使徒的勧告 『愛するアマゾン』

~教皇フランシスコのアマゾンにかける夢~

堀江 節郎 SJ
イエズス会司祭

  最近出された『愛するアマゾン』は2020年2月に発表された教皇フランシスコの使徒的勧告“Querida Amazonia”の邦訳である。この勧告は、それより数ヶ月前に開催されたアマゾンの特別シノドス(2019年10月)を土台として、それに協力した人々への感謝をも含め、アマゾンへ、愛を込めて送られた手紙といえる。この勧告は、直接にはアマゾン地帯(九つの国が共有)の問題に関わるものだが、それは同時に全世界に向けて発信されている。アマゾンがみんなのものだから、そして、この地の課題がすべての地域にも刺激となるからである。勧告の四つの章は、それぞれアマゾンにかける教皇の、社会の夢、文化の夢、エコロジーの夢、そして教会の夢として綴られている。

 

第一章:社会の夢

  「わたしの夢見るアマゾンは、もっとも貧しい人、先住民族、最底辺に置かれた人の権利のために闘うアマゾンです。彼らの声が聞き届けられ、尊厳が擁護される地です」(『愛するアマゾン』7)。つまり教皇の夢は、その地のすべての住民が幸福な「良い生活」を確立するようにとの強い希求に他ならない(8)。これはBem Viverと言われ、アマゾンの先住民が、生態系の恵みに包まれて営む、質素な、そして健康的な共同体的生活を指す。

  現在、アマゾンが直面している「生態学的災害」はそこに住む住民の生命の危機でもある。つまり環境問題はそこに住む住民、先住民の人権を守る正義の問題、社会問題なのである(8)。アマゾンの資源を求めて、材木商、畜産業などの企業団体が乱入し、伐採、採掘が拡大しつつあり、「この事態が、昨今の先住民族の都市周縁部への移住を加速させたのです。彼らがそれで得たものは…奴隷状態、隷属、困窮のいっそうの悪化です。…こうした都市に、今や、アマゾンの地域住人の大半が住み、そこでは異民族排斥、性的搾取、人身取引も増加しています」(10)。

  教皇は、アマゾンを破壊し先住民の権利を奪う国内、国際企業の行動を「不正義、犯罪」と宣告する(14)。そして不正義と犯罪に向かって、教会は「憤る」預言者的使命があると言う(15)。同時に、権力者たちの不正義に荷担したこともあった教会の歴史を見つめ、その罪を恥じ、平身低頭でゆるしを請うのである(19)。

 

第二章:文化の夢

  「わたしの夢見るアマゾンは、傑出した文化の豊かさを守るアマゾンです。人間の美がさまざまに輝く地です」(7)。その生態系が失われているようにアマゾンの文化も失われつつある。先住民の文化の特色は、大自然と人間が一体で互いを生かし合う文化だからである。「彼らを『未開の』野蛮人と理解することは避けねばなりません。彼らは、かつては高度に発展した、ただし、異なる文化、異なる形態の文明を生み出した」(29)。

  都市部に移住させられた先住民は自然との繋がりを失い、彼らの価値基準や文化的ルーツを失うのである。教皇は先住民の若者たちに、先祖伝来の文化の再生のため「自らのルーツを担う」よう願う(33)。

 

第三章:エコロジーの夢

  「わたしの夢見るアマゾンは、その地を彩る圧倒的自然美を、川と熱帯雨林を満たすむせ返るほどのいのちを、大事に世話するアマゾンです」(7)、と序文でうたっているように、熱帯雨林の神秘の奥行きの深さに魅せられるとき、これを造られた神に心を開く。人間の保護と環境の保護が繋がっていることをここでも強調する。アマゾンの先住民の知恵は、被造界に対 する保護と敬意を促し、その限界を明確に意識して、乱用を禁じているのである。実に彼らこそアマゾンのエコロジーの真の推進者である(42)。

  この勧告に頻繁に引用されるアマゾンの詩人たちにとって、川や無数の細流は生ける血管である。アマゾンの命の神秘をうたいながら、この血管の破裂、汚染の姿に涙し、彼らも預言者として叫んでいる。私たちは先住民から学ぶことで、アマゾンを「観想」できるようになり、それによって単なる分析でなく、自分たちを圧倒するその貴い神秘を認識するようになり、…アマゾンを母として愛するようになる(55)。アマゾンとの関わりは、祈りとなり、内なる回心となる(56)。

 

第四章:教会の夢

  キリスト教共同体が、アマゾンに献身し、そこに受肉して「アマゾンの顔をもつ教会」の育成を望む夢である。アマゾンに於けるインカルチュレーションがこの章の中心テーマになっている。教会はアマゾンの深刻な社会問題に関わるが、同時に、それ以上の使命、福音宣教という使命に生きる。

  「アマゾンの顔をもつ教会」が育つには、救いの最も基本的な告知、「ケリュグマ」がアマゾン全域に響き渡らなければならない(64)。福音がその文化に受肉するために、「その地の先祖伝来の知恵に耳を傾け、…先住民共同体の生活様式に内在する価値観を認める」必要がある(70)。「アマゾンの先住民は真に質の高い生活を、『良い生き方』(Bem Viver)と表現しています。それは個人の、家族の、共同体の、宇宙の和を意味しており、…質素で素朴な暮らしに喜びと充足を得る能力として、そしてさらには、次世代のために資源を守る自然保護の責任感として表れています。…彼らは、わずかなもので幸せになり、多くをため込まずに神からのささやかな贈り物を喜び、無駄に破壊せず、生態系を守っています」(71)。アマゾンのインカルチュレーションは、社会的な人権擁護を特徴とする。そしてそれは、よその地のコピーではなく、アマゾンの顔をした聖性と結ばれる必要がある(77)。

  アマゾンの教会は、感謝の祭儀を執行する司祭の極度の不足を憂慮しているが、この勧告でも既婚男性や女性の叙階は肯定されていない。勧告では、信仰共同体の活性化のために、信徒たちの献身を推奨し、共同体に新たないのちを吹き込む使命があるとする。勧告は多くの奉献生活者たちの宣教活動や、先住民共同体での無数の女性たちの奉仕の偉大さを称賛するが、女性の聖職者化は「実際視野を狭めてしまい、…女性がすでにもたらしてくれた優れた価値を貶め、欠かすことのできない女性の貢献をひそかに削ぐことになる」のを懸念している(100)。勧告の結びは、アマゾンの母マリアへの賛歌と祈りに捧げられている。

 

  この使徒的勧告に感謝し、一言加えて終わりたい。一般にアマゾンの危機を語るとき、先住民の姿は、すべて受け身の「かわいそうな被害者」の印象が強い。だが、アマゾンを守るために闘う現実の主役は彼ら自身なのである。だからこそ教会が動き、国際団体の活動も可能となるのだ。苦難を背負っているが、そこには若い力が溢れている。幾つもの民族が互いに連帯を強め、政治社会への積極的参加を実現している。

  アマゾン宣教の必須はとにかく彼らの生活に近づき、そこに入り、聞き、友となり、隠れている素晴らしい生活様式を発見することである。外にいる限り、先住民は時代遅れの未開人に過ぎないが、彼らの中に招かれ、「良き生活」(Bem Viver)推進の歩みを共有するにつれて、憐憫が感嘆に変化する。勿論、そこにも無数の弱点がある。それでも彼らの、自然との融和と共存、小さな恵みから受ける幸福の思いなどに触れて、宣教師は、むしろ自分が福音を受けていると気づくようになる。教皇フランシスコはこのことを知っている。そこで彼らと共に見る「夢」はアマゾンを勇気づける最高の贈り物であり、神の預言者としての「夢」である。彼らも同じ夢を見ていて、その夢を見るあいだ、闘いは続く。

『社会司牧通信』第217号(2021.4.15)掲載

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