兄弟であるわたしたちが、兄弟になる

―― 回勅『兄弟の皆さん』を読んで ――

西村 桃子
セルヴィ・エヴァンジェリー会員

  先日、回勅『兄弟の皆さん』の邦訳が刊行しました(カトリック中央協議会、2021年9月)。回勅の翻訳作業に携わり、それを通しての感想を書かせてもらいたいと思います。
 

  昨年の春、パンデミックが思いもよらない形でわたしたちの生活を直撃し始めていた頃、多くの人が不安にかられていました。わたしも不安はもちろんありましたが、それと同時に「今こそ、世界が一つの家族として変わることのできるチャンスの時だ!」と大きな希望を抱いていました。パンデミックのおかげで、わたしたちはいかにすべての人とつながっており、影響し合っているのかを実感することで、兄弟愛をより生きることができると考えたからです。

  しかしコロナが長引き、回勅が出された昨年10月から邦訳が出た今年9月まで、世界は一つになるどころか対立・分断がますます進んでいったように思います。中国の香港の政策転換、アジア系に対するヘイト、ワクチン接種の途上国との格差、ミャンマーやアフガニスタン情勢などのニュースを日々見聞きし、また、さまざまな問題で苦しんでいる人々に触れているうちに、少しずつ自分が抱いていた兄弟愛の希望がなくなっていくのを感じました。そのような状況の中で、回勅を読み、翻訳作業を始めました。

  本回勅で教皇は、現代社会における多くの問題に対して明確に、かつ具体的な提言をしています。それはわたしにとって、どう言葉で表していいのか分からずにもやもやしていた事柄に対して、きちんと言語化してくれました。そして、自分がそれらの問題に対してキリスト者としてどのように生きればいいか、信仰のまなざしを養ってくました。

  数え上げればきりがないのですが、回勅の12番では、金融界や経済界が用いている「世界に開かれた」という表現について書いています。それは、国外の利権者への開放、経済大国の自由を指し、一つの文化様式を押しつけるために世界経済によって悪用されている、と教皇は語っています。そしてこれらは、「己の身を守ろうとする強者のアイデンティティには有利である一方、弱く貧しい地域のアイデンティティは薄められ、より脆弱で従属的なものにされようとしている」としています。個人的に「世界に開かれた」と聞くと、無意識に漠然とポジティブなイメージがありますが、使用される分野によってはただ額面通り受け取るのではなく、その裏に隠されている意図などを知り理解していく賢さ、大切さを学ばせてもらいました。

  回勅では教皇が絶えず心にかけている移住者、周縁部で暮らしている人々、もっとももろく弱い人々についても語っています。教皇は第2章で、よいサマリア人のたとえ話を出し、わたしたちは道端に倒れている人のそばを通った人(避けて去っていった人々、足を止め近づいて世話をした人)の、どの人と同じだと思うか、問いかけています。そのほかにも、教皇はわたしたちが近くにいる人々だけではなく、離れたところにいる兄弟である人々と、どのように実際に関わっているのかと問いかけ、人間として、キリスト者としてどのように関わっていくべきかを語っています。

  これらの教皇のことばを読んでいくうちに、わたしはキリスト者として世界中の人々が神の子で、わたしたちは皆、兄弟であることを信じてはいるけれど、現実としては、遠く離れた人々のことをあまり知らないし、身近に感じておらず、実際は「兄弟である」とまでは言いきれない、と思いました。そして「兄弟である」わたしたちが「兄弟になる」ためには何をしたらいいのだろうか?と考えるようになりました。
 

  わたしの所属する宣教会は、福音宣教と宣教者の養成が使命なのですが、特に若者を優先して司牧活動を行っています。年2回若者と合宿を行っているのですが、6月に「兄弟になる」というテーマで合宿を行いました。それは、わたしだけではなく、少しでも多くの若者が、兄弟であるわたしたちが兄弟になることができるきっかけになるのではないかと考えたからです。

  合宿では、キリストの死と復活によって一つとなったわたしたちは、皆キリストの体でつながっている兄弟姉妹であること、そのつながっている離れた兄弟姉妹の現実を知り、自分の一部として感じることが実際に兄弟になっていく第一歩なのではないか、という視点から深めました。知ること自体、その現実を愛する方法で、知ることで祈ることができるからです。

  知らないかもしれない現実の一つとして、南米ベネズエラの紹介をしました。というのも、以前日本に住んでいて、コロナでビザがまだ下りていないものの、再派遣される予定のわたしたちの会のベネズエラ人の宣教師がいるからです。彼女は、ベネズエラの状況や家族の状況、その中でどうして自分は日本で宣教師として働きたいのか、といったことを分かち合ってくれました。以前会ったことのある人やこれから会うかも知れない人の国や家族の状況を知ることで、知らなかった現実を身近に感じることができたように思います。

  そして、石井光太さんの書いた本『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』(文藝春秋、2019年)を使い、さまざまな貧困の現実をグループごとで知り、分かち合い、参加者に共有するワークショップも行いました。

  また、祈りの集いの中では、5月に激化したイスラエル・パレスチナ問題について知り、イスラエル・パレスチナの平和のために祈りました。

  合宿の最後に、回勅の文章を引用しながら、わたしたちが身近な人だけではなく、離れている人も兄弟として実際にどのように生きていけばいいか、ということについても分かち合いました。その中で、わたしたちがすべての人とより兄弟となっていくために、具体的なコミットメントができたらいいな、という願いを込めて、いくつかの小教区や団体で行われている、塾に通えない小・中学生を若者が教えている学習支援やコロナでより必要性が増している食料支援についても話をしました。

  回勅のおかげで、若者と一緒にすべての人と兄弟になることについて深められたことに感謝しています。
 

  最後に、緊急事態宣言が長い間続き、家に閉じこもることで、こころも閉ざしがちになりそうな中で、広い視点で今の社会の現実をキリスト者のまなざしで知ることができ、わたしたちは皆兄弟であり、どんなことがあろうともお互いにつながっていることを、この回勅を読むことで再認識させてもらいました。そして、世界が今抱えている現実を知った上で、悲観的にならず、希望をもって毎日を生きることも教えてくれました。

  祈りと愛をもってなされた働きが、わたしたちを真に兄弟にしてくれるのだ、と感じています。直接会えない人々や、これからも会うことがなくてもつながっている遠く離れた兄弟に、神さまが祝福を注ぐためにわたしたちの献身を用いてくれていることを信じて、祈りのうちに誰かの顔が浮かんだらその人のために祈ったり、良心のうちにイエスに頼まれているのではと思ったことを実行したり、外を歩いているときに気になった人やものごとに足を止めて小さな愛の働きを行おうと日々しています。
 

『社会司牧通信』第220号(2021.10.15)掲載

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