社会司牧通信 __ No 83__ 98/4/15

みんなで春を迎えたい
釜ケ崎・旅路の里

高崎 恵子(旅路の里スタッフ)
 冷たい風が吹きつけていた釜ヶ崎にもようやく春が訪れ、人々の顔も何となく和んで見えます。寒さの厳しい冬の間、何とかみんな元気に春を迎えることが出来るようにと願いながら、たくさんの支援者が越冬期の活動に力を合わせました。そのあわただしい、緊迫した雰囲気が薄れて、街の表情も冬とは違って見えます。
 日雇労働者の街釜ヶ崎は約800メートル四方の広さしかありません。そこに2万5千人を越える日雇労働者が住んでいると言われています。釜ヶ崎の就労状況は毎年厳しくなる一方です。
今年3月の時点で現金仕事(朝、仕事に就いて仕事を終えた夕方に、現金で賃金を受け取る)に就けた人は一日3500人、去年の半分以下とのことです。この地域内で野宿している人の数は200人以上、近隣の地区も合わせると1500人以上にもなっています。公園で行われる炊き出しには何時間も前から長い列が出来て、静かに炊き出しを待つ人々の姿が見られます。
 この街の中にイエズス会社会司牧センター旅路の里があります。釜ヶ崎にあるキリスト教系の施設はそれぞれ独自の役割がありますが、その中で旅路の里の働きにもいくつかの特徴があり、小さな建物の中で行われている活動は多様性に富んでいるように思われます。
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夜まわりと生活相談

 旅路の里は年間を通して毎週木曜日に夜まわりを続けています。この夜まわりの歴史は14年前にさかのぼり、最初は水曜日に2~3人でスタートしたもので、1987年頃から旅路の里を拠点とし「木曜夜まわり」として定着し現在に至っています。現在は10名ほどの青年たちが「木曜夜まわりの会」として活動しているほかに、セミナーの参加者やその時々希望して加わる人々もいて、特に冬の間は20人を越えることもあります。夜まわりの目的は野宿している人々の体調が悪くないか、無事であるかどうか、声をかけることですので、いつも食べ物などを持って回るわけではありませんが、現在は市内のカトリック教会の婦人会が毎月1度おにぎりを作って持ってきて下さいます。また、冬の間は毛布と使い捨てのカイロも持って行きます。体調が悪く病院へ行く必要のある人には地域内にある社会医療センターで診察が受けられる医療券を発行したり、その場で救急車を呼ぶことも度々あります。
 夜まわりを続けるうちに、そこで声をかけるだけでは足りないのではないか、その次に必要なことは何かというところから「木曜夜まわりの会」のメンバーによる生活相談がはじまりました。最初は週1回でスタートしましたが、現在は夜まわりの翌日の金曜日と週明けの月曜日の週2回を生活相談の日として、6名が相談にたずさわっています。
 地区内には社会福祉施設が運営する「生活ケアセンター」があり、2週間を限度にベッドと食事を提供しています。釜ヶ崎の中のキリスト教系の団体がお互いに協力しながら活動するためにつくられた「釜ヶ崎キリスト教協友会」は自由に使えるベッドを10床だけ、この「生活ケアセンター」に持っています。相談に来た人々のうち通院や休養のために入所が必要と思われる人にはその手続きをします。また、入所している間に出来るだけ今後の生活についても話し合うようにしています。訪れる人のこれからの生活方法を一緒に探し、居宅保護の可能性なども考えますが、私たちに頼りきるのではなく、
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出来るだけ本人にも努力してもらい、私たちはそれに協力するという姿勢でやっています。釜ヶ崎の厳しい現状の中で、相談に来る人々は仕事をさがしても見つからず、野宿を強いられている人がほとんどです。充分な食事もせずに野宿を続けて働きたくても体力がなくて働けない人、病気で働けなくなって野宿をしてますます体調を悪くして行く人、長年の苛酷な労働で足や腰を痛めている人なども多く、相談者の数は増え続けています。旅路の里を訪れる相談者の年令は30歳代から80歳代までと幅がありますが、50歳代後半から60歳代が最も多いようです。ここ4年間の相談者の数は約200人、そのうち23人が居宅保護の手続きをしてアパート生活に入りました。相談に来た人々のうち現在も継続して関わっている人はおよそ60人です。
 最初は週l回で始めた生活相談も週2回になり、今では生活相談日と関係なくほとんど毎日数人が訪れます。それは相談であったり、病院の検査結果の報告であったり、特に何もなくてもただ少し話を聞いてほしかったり、理由は様々です。
夜まわりで声をかけた人々の他に「旅路の里に行ったら相談にのってもらえると友達が教えてくれた」「ここに来たらなんとかしてくれると人から聞いた」という具合に、少しずつ人伝てに広がっているようです。身体をこわして野宿している人が、自分の八方塞がりの状況を話し、聞いていた私が「何かしてほしいことがありますか」と問うと「いいえ、ありません。ただ、聞いてほしかったんです。聞いてもらうと安心するんです」という答えが返って来ました。一緒にお酒を飲む仲間はいても本当の友達がいない人、過去の様々な体験から人を信頼できなくていつも一人で自分の中に閉じこもっている人が少なくありません。少しお酒が入って「さびしい、さびしい」と涙をぽろぽろこぼす人もいます。孤独な人が本当に多いと感じます。たとえその人の今の状態に何の手助けも出来なくても、話を聞くことによって、その人の心の空洞やさびしさを少しでも埋めることが出来ればと思いながら耳を傾けています。
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重荷をおろす場に

 Yさんは腰が悪く、内臓にもかなりの疾患があるのにお酒をやめることができません。勿論働ける状態ではなく、野宿生活を長く続けています。時々相談に来て何度か施設にも入りました。施設で充分な食事と休養の取れる生活を続けてほしいのですが、1ヶ月もすると出てきてしまいます。釜ヶ崎から離れて、知らない人の中で生活するうちに、釜ヶ崎が恋しくてたまらなくなるというのです。そんなわけで数回施設に入って戻ってきました。体調がとても悪くなって入院しても同じことで、少し元気になると出てきてしまいます。そして再び野宿の生活がはじまるのです。それでもいつも笑顔でたくましく生きています。路上で数人の仲間と輪をつくって座りお酒を飲んでいる姿を時々見かけます。
 アパート生活をしている人については、時々訪問していますが、長年日雇いで日給の生活をしてきた彼らにとって1ヶ月分のまとまった生活費を受け取ってそれを計画的に使って行くということはとても難しいことのようです。
たくさんの現金を手にして、つい気持ちが大きくなって買い物をしすぎたり、友達に貸したりで、気がついたら次の生活保護費が支給されるまで、まだ数週間もあるとわかってあわてて相談に来る人もいます。そのような人には1ヶ月分の生活費をlヶ月で使うことを練習してもらわなければなりませんが、長年身についている生活パターンを変えることは簡単ではありません。時間がかかり、とても根気のいる仕事です。
 毎年、夏には「ソーメンを食べる会」、冬には「鍋を囲む会」を計画し、アパートで生活している人全員に招待のビラを配ります。疎遠になりそうな人にもこの機会に声をかけようと企画しました。「木曜夜まわりの会」のメンバーが中心になって手作りの食卓を囲みます。みんな普段は一人で食事をすることが多いので、にぎやかな食事会を楽しんでいます。勿諭私たちにとっても楽しいひとときです。
 入院中の人のところには時々お見舞いに行ったり、クリスマスカードや私たちの近況や入院中の人からの手紙を載せた通信を届けたり、連絡は途絶えないようにしています。
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 夜まわりや生活相談で関わって行く中には、元気になって仕事に復帰したり、きちんと計画を立ててアパート生活を開始し、私たちに頼ることなくじょうずに生活して行く人もいますが、何度も同じような状況を繰り返す人、お酒で失敗する人もいます。若い頃はさほど不安を感じることもなく日雇労働を続けて来たけれど、年を重ね、気がつけば身体も弱って働くことも出来ず、野宿をしている釜ヶ崎の労働者たち。この人たちの不安や孤独、寂寥感が伝わってくる話を聞くといつもやりきれない気持ちになります。訪れた相談者が泣きながら語る自分の過去や家族のこと、その心のうちを聞いても、どうしてあげることも出来ず無力感と切なさばかり感じていた時、ある司祭が「その人は話すことによってあなたの前に自分の重荷を下ろしたんですよ。あなたはそれを神様の前に下ろせばいいのです」といわれ、あらためて自分たちの役割に気づかされました。いろいろな重荷を負った人が旅路の里を訪れます。自分を責めながら生きている人もたくさんいます。訪れる人がその重荷を一時でも下ろすことが出来るなら、それが旅路の里の大切な役割のひとつだろうと思います。
セミナーハウスとして

 旅路の里はセミナーハウスとしても活動しています。実際に釜ヶ崎に来て、日雇労働者のこと、野宿者のこと、日本社会の中でなぜこのような現実があるかなどを学び、体験する機会を提供しています。カトリック系の高校や大学の学生、教会の中・高校生会や青年会などの他、昨年は女子修道会の研修、男子宣教会の神学生、イエズス会の修練者などの利用もあり、12のグループがセミナーを通して学びました。プログラムの内容は各グループと相談して決めて行きますが、体験と分かち合いを中心にしています。釜ヶ崎の歴史や現在の状況、ここで活動している人の話を聞いたり、街を歩いたり、公園の炊き出し、夜まわり、施設での手伝いなどによって労働者の現実の姿にふれ体験を通して学んでもらいます。セミナーの参加者の多くは最初、緊張した顔をしています。「釜ヶ崎は恐いところ」というイメージを持って来る場合もあります。でも、釜ヶ崎の実際の姿を見たり、労働者と話をしたりすることにより、帰る時には「想像していたのと違っていた。明るくてやさしい人たちに出会った。自分のほうが元気をもらった」という感想も聞かれます。
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写真 「ソーメンを食べる会」に参加した労働者・ボランティアと(後列右端が筆者)
 少し前から、各地で青少年がホームレスを襲撃するなどの事件が度々起こっています。釜ヶ崎でも「野宿者ネットワーク」という労働者と支援者でつくっているグループが野宿している人々を被害から守るために活動しています。若者たちの野宿している人々に対する残虐さはどこから生まれてくるのでしょうか。何が最も大きな問題であり原因なのでしようか。旅路の里のセミナーの目的のひとつは、日雇労働者や野宿者に対する差別や偏見を少しでもなくして行くことです。参加する若い人たちが再び自分の生活の場に戻り、釜ヶ崎で受けた強烈な印象や深い感動が薄れて行ったとしても、今までとは違う視点で日雇労働者や野宿者の問題をとらえること、釜ヶ崎のような地域に対する問題意識を持つことなどのきっかけになればと願っています。これからもたくさんの若い人たちに参加してほしいと思います。
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様々の出会いから

 釜ヶ崎キリスト教協友会の事務局は旅路の里に置かれています。通信の発行と発送、事務連絡のほか送られてくる救援物資の受け取り、仕分け、分配をしています。
 旅路の里にも全国の支援者、支援団体から年間を通してたくさんの救援物資が送られてきます。これらも協友会宛にきたものと合わせて仕分け、分配します。現在、協友会が支援している公園の炊き出しは週2回行われています。l回に2千食が用意され、使われるお米は150~200kgです。寄せられるお米やお米券、野菜や調味料など炊き出しに使えるものはすべて、公園に運ばれます。毛布は冬の間の夜まわりに使います。衣類や日用品は野宿している人々が貰いに来ることも多く、その他に釜ヶ崎で活動しているグループの路上バザーに提供しています。入院する人や病院訪問用にも使います。年間を通してお米や食料品、衣類、日用品、毛布などが全国から送られてきます。
これらの物資は実際に大変役立っていますし、理解と協力を惜しまない支援者との連帯が、私たちに力を与えてくれます。毛布や炊き出しのお米が不足して支援の呼びかけをする時、速やかに応えて下さる人々の善意にはいつも驚きと感動を覚えます。
 外国人労働者の支援活動をしている「アジアン・フレンド」は旅路の里の一室を使って、電話相談を行っていて、ボランティアが交替で待機しています。釜ヶ崎には自分たちの活動の拠点となる場所を持たないグルーブもあります。そのようなグループの打ち合せや集会の場としても、旅路の里は利用されています。
 このように旅路の里の日常は様々な出会いがあり、いろいろな形での関わりがあります。全国から寄せられる支援者の善意、また周囲の人々の理解と協力のもとに活動が続けられています。社会の底辺に追いやられ、そこで必死に生きようとしている人々の苦悩と孤独を受けとめながら、その一人一人を大切にして行く場、そして釜ヶ崎の実情とそこにある問題を共に考えるために開かれた場となれるよう願いながら、旅路の里は今日も訪れる人々に扉を開いています。
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