社会司牧通信  No.84  98/6/15
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国境を越えて、いのちが助かりますように

-北朝鮮食糧支援「一食」キャンペーンの集い-
 
柴田 幸範(イエズス会社会司牧センター)
 1998年4月25日(土)、東京・青山の梅窓院に130人ほどの市民が集まって、『北朝鮮食糧支援「一食」キャンペーンの集い』が開かれました。これは、韓国の宗教者や市民団体の呼びかけで、世界36ヶ国97都市で、4月24~25日(時差の関係で2日間にまたがる)に行われた「北朝鮮同胞のための国際断食の日」の東京集会として開催されたものです。日本では大阪でも集会が開催され、約100人が参加しました。
 イエズス会社会司牧センターは、昨年の地雷被災者チャンナレットさんの全国キャンペーンで出会った方々に誘われて、今回の「一食」キャンペーンに実行委員として参加しました。実行委員といっても、当センターは北朝鮮問題については素人で、参加団体のなかで最も所帯が小さかったこともあって、オブザーバー同然でしたが、キャンペーンの一部始終をご報告します。
キャンペーンの広がり
 「一食」キャンペーンの発端は韓国から届いたファックスでした。「国際断食の日キャンペーン韓国委員会」から差し出された1998年1月8日付けのファックスには、「3月27~28日に韓国25都市、米国20都市を含む世界70都市で断食の日を行う。これによって、
  1. 韓国が北朝鮮支援に消極的だとの印象を払拭し
  2. 北朝鮮支援の国際的ネットワークを築き
  3. 韓国での募金活動にテコ入れし
  4. 韓国政府の積極的関与を促す
と記されていました。韓国委員会のメンバーにはカトリックやプロテスタント、仏教をはじめとする宗教界のリーダー、労働運動などのいわゆる「民主化勢力」がずらりと名を連ねる本格的なものでした。
 米国では在米韓国人社会の影響力が強いため、キリスト教各派のリーダーを巻き込んで早くから準備が始まりました。日本でも、97年末に北朝鮮支援NGO連絡会が組織されており、そのメンバーの市民団体・宗教団体が集まって、2月6日に実行委員会ができました。
 2月末の第2回実行委員会の段階で、米国の実行委員会から韓国委員会に「準備期間が不足しているので断食の日を1ヶ月延期してほしい」と要請が出され、断食の日は4月25日に決まりました。東京集会の呼びかけ団体は、在日韓国朝鮮人団体を含めて20団体を越えました。事務局は日本キリスト教協議会(NCC)に置かれ、宗教者、市民団体、在日団体の三者一体の体制ができあがりました。集会の大枠も「第一部/支援団体のパネルディスカッション」「第二部/音楽によるアピール」と決められ、出演交渉が進みました。
 3月~4月と準備が進むにつれて、国際断食の日キャンペーンは大規模にふくらんできました。言い出しっぺの韓国では、募金目標を「トウモロコシ5万トン分=127億5千万ウォン(約13億円)」に設定し、4月から街頭募金や電話募金を開始しました。韓国の断食の日集会の実行委員には政界各党の代表も参加し、マスコミ各社も後援を決定しました。当日のプログラムも、6時間にわたり政界代表や有名タレント、スポーツ選手が総出演し、1万人規模の参加者を集める盛大なものになりました。
 アメリカ、ロシア、ブラジルなど世界各国でも、現地の韓国人社会を中心に準備が進められ、最終的な開催国は三十数ヶ国に及ぶ見通しとなりました。特徴的なことは、各地ともキリスト教・仏教などの宗教者が積極的に関わっていたことです。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世もキャンペーンに賛同の意を表しました。

 日本では東京集会の準備が大詰めを迎える一方、大阪でも集会の開催が決定しました。生真面目な東京集会と違い、大阪集会はリレー・トーク、街頭パフォーマンス、支援食糧であるトウモロコシ・スープの試食などにぎやかなプログラムが並びました。
集会当日、そしてこれから
 さて、当日の4月25日、東京はあいにくの雨でしたが、参加者は約130名を数え、4時間のプログラムに最後まで熱心に参加しました。開会挨拶の後、国連世界食糧計画(WFP)、日本国際ボランティアセンター(JVC)、曹洞宗国際ボランティア会(SVA)、キャンペーン韓国委員会の各団体によるビデオを上映しました。ビデオでは、食糧不足のきっかけとなった水害の様子、病院の患者の様子、食糧の配給風景、飢餓に耐えきれず中国に密入国した人たちの様子などが生々しく描かれていました。
 続いてパネルディスカッションが行われ、森田明彦(日本ユニセフ協会)、熊岡路矢(JVC)、鄭甲寿(チョン・ガプス/ワン・コリア・フェスティバル実行委員長)、佐藤和明(WFP日本事務所)の4氏をパネリストに、辛淑玉(シン・スゴ)さんの司会で、飢餓の現況と今後の取り組みについて語りました。
 WFPによると、北朝鮮では97年末で200万トンの食糧が不足しており、98年4月末には食糧備蓄が底をつくといわれています。ユニセフ(国連児童基金)によれば、特に子どもたちの間で免疫力低下による病気や成長阻害などの悪影響が出ており、それ自体は低コストで解決できるものの、放置すれば死に至るといわれています。このため、ユニセフは12歳以下の子ども500万人に集中して援助を行い、子どもの状況は最悪の状態からは脱出したと見ていますが、大人も含めた全体の状況はむしろ悪化したと見られます。
 こうした状況に対してWFPは世界各国に66万トン分の穀物援助を呼びかけていますが、4月末現在で1/3しか集まっていません。日本のNGOも直接現地を訪れるなどして支援していますが、政治体制や文化の違いが対応を難しくしています。WFPは現地に46人のモニタリング・スタッフ(食糧配給監視要員)を送り込み、その中にはNGO担当のリエゾン・オフィサー(連絡要員)も含まれています。パネリストからは、日本のNGOも少なくとも数ヶ月間、スタッフを北朝鮮に滞在させる必要があると指摘されました。
 続く質疑応答では、「同じ飢餓でも、アフリカなら盛り上がるのに、北朝鮮だと関心が低いのはどうしたわけか」「食糧支援以外の援助方法は」「北朝鮮支援は日本と韓国の外交関係にどう影響するのか」といった率直な疑問が寄せられました。北朝鮮籍を持つ在日コリアンの鄭さんは、「北朝鮮政府の秘密主義が国際的な支援を阻害しており、積極的な情報公開を北朝鮮政府に働きかける必要がある」と指摘しました。  食糧以外の支援に関しては、農業指導・医療協力・教育支援とともに、今回の国際キャンペーンのネットワークや、5月末にジュネーヴで開かれるNGOの国際会議などを通じての、国際的な世論づくりの必要性が指摘されました。
 外交関係との兼ね合いについては、国益でしばられる国家援助や、中立を義務づけられる国連機関の援助と違って、NGOはより自由な立場から人道主義を貫いて援助すべきだし、それによって国家間の関係が難しいときでも「人と人との架け橋」になれる、と強調されました。
 在日コリアン青年たちによる民族音楽の演奏、在日コリアン・ミュージシャン朴保(パクポー)バンドによる白熱のライブをはさんで、集会は「国際断食の日・共同メッセージ」を採択しました。メッセージは
  1. 緊急支援の呼びかけ
  2. 北朝鮮政府による情報公開
  3. 南北政府間対話の推進
  4. 南北民間交流の促進
  5. 支援運動の継続化
を訴えたもので、世界各地のキャンペーン会場で採択されたものです。
 実行委員の間では「会場は200人しか(!)入れない。人があふれたらどうしよう」などと言っていた割には、参加者は少なかったかなというのが正直な感想です。呼びかけ団体の関係者以外に、いわゆる一般の無関心層にどれだけ届いたのか、疑問がないわけではありません。それでも、宗教団体や市民団体がこうして一堂に会して、共通の問題に取り組む現場を、昨年の地雷キャンペーンに続いて体験できたことは、とても幸福なことでした。まだまだカトリックの参加が少ないことは残念ですが(今回は当センターとカリタス・ジャパンだけ)、今後ともこうした機会に積極的に参加していきたいと思います。