映画『標的』が私たちに問うもの

西 千津
カトリック札幌教区

  日本カトリック正義と平和協議会は、ドキュメンタリー映画『標的』を推薦映画として認定しました。この映画は、たくさんの弁護士、教育関係者、ジャーナリスト、そして市民の方々が、たった一人の男性のために集い、一緒に戦った記録です。彼が1991年に書いた元日本軍「慰安婦」の証言を伝える記事が「捏造」とバッシングされたのです。他のメディアも同じ様な記事を伝える中、何故彼だけが標的になったのか? 民主主義の根幹を揺るがすジャーナリズムの危機を問いかけています。そして、匿名でも発言することができるインターネット空間において、私たちがいつ次の標的になるかもしれないという危惧を伝えています。この映画に至るまでの日々を改めて振り返ってみたいと思います。
 

  2014年9月8日、私は「北星学園大応援メールのお願い」という1通のメールを受け取りました。そこにはこんな記載がありました。

  「心ある大学の方達は、植村さんの人権と正当性を守り、大学の自治・自主性、学問・教育の自由・自主性を守るため、広くは日本を覆う右傾化に伴う『おかしな空気』、『得体の知れない恐怖』を伴った圧力に抗して民主主義を守るため、頑張っておられます。」

  ここに記載されている「植村さん」とは、元朝日新聞社記者で、2016年3月から2021年2月まで韓国カトリック大学で客員教授をされていた植村隆さんのことです。彼は、2014年に突然、「捏造記者」とされ、当時彼が非常勤講師として働いていた北星学園大学には、「植村をやめさせろ」という嫌がらせのメールや抗議の電話が相次いでいました。

  実は、この「北星学園大応援メールのお願い」というメールを受け取った時、私が心配していたのは植村さんではなく、大学側の方でした。この大学で働く知り合いに「こんなメールが出回っているが、広げても大丈夫ですか?」と連絡しましたが、私が心配する暇もないほどあっという間にこの働きかけは全国に広がり、多くの支援者が集まりました。私は、この素早い広がりに改めて事の重大さを感じていました。
 

  そして、もうひとつ、事の重大さを感じた出来事がありました。当時、私はとある法律事務所の事務職員として働いていましたが、このメールが出回り始めた頃、弁護士の間にも何か大きな風が吹き始めていました。詳しいことはわかりませんでしたが、弁護士たちの会話から、植村さんと北星学園大学のことで今までにないことが起こっていることが感じられました。後からわかったのは、「植村隆氏名誉棄損札幌訴訟」を札幌地裁に提訴するために、札幌弁護士会に所属する弁護士(約700名)の内、札幌を中心に95人の弁護士が訴訟代理人として名前を連ね、他の地域も含めると100人以上の大弁護団が結成されようとしていました。

  後に作成された弁護団活動報告の序文には、このように記載されています。「重大な人権問題が生じた時、多くの弁護士が集まり、弁護団を作り訴訟で戦うことは、札幌弁護士会の良き伝統の一つと教えられてきた」。幸いなことに私はその良き伝統の一つと思われる現場に、ほんの少しですが、立ち会えたのだと思います。結果として、植村さんの訴えは札幌・東京ともに最高裁判所で棄却となり敗訴しましたが、報告の中で弁護士たちは大きな成果を感じていました。そして、原告である植村さんは、「試練はたくさんの出会いを与えてくれたのです」と書いています。
 

  北海道で始まったこの支援の動きに多くの友人が関わるようになり、私はいつしか植村裁判の支援者の一人になりましたが、支援者といっても何もしていませんでしたし、私自身が詳しい状況をわかっていませんでした。そのため、2015年7月に「カトリック札幌地区正義と平和委員会」の学習会の講師として植村さんをお招きしました。

  個人的に植村さんときちんと話したのは、その年の12月、駐札幌韓国総領事館でのイベントでした。そこで、植村さんが韓国カトリック大学で教える予定であることを知り、それがきっかけとなり、いろいろなお話をするようになりました。裁判の支援をしている中で、何度か植村さんと信仰について話をする機会がありました。勤務されていた韓国カトリック大学に金寿煥(キム・スファン)枢機卿の名前を冠した建物があり、植村さんはそこのゲストハウスに住んでいました。また、植村さんは、金枢機卿の人生を描いたドキュメンタリービデオを大学の授業の教材に使っており、金枢機卿の生き方に強い影響を受けていたようでした。
 

  2018年4月、私は仕事で韓国へ行く機会があり、明洞教会の売店で「結び目を解くマリア」の絵が描かれている置物を購入しました。2015年に公開された映画『ローマ法王になる日まで』を観て心に残っていましたし、当時、いろいろなことで悩み、相談を受けていた女性を元気づけるためにと考え、買いました。ところが、帰国後に渡したところ、持っているから他の方にあげてくださいと言われてしまい、手元に残っていました。

  韓国語の説明付きの置物…誰がもらってくれるだろうかと考えた時、浮かんだのは植村さんしかいませんでした。当時、女手一つで育てくれた植村さんのお母様の体調が思わしくなく、植村さんが少し落ち込んでいることを知っていました。裁判も含めて、本当に全てのもつれがほどけたら、どんなに植村さんの心が軽くなるだろうと思っていました。植村さんには映画『ローマ法王になる日まで』の中で、現教皇が迷っていた時に出会った絵だから、きっと植村さんにもいいと思うという、よくわからない理由を言った記憶があります。思いつきで渡した絵は、実は、神様の計らいだったのかもしれません。

  その後、植村さんからカトリック教会で洗礼を受けたいという相談を受けましたが、植村さんの生活のベースが韓国にあったため、韓国カトリック大学の関係者に相談してはどうかとお伝えしました。その結果、関係者から「では、是非韓国で…」とすぐにシスターを紹介され、洗礼に向けた勉強が始まり、それからはあっという間でした。11月に大学内の聖堂で学生と一緒に洗礼を受け、12月には札幌で開催された講演会で、カトリック信者としての視点も入れて「日韓問題と東アジアの平和」というお話をされました。

  提訴した頃の植村さんは戦うジャーナリストでした。ところが、少しずつ植村さんのお話の中に、「感謝」や「恵み」という言葉を聞くようになり、密かに嬉しく思っています。多くの人との出会いが植村さんを支え、戦いを通して、植村さんは祈る人になりました。
 

  自分の知らない人々が自分を狙っていて、逃げることもできない状況を想像できるでしょうか? 植村さんの置かれた状況を知った多くの人々が、これは植村さんだけの問題ではなく、私たちにも起こる問題であり、私たち社会の問題であると感じて立ち上がりました。

  映画『標的』は、植村さんの裁判を中心に捉えていますが、植村さんご自身と家族とのシーンの中に一人の息子として、父としての姿があります。加えて、一人の信者としての姿もあります。たった一人の人に起こった出来事はけっして、特別な人に起こったことではありません。映画を通して、私たちの社会を考えるきっかけになっていただければと思っています。

  今、植村さんの手には「希望」があります。植村さんが韓国カトリック大学を去る時、同大学へ招聘してくださった朴永植(パク・ヨンシク)神父(前学長)からもらった記念品の表面には「HOPE」、裏面には「Be joyful in Hope」とあります。もしかしたら、それが植村さんの結び目の答えなのかもしれません。

 

★映画 『標的』
https://target2021.jimdofree.com

 

『社会司牧通信』第222号(2022.2.15)掲載

Comments are closed.