イエズス会東ティモール・ライラコ・ミッション

村山 兵衛 SJ
イエズス会司祭

 
  私たちは満腹のとき、他人の空腹など気にしません。しかし、空腹になるとき、私たちは自然と他者の飢えや渇きに目を開き、耳を傾けるようになります。「貧しい人々の友になることで、私たちは永遠の王の友になる」とイグナチオ・デ・ロヨラは言っています(J.ポランコ「パドアの会員への手紙」1547年8月7日)。私たちのミッションもそのようにありたいものです。

  沖縄県宮古島から真南に3720km。21世紀最初の独立国、東ティモールがそこにあります。岩手県ほどの大きさ、人口約120万人の国です。コロナウイルスやデング熱、大雨による洪水被害や道路損壊をたびたび経験しながら、今年2022年、建国20周年と大統領選挙(そして教皇訪問?)を迎えようとしています。

  私は司祭叙階を東京で受けてひと月後の2020年10月28日に東ティモールに到着し、エルメラ県のライラコ(Railaco)という田舎の教会と高校で働いております。緑豊かな山に囲まれ、朝晩は涼しいです。

  東ティモールは、アジアでも有数の貧しい国の一つです。2002年にインドネシアの植民地支配から独立するまで、ポルトガル、日本(第二次大戦中)、インドネシアによる、合わせておよそ500年の占領と搾取の歴史を背負ってきました。

  今は少しずつ開発に向かっていますが、首都ディリから車で約1時間の距離にあるライラコのような田舎では、停電がひんぱんにあります。公共の水道設備も整っていないので、近所の人々が教会のそばのタンクに毎日水を汲みに来ます。現金収入を得られる仕事は限られており、特に山奥で過酷な生活を送る家庭では、栄養失調や疾病が多々見受けられます。

  そのような田舎に、イエズス会のライラコ・ミッションは存在します。現在、私たちイエズス会の修道院には4人の司祭と1人の神学生(2年の実習期間)が暮らしています。

 
  ライラコ・ミッションでは、医療と教育と信仰生活の三つが共存しています。モバイル・クリニック(移動診療所)とフィーディング・プログラム(子どもたちへの炊き出しプログラム)は、地元の人々の健康を支えています。小教区のそばには高校があり、若者たちの知的成長を支えています。そして小教区の活動が神の民の信仰を養っています。からだと頭と心への奉仕とケアが一体となって実践されている現場。そこにイエズス会ライラコ・ミッションが存在しています。

  お医者さんでもあるイエズス会神父は看護師たちとともに、週4回、朝の教会敷地内での診療と、週3回、4WD自動車で山奥での出張診療を行なっています。寄付で得た資金で医薬品を調達して、地元の人々の生活と信仰を支えています。

  2002年の独立当初、衛生や定期的な栄養摂取などの基本的な知識や習慣が不足している地元の人々を見た宣教者たちは、とくに子どもたちの栄養失調に注目しました。フィーディング・プログラムの発端です。月曜から土曜まで毎日、3つの地域のいずれかをまわって、栄養豊富な食事を届けています。シスター志願者たちが同行して子どもたちに祈りや遊びを教えている光景は、語らずとも私たちに多くのことを教えてくれます。

 
  ライラコ教会は、2017年に準小教区から小教区に昇格しました。この小教区は25年の契約でディリ大司教区からイエズス会に管理が委託されています。この一帯にはおよそ11のチャペルがあり、毎日曜日には4~5人の司祭が手分けしてミサに出かけています。ライラコ村の人口は約12,000人ですが、カトリックが95%以上の国なので、道路舗装のない険しい山奥であっても、数百人規模の共同体が散在します。

  信徒家庭の多くは農業(コーヒー、キャッサバ、とうもろこし)を営んでいます。快活で、助け合いと祈りを大切にする人々です。しかし、カトリック信仰とともにアニミズム的な土着信仰や多重婚の伝統も根強いです。インドネシア占領時代に東ティモール人の尊厳と自由のために尽力したカトリック教会に対して、国民全体が尊敬を払ってきました。

  しかし、教会は現在、以下の諸々の重要な課題とも向き合っています: 夫婦間の貞節促進、聖職者中心主義との対峙、若者への同伴、共通の家である地球環境の保護促進、および信仰と文化の対話。

 
  ライラコ教会には今年で創立20周年を迎える付属高校があります。東ティモールが独立国になった2002年に、地域指導者たちが当時教会司牧を展開し始めたイエズス会宣教師に「高校設立を手伝ってほしい」と相談したのがきっかけです。地元ではファティマの聖母のスペル(NOSSA SENHORA DE FÁTIMA)を短縮したNOSSEF(ノーセフ)という名で親しまれています。

  NOSSEFはディリ大司教区の傘下にあり、イエズス会員が同伴してきた高校でもあり、オーストラリアの教会や学校をはじめとするさまざまな方々の寄付のおかげで成長してきた高校でもあります。現金収入の少ない農家の若者たちが、地元で高校まで終えることができるようにとの願いから始まったミッションです。

  若い国ですから、教師にとっても生徒にとっても苦労は尽きません。しかし、家庭問題、貧しさ、学力の壁と向き合いながら、毎日山奥や川の向こう岸から歩いて、ヒッチハイクして通ってくる生徒たちの笑顔を見るたびに、自分がここに派遣された意味を確認します。360人の全校生徒のうち104人が奨学金を受け、それぞれ35人が寄宿する男子寮と女子寮もあります。海外の恩人や協働者からの寄付や援助のおかげです。

  昨年2021年はコロナウイルスと自然災害の影響で、ライラコ・ミッションでも試練の連続でした。4月の復活祭の土日に、首都ディリを中心とする大雨洪水が発生し、山奥の聖堂でミサをしていた私も、増水した川を渡れなくなって2日間足止めを食らいました。3時間歩いて山を下り、腰まで浸かって川を渡り帰宅しましたが、ライラコでも計6日間停電と断水に苦しみました。

  また、コロナ感染拡大でロックダウンが発生し、クリニックも高校も教会も一時閉鎖を余儀なくされました。電波が悪くスマホも高級品であるライラコでは、オンライン授業は到底できません。8月には寮生45人と私を含む教員数名がコロナウイルスに感染し、ディリにある隔離施設に2、3週間送られることも経験しました。

  校長として毎日寿命の縮む思いでしたが、振り返ってみれば毎日が奇跡の連続であったと感じます。便利さとはほど遠い生活ゆえに、祈りの大切さと力を身に染みて感じる日々です。4輪駆動の自動車のメンテナンス、配電盤の点検とブレーカーの修理および水道タンクの管理、スマホの充電と電波の確認。地道な努力と実践的な技術や経験が必要とされる生活ですが、ミッションを続けるには最初から最後まで「何より祈るしかない」のだと思います。

  イエズス会ライラコ・ミッションは、海外からの寛大な祈りと寄付と技術協力なしには実現も持続もできない福音宣教の現場です。祈りと協働を通して私たち自身が「主における友」として福音の一部、神への道となっていく歩みです。種を蒔く人と収穫を刈り取る人は違う人になると言われます。たぶん私たちも、生きている間に自分の取り組みの成果を見ることはないのだと感じます。しかし私たちは、飢え渇きを同時に感じつつも、希望のうちに奉仕の喜びを証しし続けます。

 

『社会司牧通信』第223号(2022.4.15)掲載

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