難民の人々を歓迎できる社会に!

有川 憲治
NPO法人アルペなんみんセンター事務局長

世界の難民は8,240万人 10年前の約2倍に急増

世界の難民は8,240万人(2020年末、UNHCR:国連難民高等弁務官事務所)。10年前(2010年4,100万人)から約2倍に急増しています。全人類の1%以上、97人に1人が強制移動の影響を受けており、出身国へ帰還できる人も年々減少しています。
入国拒否され、送還される難民

日本にも年間1万人を超える難民が希望をもってやってきます。「経済的に豊かな国ニッポン」、「平和な国ニッポン」、「マダムサダコ(元国連難民高等弁務官・故緒方貞子さん)の国ニッポン」、「おもてなしの国ニッポン」。日本に行けば迫害から逃れて人間らしい人生を取り戻せると期待して、空港に降り立ちます。

しかし、その期待はすぐに裏切られることになります。空港で難民として保護してほしいと訴えると、難民申請すらできずに、入国を拒否され送り返されてしまいます。それでも、難民として保護してほしいと訴え続けると「速やかに出国しない場合」として退去強制手続きが取られ、入管施設に長期収容されることになります。
入国拒否されたRさん

本国で政治活動を行った際に、当局による身体的な迫害をうけ、命の危険を感じ出国。日本を選んだ理由は、高校生のとき、日本のことを学ぶ機会があったからだとのこと。先進国で平和なイメージ、ビザもスムーズに取得できたといいます。飛行機を4回乗り継いで、ようやくたどり着いた日本で入管職員に難民として助けを求めました。しかし、入国を拒否され、茨城県牛久市の入管施設に収容されました。

他の収容者から、一時的に収容を解かれる「仮放免」の手続きがあることを教えてもらい、面会ボランティアや支援団体に仮放免を相談。しかし、仮放免には、身元保証人、住居、保証金(法律上の上限は300万円)が必要だと知りました。保証金のための所持金はなく、保証人をお願いできる知り合い、住居のあてもなく、時間だけが過ぎていきました。

面会ボランティア経由で相談した弁護士に身元保証人を引き受けてもらい、2度目の仮放免申請で許可がおりました。収容期間1年6ヶ月。自由の身となりましたが、仮放免者は就労許可がでないため、働いて自立することもできず、自治体からの支援もなく、健康保険証ももらえません。
ホームレスになる難民たち

空港で無事、入国許可がおりた場合、入管での難民申請を行うことになります。例外はありますが、就労資格が得られるのは難民申請から8ヶ月後。それまでは、所持金と外務省の保護費、市民団体、友人知人からの支援で命をつなぐことになります。

外務省の保護費は、申請から数ヶ月後からの支給。希望する全員には支給されません。4ヶ月おきの見直しで、突然、支給停止される場合もあります。緊急シェルターは数に限りがあり、所持金もなくなり、保護費を受けられなく、路上生活を余儀なくされる難民も多くいます。中には、1年以上、公園でホームレス生活をした難民もいます。

そのような状況でも、入管への定期的な出頭、長時間のインタビュー、難民を立証するための書類の提出が求められます。生活基盤が脆弱ななか、書類等の作成に十分な準備ができず、結果として難民不認定になるケースがほとんどです。
2011年 国会決議の実現を

2011年11月、1951年の「難民の地位に関する条約」採択から60周年、また日本の同条約加入から30周年を記念して衆議院、参議院の本会議全会一致で「難民の保護と難民問題の解決策への継続的な取り組みに関する決議」が採択されました。

「国際的組織や難民を支援する市民団体との連携を強化しつつ、国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実に向けて邁進する。同時に、対外的にも従来どおり我が国の外交政策方針にのっとった難民・避難民への支援を継続して行うことで、世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担う」と決議されました。日本の難民政策が大きく変わると内外から期待されました。

国会決議から10年。「世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担う」ことは、残念ながら実現されていません。それどころか、通常国会で廃案になった「難民を収容し送還できるようにする改正入管法」に象徴されるように、難民の「保護」よりも「排除」する方向にむかっています。

国会決議当時4,250万人だった世界の難民は、2020年には8,240万人。毎年増加し、難民をとりまく状況は、深刻さを増しています。
アルペなんみんセンター開所

私は、1995年から2020年まで、東京教区の外国人支援センター「カトリック東京国際センター:CTIC」で、難民・移民への支援をさせていただいてきました。しかしながら、「今日、泊まる場所がありません」との相談に十分応えることができずにいました。特に、難民の場合、手続きには数年かかるため、その間、安心して生活できる住居が不可欠です。

2019年7月、長年「鎌倉黙想の家」として愛されてきた、イエズス会日本殉教者修道院が閉鎖になると聞き、難民のための緊急シェルターのために使わせていただけないかとイエズス会日本管区本部に相談に行きました。数日後、使用許可の連絡をいただきました。涙が溢れました。

ただ、そこからが大変です。イエズス会日本殉教者修道院は建物面積2,000㎡(600坪)、敷地面積27,739㎡(8400坪、東京ドームの60%)の巨大な施設です。運営資金もスタッフもありません。既存の団体に、共同運営を打診しましたが、断られ続けました。それなら、新しい運営団体を作るしかないと、、、。長年、難民支援に共に取り組んできた友人と共に法人を設立することにし、2020年11月にNPO設立申請、2021年1月に神奈川県から法人設立許可、イエズス会との契約にいたりました。契約時に「御法人の活動の目的と活動内容は、イエズス会の宣教活動の目的に完全に合致することからこの度、黙想の家を御法人に使っていただくことになりました。黙想の家は宗教施設であり、御法人の活動も宗教活動であると私どもは理解しています」との言葉に、また、涙が溢れました。


団体名称は、アルペなんみんセンター。イエズス会第28代総長ペドロ・アルペ神父様のお名前を頂戴しました。アルペ神父様は、管区長在任時に日本殉教者修道院を宣教師の日本語学校として建設されています。また、総長就任後、インドシナ難民の惨状に対応するためにイエズス会難民サービス:JRSを設立されました。JRSは現在世界56カ国で難民支援活動をおこなっています。アルペなんみんセンターは、日本の難民支援活動のみならず、JRSと連携して、世界の難民問題にも関われるような団体になるように育てていきたいと考えています。法人設立日は、2020年2月5日。アルペ神父様の命日、修道院名由来の日本26聖人殉教者の日です。

開所以来、ウガンダ、カメルーン、コンゴ、イラン、パキスタン、スリランカ、ミャンマー、インドネシアなどからの難民認定申請者19名を受け入れ、現在10人が居住中です。設立2年目の今年4月からは、スタッフ7人の体制で、多くのボランティアと一緒に活動しています。2019年来日した教皇フランシスコのメッセージ「日本に逃れてきた難民たちを、友情をもって受け入れることをお願いします」に応えるべく、これからも、「難民の人々を歓迎できる社会に!」の実現のために尽力してまいります。皆様のご支援、ご協力をお願い申し上げます。

▲ 右端が筆者

▲ 毎週土曜日には近所の子どもたちと一緒に畑作業

『社会司牧通信』第218号(2021.6.30)掲載

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