高橋 年男
公益社団法人沖縄県精神保健福祉会連合会 理事

 

はじめに 構造的沖縄差別

  昨年暮れから今年初めの沖縄の地元紙では、「沖縄のコロナ感染、米軍基地から拡大」「水際対策に穴、対策は米軍任せ 地位協定が壁」などの見出しが、連日、大文字で1面トップを飾った。

  感染力の強いオミクロン株に備えるため、沖縄県は米軍に感染者のウイルス・ゲノム解析を求めたが、米軍は部隊移動の履歴が公になることをいやがって、「兵士の個人情報を守る」という理由で、日本側の検疫を拒否した。基地内での防疫・隔離の状況や、外出禁止などの感染防止策についても情報開示がされることはない。一昨年7月にも、米軍関係者の独立記念日でのどんちゃん騒ぎから、基地内で300名のメガクラスターが発生し、県民の間に感染が一気に拡大したことは記憶に新しい。

  今回は、米国から出国前の感染検査チェックもなく、直接、嘉手納基地に到着した数百名の部隊が感染源だ。その彼らがマスクをつけないまま、家族連れで買い物に出る、タクシーに相乗りして歓楽街に夜遊びに繰り出す、住民の憩いの場である公園や住宅街をジョギングする等、私たち県民生活の至る所が、米兵と「三密」状態である。

  世界最大の感染大国である米国。しかも軍隊は集団での移動や訓練が多く、狭い兵舎で長時間の生活を共にするため、彼らの感染率は国民一般よりも格段に高い。沖縄では今年1月の1か月間の米軍の感染者は約6000名で、人口当たりの感染率は世界一だとマスコミが集計している。日本政府が、「コロナ鎖国」と言われるほどの水際対策を取っていても、出入国管理をすり抜ける米軍基地が抜け穴となって、それもバケツの底が抜けたようなアウト・オブ・コントロール事態になっている。

  今年、沖縄は施政権返還50周年を迎えたが、「辺野古が唯一」などと、沖縄に一方的に犠牲を押し付ける構造的差別が、一連のコロナ・リスクによって暴き出された格好だ。日本全体の米軍基地の7割以上が集中する沖縄の被害は、コロナ感染ばかりではない。米兵による凶悪犯罪。戦闘機による爆音や部品落下。有毒な化学物質PFAS流出で飲み水や川・海・土壌の汚染が人体に蓄積し、命と健康を脅かす。さらに辺野古の埋め立てに莫大な国家予算を投入し、「敵基地攻撃」のための長距離極超音速ミサイル配備など、琉球弧全ての島々を要塞化し、再び沖縄を戦場に突き落とすような話は、数え上げればきりがない。

  2月24日からのロシア軍によるウクライナ侵攻に乗じて、自民党から安倍元首相や高市早苗政調会長などの「核共有論」が飛び出した。米軍政下の沖縄には、1300発もの核兵器が配備されいつでも発射できる態勢だった。「基地も核もない本土並み」になったはずの施政権返還後の沖縄だが、核の運用施設は辺野古と嘉手納の米軍弾薬庫に置かれている。密約が暴かれた今は、いつでも核兵器を持ち込み使用できるように訓練が実施されている。全国を見わたしても、核兵器の施設は沖縄以外にはない。核が持ち込まれるところは沖縄である。構造的差別によって、沖縄は再び戦場にされ全滅する危機に直面している。

 

構造的差別のボトムに、精神病者の私宅監置

  1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効と同時に、日本では1945年敗戦後に敷かれた米軍占領状態を脱した。その一方で、沖縄は昭和天皇のGHQマッカーサー司令官へのメッセージ(1947年9月)などにより、憲法番外地の米軍政下に投げ入れられた。

  そのために、戦後間もなく1950年に制定された日本の精神衛生法は、沖縄には適用されず、戦前からの精神病者監護法による私宅監置が続いた。精神医療環境が追いつかず、「社会の治安を守るため」の私宅監置という社会的隔離が容認されていった。

  沖縄戦の地獄で心の均衡を失い、戦後は医療保険制度もない困窮の中で、治療から見放された病者は、地域で生活する場を失い、故郷を追われた。島のあちこちで、彼らに対する傷害事件や強姦被害などが相次いだ。琉球警察は、「優生保護、社会風紀、都市の浄化」のためとして、収容保護施設を琉球政府に訴え、那覇市では公営の監置所が造られた。

  この当時の私宅監置の跡が、沖縄北部「ヤンバル」というところに今も残っている。家族の一人は、「監置所に入れられている人たちは人間扱いどころの話ではない。ブタやイヌでもまさかあんな取扱いは受けて いない」と回想を記録に残している。

  このような窮状に追い詰められた精神病者の家族が発起人となり、精神医療充実のための全県的な精神衛生実態調査や立法促進の結果、日本の精神衛生法から10年遅れて、1960年に「琉球精神衛生法」が制定された。しかし、精神医療資源の絶対的不足から、「病院以外の場所で保護拘束」の条項が残り、1972年施政権返還まで、私宅監置は公認・放置されていた。沖縄返還により国内法が適用されるようになった後も、水面下では私宅監置から脱することができない事例がたくさん残っていた。

 

映画『夜明け前のうた~消された沖縄の障害者』

  私宅監置の歴史を世に問うドキュメンタリー映画『夜明け前のうた~消された沖縄の障害者』(2021年度文化庁映画賞の優秀賞受賞作品)が、昨年2021年から全国で劇場上映中である。沖縄に残る「監置小屋」は、戦場の地獄からその後の米軍統治という戦後沖縄の精神医療の歴史を物語る。この小屋は、沖縄が生贄として米軍占領の<犠牲>にされた「4・28」の1952年に建てられた。小屋は「牢屋」と呼ばれ、監置することを「牢込(ろうぐみ)」と言った。監置された本人はもとより、家族もまた、世間からタブー視され、深い傷を負った。

  この作品は、原義和監督が、沖縄の「日本復帰」前に撮影された写真を手がかりに、牢込の過去と現在を問い返す。カメラがとらえた真実は、沖縄県史や市町村史からも消されており、人権云々以前に存在しないものとされて、闇に隠されてきた真実である。

  現存する牢屋の遺構は、沖縄の置かれてきた歴史を照射するとともに、私たち一人一人の心に潜む見えない檻をも可視化するものだ。

 

人間の尊厳を問い返す

  私宅監置は、決して過去の話ではない。呉秀三(医学博士)が、「この病を受けたるの不幸の他に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」と、百年も前に告発した悪弊だが、今もなお形を変えた、家族に重荷を背負わせる強制入院制度や、精神病院での長期の社会的入院や身体拘束などの人権侵害が続いている。

  昨年、沖縄においても精神科病院でクラスターが相次ぎ、感染症治療のための転院ができないまま、たくさんの犠牲者を出してしまった。精神科病院の閉鎖的な構造と密室性、精神科特例という制度的差別によるマンパワー不足などが相乗的に作用して大型クラスターを引き起こしたことは、偶然のアクシデントではなく起こるべくして起きた事態であった。

  沖縄という歴史的構造的差別のもとにおいて、コロナ禍によってあぶりだされたものは、精神障害者の尊厳を奪う社会的トリアージというさらに一層根深い差別であり、精神科病院の存在そのものを問う課題が浮かび上がったのだ。形を変えた私宅監置、現在の精神科病院のあり方そのものの人権蹂躙をただすのが人の道ではないか。

  誰一人取り残さない、ボトムから人間の尊厳を問い返す「沖縄返還50周年」にしたい。

 

『社会司牧通信』第224号(2022.6.15)掲載