社会司牧通信 __ No 81__ 97/12/15

地雷被災者レットさん来日
片柳 弘史(イエズス会社会司牧センター)
 去る11月13日、カンボジアから地雷被災者のトゥン・チャンナレットさん(37歳・愛称レットさん)が来日し、11月30日まで日本各地で地雷廃絶のためのキャンペーンを行いました。今回の来日は、イエズス会社会司牧センターの招聘によるもので、「地雷廃絶日本キャンペーン」(JCBL/代表・北川泰弘さん)のご協力を得て実現したものです。このレットさんについて皆様に御紹介し、その来日中の活動についてご報告したいと思います。






レットさんの紹介
 レットさんについては、11月18日付の毎日新聞や11月24日付の朝日新聞がそれぞれ「ひと」の欄で紹介するなどマスコミによる報道もかなり行われたので、すでにご存じの方も多いかと思われます。ここでは簡単に彼の経歴などをご紹介したいと思います。
 レットさんは1982年12月、タイとの国境地帯に広がるジャングルをカンボジアの反政府勢力の兵士としてパトロール中に地雷を踏み、両足を失いました。当時22歳で、1981年に結婚したばかりでした。
 ご両親ともカトリック信者という、カンボジアではめずらしい家庭に生まれたレットさんは、幼児洗礼を受けたカトリック信者です。その関係もあって、地雷の被害を受けた後はイエズス会難民サービス(JRS)でリハビリテーションを受けると同時に車椅子作成の技術を学びました。この技術を生かして家族を養いながら、世界各地をまわって地雷廃絶のためのキャンペーンを現在に至るまで精力的に行っています。今年度ノーベル平和賞を受賞した「地雷廃絶国際キャンペーン」(ICBL)のメンバーでもあります。
 世界各国で政府要人や王室などの人達にも地雷廃絶を訴えてきましたが、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世も彼の訴えに心を動かされました。


日本での活動
レットさんは11月13日の晩に、JRSワーカーの堀内紘子さんと一緒に成田空港に到着しました。11月13日から30日までの二週間あまりで、レットさんは東京、神奈川、熊本、福岡、広島、札幌、名古屋、大阪、神戸をまわって40以上の講演会やその他のイベントをこなしました。
 各地で、地元の市民運動団体やイエズス会の学校、正義と平和協議会などのご協力を得てとても充実したキャンペーンが行われました。ここではその全てをご紹介するわけにはいきませんが、特に印象的だったイベントをいくつか紹介したいと思います。
【東京・神奈川】
1、鎌倉・栄光学園(11/14)
       500人を越える中学生が見守るなか、レットさんは独力で講堂への石段を登っていきました。レットさんは自分で作った車イスに乗って、ステージの上から力強いメッセージを送り、生徒たちに深い感銘を呼び起こしました。30人を越えるお母さんたちも、レットさんの話を聞きに来ていました。
(記/安藤 勇)
2、上智大学「大地を人間に」(11/14)
       上智大学では人間学研究室や社会正義研究所、社会福祉専門学校、カトリックセンターのご協力をいただいて、講堂で講演会を行いました。当日は500人を越える人達が集まり、レットさんの力のこもった訴えに耳を傾けました。活発な質疑応答もなされ、学生達も自分達に地雷廃絶のために何ができるのか真剣に考え始めたようすでした。
記/片柳 弘史)
3、秦野・上智短大(11/15)
        翌日は、東京から車で2時間かけて、神奈川県秦野市の上智短大に向かいました。250人を越える短大生に、数人の教員も混じって、講堂は満員でした。講演後の質疑の時間に、レットさんは地雷模型を手にして、「この地雷が私の足を奪ったのです」と語っていました。
(記/安藤 勇)
4、「レットさんを囲んで-諸宗教を持つ人達の祈り」(11/16)
        東京カテドラルのケルンホールにおいて、アーユス国際仏教ネットワークを中心とする仏教諸派の僧侶の方々、および日本キリスト教協議会の牧師さん達のご協力を得て、宗教の壁を越えた祈りの集いを行いました。当日は70人ほどの人達が集まり、お坊さんとシスター達が一緒にギターで伴奏する中「キリストの平和」を歌ったり、みんなで心を合わせてお経を唱えるなどしました。当日の模様は11月18日付の朝日新聞夕刊「こころ」のページでも特集されました。
(記/片柳 弘史)
5、築地本願寺・仏教徒との対話(11/16)
        50カ国230人の生徒と教員で講堂は一杯でした。事前に地雷廃絶運動について教員からレクチャーを受けていたことと、英語から日本語に通訳する必要がなかったことで、集会はとても活発でした。レットさんはこう呼びかけました。「今日、ここで聞いたことを家族や友人にも伝えてください。皆さんの祖国の政府に手紙を書いて、オタワで対人地雷禁止条約に調印するよう求めてください」
(記/安藤 勇)
6、東京・聖心インターナショナルスクール(11/17)
        50カ国230人の生徒と教員で講堂は一杯でした。事前に地雷廃絶運動について教員からレクチャーを受けていたことと、英語から日本語に通訳する必要がなかったことで、集会はとても活発でした。レットさんはこう呼びかけました。「今日、ここで聞いたことを家族や友人にも伝えてください。皆さんの祖国の政府に手紙を書いて、オタワで対人地雷禁止条約に調印するよう求めてください」
(記/安藤 勇)
【熊本】(11/18)
 熊本での講演会などは「国際文化交流を進める会」というNGOの協力で実現しました。地元の公立高校や中学校での講演会、給食を一緒に食べながらの交流など地域に密着した形でのキャンペーンができました。講演後、生徒から平和への願いを込めた千羽鶴が贈られるという場面もありました。  また、レットさんはここでは空港に着いたとたんに報道陣のカメラの列にさらされるなど、たいへんな注目を浴びました。NHKの番組に出演したり、県知事さんや市の助役さんに表敬訪問をしたりもしました。
(記/片柳 弘史)
【福岡】(11/19)
 福岡では泰星学園と福岡双葉高等学校・中学校でそれぞれ講演会を行いました。泰星学園では、体育館で900人あまりの男子中学生・高校生がレットさんの話に熱心に耳を傾けました。また、福岡双葉高等学校・中学校では、講堂で1400人あまりの女子中学生・高校生がレットさんの話に聞き入っていました。
(記/片柳 弘史)
【広島】(11/20~21)
 広島では広島学院をはじめとする学校での講演会の他に、平和公園を訪問するというプログラムがありました。レットさんは原爆の被害については以前から関心があったようで、資料館では熱心にメモをとっていました。カンボジアに帰って原爆の恐ろしさをみんなに話すつもりだとも言っていました。
 また、エリザベト音大で行われた講演会ではレットさんに捧げる歌として、絵本「地雷ではなく花をください」の文章に学生さんが曲をつけた歌が披露されました。とてもすばらしい曲で、レットさんも感激していました。
(記/片柳 弘史)
【札幌】(11/22~23)
 札幌では22日、犬養道子女史の難民活動を支える市民の会など13の団体によって、そごうデパートのプラニス・ホールで講演会が開かれました。350人を越える聴衆が、レットさんの話に熱心に聞き入っていました。ある障害者の方が、自分の感想を伝えようとしてなかなかうまくゆかずに苦労していたのに、レットさんが熱心に答えようとしていたのが印象的でした。ローカル・テレビ局と地元高校生の学校新聞部員が、講演の様子を熱心に記録していました。
 翌23日には札幌コミュニティ・ラジオが生放送でレットさんにインタビューし、5人のパネルディスカッションでカンボジアの現状と地雷廃絶キャンペーンについて話し合いました(65分)。放送後は小野幌カトリック教会で50人ほどの集まりに参加しました。
(記/安藤 勇)
【名古屋】(11/24)
 名古屋・朝日ホールでAJU自立の家など17の団体によって講演会が開かれました。レットさんは聴衆に、日本政府にオタワ条約に調印するように働きかけること、地雷を製造している日本企業の工場をなくすよう訴えました。
(記/安藤 勇)

レットさんの近況と今後への課題
 このようにしてレットさんの日本でのキャンペーンは各地で大反響をおこしつつ無事に終わったわけですが、彼の地雷廃絶のための旅はまだ続いています。12月5日現在では、レットさんはカナダのオタワで行われている地雷廃絶のための会議で、熱心なロビー活動をおこなっています。その様子は日本の新聞にも大きく取り上げられましたが、熊本や広島でもらった千羽鶴を各国の代表に一羽一羽配って、地雷廃絶を訴えたりしているそうです。オタワの後はノルウェーのオスロに行き、「地雷廃絶国際キャンペーン」を代表して、ノーベル平和賞を受け取ることになっています。
 今回のオスロでの会議や「地雷廃絶国際キャンペーン」のノーベル平和賞受賞などにもかかわらず、地雷は世界中で今もつくられ、新たに埋設されています。毎年除去される地雷の数が20万個であるのに対し、毎年新たに埋設される地雷の数は200万個とも言われています。
 このような状況の中で、今後私たちひとりひとりは地雷廃絶に向けて何をしていったらいいのでしょうか。レットさんのような地雷被災者の方々のこころに思いをはせ、自分たちに何ができるのかを祈りながら探していくべき時だと思われます。
 当センターでは、今後ともイエズス会難民サービスと連携をとりながら、地雷廃絶を考える材料を提供していきたいと考えています。


【1997/12/15】