や家族から離れて自分の希望する修道会の養成の家に住み、その家から中学・高等学校に通学するケースが多く見られます。養成の家に入所するには各教会の司祭の紹介が必要です。
私の修道会も西アフリカに2ヶ所の養成の家があり、若者たちが将来私たちの修道会のメンバーになるため、共同生活のうちに学び、祈りながら、自分の召命の見極めをしてます。この共同生活の中で、食事、掃除、祈りなどそれぞれについて、週ごとに当番で責任者を決め、当番制で全員働きます。

 最初の段階では、学校を卒業するための人間的、社会的知識を深めることを目的としていますが、2週間に一回、定期的に養成担当の責任者と出会い、自分の現在の召命に対して感じていること、考えていること、学校生活、養成の家での他者との交わりにおける喜びと困難、神様との日々の出会いなどを分かち合うと同時に、日曜日には「祈りについて」「キリストについて」「聖母マリアについて」などテーマに沿った話と分かち合いを通して、キリスト者としての生き方を深めています。
page - 4
夕の祈りは全員一緒に、担当者を決めて行っています。この時に聖書の分かち合い、自由な祈りなど生活を生かした祈りを行っています。夏休みには人間的あるいは霊的なテーマを取りあげて10日間の講習を行い、各学期の終わりには3日間の黙想会を行っています。

 高校卒業後、本当に私たちの修道会に召されていると思う若者は、一年間私たちの共同体で実習をします。彼女たちは私たちの修道会の生きた生活を直接体験し、私たちも彼女たちの召命への心を育て、識別を育てていきます。その後、養成の家とは違った場所にある修練院で2年間の修練期を始めます。1年目は人間的課題(社会問題の理解)、心理的課題(自己発見、他者との関わり合いにおける心理)、霊的課題(聖書、神学、教会と私たちの修道会の歴史、教会の神秘や秘跡論など)についての講話を受け、それについて討論し、考察します。土曜・日曜には司牧体験(子どもの土曜・日曜学校、コーラス・グループや青年グループ、祈りのグループの指導など)をしています。
さらに、祈りの体験、共同体での霊的・人間的交わり、共同作業、修練長との定期的出会いなどを体験していきます。

 2年目には、各自の能力と希望により、1週間に3日間、社会福祉の体験(栄養失調センターでの手伝い、ハンセン病の人の訪問、エイズ患者への定期的訪問、近所村の病人の訪問)をしています。これらの活動を通して、幅広く自分の召命を深めるプロセスを生きていきます。

 2年間の修練の後に、修練者は初誓願をたてます。初誓願式の典礼も、各部族の風習を取り入れた典礼で、修練者は教会の典礼委員の信徒と一緒に自分たちで作り上げます。
西アフリカの共同養成
 10年程前から、西アフリカの多くの修道会で志願者が急増しました。1989年に開かれた西アフリカの女子修道会・男子修道会の総長・管区長会議で、
page - 5
修練長の養成が重要であるとの認識から、アフリカで司祭の養成をカリスマとしているある修道会の司祭に修練長養成講座が依頼されました。私もその第一回の講座に参加しました。

 現役の修練長とこれから修練長になろうとしている人、合わせて30名のシスターが西アフリカ各国から集まりました。30名の国籍は15ヶ国にわたり、アフリカ人15名、外国人15名で構成されています。この30名の大きな共同体は6人ずつの小さな共同体5つに分かれ、町から遠く離れた祈りの家で、自分たちが修練者になって5ヶ月間の養成を受けました。

 この講習会を通して私たちは、一人ひとりの修練者の持っているダイナミックな面-すなわち、修練長の役割とは修練者がめざしている召命の恵みを育ててゆく助け手となることであり、修練者自身が神との出会いと修練のうちに自分の召命の深さを見きわめていく必要があるということ-を学びました。召命を深めてゆくためには人間的アプローチ(伝統世界と近代世界の接点に立つ自分、経済の不安定の中にいきる自分、世界のグローバリゼーションに目を向ける自分の生き方、など)と、修道者としてのアプローチ(教会と社会における修道者としてのあかし、土着化)が必要です。

 修練長は一人ひとりの修練者の人間的、霊的な進歩を把握していかなければなりません。修練長は主人でなく彼女たちの姉として、母として、優しく彼女らの成長を見極めてゆくと同時に、召命のイニシアティヴが神様にあることを忘れてはなりません。

 私は1993年から、西アフリカの超修道会的な修練・養成担当チームの一員として働いています。アフリカ人の志願者たちを、彼女たちの文化や生活体験に基づいて養成していくことが大切だと感じています。

 最後に、私自身の修練長としての姿勢は、互いの自由・信頼・尊重に基づいて養成すること。一人ひとりの修練者が現在生きている霊的、人間的状況を見極めながら、召命を育てていくこと。神様からいただいた恵みに、謙遜と愛と忍耐を持って答えていくことだと信じています。
page - 6