労働組合役員でカトリックの私が、「ヨセフ年」 にあたって 労働問題について考えていること

鳥巣 雄樹
日本カトリック正義と平和協議会委員
長崎県労働組合総連合(長崎県労連)事務局長

コロナ禍で、労働者が置かれている現状

  今、感染症対策のため人々の活動が大幅に制限され、休業、時短営業、在宅勤務などを余儀なくされています。しかし、医療・福祉・ライフラインなどの労働者は、職場に出勤して感染リスクを顧みず働き続けています。このような、社会のなかで必要不可欠な業務に従事する労働者はエッセンシャルワーカーと呼ばれますが、その多くは低賃金で働く不安定雇用の非正規雇用労働者です。

  完全失業率の増加と有効求人倍率の低下は著しく、民間シンクタンクの調査によるとパート・アルバイトの「実質的失業者」は150万人に迫り、とくに非正規労働者の7割を占める女性労働者が大きな影響を受け、自殺者も急増しています。昨年4月から8回にわたり全国で実施された「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」(主催:同実行委員会)のとりくみでは、全国的に、労働や生活にかかわる相談の内容が回を重ねるごとに厳しいものに変化してきており、長崎でも例えば、勤務シフトが大幅に減らされて生活できないほどに収入が減って困っている、といった深刻な相談が寄せられています。

  また、賃金格差の解消には「底上げ」が重要ですが、実際は低く抑えられたままです。コンビニや外食関係等をはじめ、時給が最低賃金と同額あるいは少し高いだけ、という職種が多いのが現状です。賃金の最低水準である最低賃金は、最低賃金法に基づいて都道府県ごとに設置される最低賃金審議会での審議を経て毎年決められます。一昨年までは、政府も年率3%程度を目途として全国加重平均で1,000円となることを目指すと明言し、不十分ながらも徐々に引き上げられてきました。しかし昨年は、感染拡大による経済の停滞を理由に雇用維持が最優先とする企業側の主張を政府が鵜呑みにし、中小企業支援等必要な対策もとられなかったため、各地の最低賃金の審議は政府の意向に沿う形になってしまい、全国加重平均902円となる1円(0.1%)の引き上げに止まりました。

  日本における格差と貧困はコロナ禍の前からの問題であり、消費税の10%への増税をきっかけとして生活や経済が悪化していたところに、コロナ禍が追い打ちをかけたというのが今の状況です。5月3日と5日には、四ツ谷の聖イグナチオ教会で「ゴールデンウィーク大人食堂」(弁当や食料等の配布と相談会。聖イグナチオ教会福祉関連グループ、コロナ被害相談村実行委員会など6団体の主催)が実施され、2日間で658人が来場したとのことです。また、長崎を含む全国各地でも食糧支援などが行われています。これらのとりくみが実態を可視化し、国や自治体による「公助」が行き渡っていない現状を明らかにしています。

 

労働問題の解決は、労働組合があってこそ

  働くことで困ったこと(残業代など賃金未払、解雇、ハラスメント等々)が起きたとき、一人で解決することは困難な場合がほとんどです。一人では心細くても、会社と対等の立場で団体交渉をすることができる労働組合に加入して、皆で力を合わせれば、働く人の権利が保障された、働きがいのある職場を作ることができます。

  ところで、この記事をお読みの皆さんは、労働組合に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。堅い、古くさい、政治活動ばっかり…!? かく言う私も、就職当初は、労働組合はなんだか近寄りがたい存在で、関わりたくないと思っていて、先輩から「そろそろ、どうか?」と強く誘われるまで、加入をためらっていた方です。

  しかし、働く世代の大半の人が労働者、即ち「自己の労働力を提供し、その対価としての賃金や給料によって生活する者」(デジタル大辞泉)である以上、労働組合は必要不可欠な存在なのです。

 

労働組合とは(実社会、そして教会での位置付け)

  労働組合とは、「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体」(労働組合法第2条)です。

  国の最高法規である日本国憲法は、全ての国民が人間らしく生き、働く権利を保障しています。そしてその実現のために、第28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と定めています。ただし、憲法や法律に保障されてはいますが、「権利」は誰かが与えてくれるというものではなく、先輩たちの長年の「たたかい」があって具体的な中身が積み上げられてきており、私たち現役労働者も学んで要求していかない限り、維持発展していくことはできません。

  では、カトリック教会は、労働組合についてどのように捉えているのでしょうか。組合の幹部役員になって間もない頃、気になって公文書を調べたことがあります。『現代世界憲章』には、「報復の危険なしに組合活動に自由に参加する権利」などは「基本的人権の中に数えられなければならない」と記されています(68)。また『教会の社会教説綱要』でも、「教会はその教導権において、労働組合によって果たされる根本的な役割を認め」るとしたうえで(305)、労働の尊厳、働く権利、労働者の権利などについて多くのページを割いて述べています。これらの文書は、私が安心して組合活動に没頭する拠り所となっています。

 

「ヨセフ年」(2020.12.8~2021.12.8)にあたって

  教皇フランシスコは、ヨセフ年にあたっての使徒的書簡「父の心で」で、聖ヨセフの7つの特徴の6番目に、労働者としての聖ヨセフについて取り上げています。聖ヨセフは大工、即ち労働者の一人でした。イエスは「大工の息子」(マタイ13:55)として聖ヨセフの背中を見て育ち、おそらく大工の仕事も一緒に行っていたものと思われます。

  教皇は、使徒的書簡の中で「新たな意識をもって、尊厳を与える労働の意義と、この聖人がその模範的な保護者であること」を理解しなければならないこと、そして「聖ヨセフの労働から気づかされるのは、人となられた神ご自身が、労働を軽視してはおられなかったということ」を指摘しています。

  また、教皇が言及している、「すべての人一人ひとりが尊厳ある生活を送れるようにと尽力すること」は、少なくとも、「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34ほか)と命じられているキリスト者、特に人の上に立つ立場にある者にとって、留意すべき事柄です。しかし現実は、長崎で労働問題に関わっていると分かるのですが、カトリック信徒が経営トップを務めていると思われる職場でさえも、職場の問題を改善するために声をあげる労働者を、経営側の意に沿わない者として排斥し、その結果労働争議に発展するという事例が時折みられます。カトリックにおける労働や労働問題に対する立ち位置を、より多くの信徒の皆さんに知ってもらう必要性を痛感しています。

  「排除されるとは『搾取されること』ではなく、廃棄物、『余分なもの』とされることなのです」(使徒的勧告『福音の喜び』53)と教皇が指摘するほどに排他的になり、職場や社会にハラスメントがはびこり、心を病んでしまう人や自殺者が続出しているのが、今の社会の現状です。私が事務局長を務める長崎県労連、そして上部団体である全国労働組合総連合(全労連)は、「『仕方がない』と諦めるのではなく『みんなで変える』へ。格差をなくし、8時間働けば誰もが人間らしくくらせる公正な社会の実現をめざそう」と広く呼びかけ、行動しています。日々の活動を通じて、「すべての人一人ひとりが尊厳ある生活を送れるように」なるために私も取り組んでいきたいと思います。

 

『社会司牧通信』第218号(2021.6.30)掲載

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