歓迎し、保護し、促進し、統合すること

マイケル・チェルニー枢機卿とのオンライン講演会

ムカディ イルンガ SJ
学校法人上智学院 カトリック・イエズス会センター

  1. 2020年11月27日、カトリック・イエズス会センター(上智大学)とイエズス会社会司牧センターがオンライン講演会を開催し、バチカン移民難民セクション次官のマイケル・チェルニー枢機卿SJにご講演いただきました。これは上智学院が企画した「教皇フランシスコ来日・来校一周年記念」プログラムの一つでした。「コロナ禍の時代における移民難民と新しい世代の答え」をテーマとして、チェルニー枢機卿が印象深く、傑出した講話をしてくださいました。

  2. コロナ禍の間の教皇フランシスコの教え、説教、謁見演説、司牧的な手紙と新回勅『フラテッリ・トゥッティ(Fratelli Tutti)』に基づき、チェルニー枢機卿は「コロナ危機において教皇フランシスコが様々な教えを通して道徳的、そして模範的指導者として私たちを導いてきた」と指摘しながら話を始めました。

  実際、教皇フランシスコは、私たち全員が、恐れて迷子になっている激動の時代に、漂流していると感じていることを認識していました。福音書に載っているイエス・キリストの弟子たちと同様、私たちも皆同じ船に乗っていて、予期せぬ激動の嵐に直面しています。恐れに満ち、弱くて、目が眩んでいます。私たちは皆一緒に、泣いて助けを求めています。しかし、私たちは同じ船に乗っているにもかかわらず、同じ立場とは言えません。弱い立場に置かれた移民、難民などの人々がより多くの苦しみを抱えているのです。

 

  3. パンデミックによって、移民、難民が「普段」から置かれている状況が明らかにされました: 不確実性、激しい不安、不安定な栄養と宿泊、健康状態の悪化、法的な問題、失業または仕事を見つけたとしても搾取や酷使の危険性。

  パンデミックにより、これまでしていた不安定労働さえもなくなりました。国境が閉鎖されているため、自分の国に戻ることはできませんが、生き延びるための生活費はありません。さらに、政府は自国民を優先しているため、社会的および健康上の安全性の測定に関しては、政府によって忘れられることがよくあります。しかし同時に、配達、警備、ヘルスケア、農業、食品加工、メンテナンスなど、最も暗い時間帯に重要(エッセンシャル)なサービスを提供する人のほとんどは移民、難民、季節労働者です。そうした人の多くは、自らの健康を危険にさらしています。

 

  4. パンデミックは、多くの移民や難民がいかに不安定で危険な生活を送っているかを理解するのに役立ちました: 混み合った収容所や拘留所に入れられた人、医療保障がないまま道端で生活を送っている人、三密を避けられない状況で貧民街に住む人などです。パンデミックによって、私たちがどれほど不正義な社会に生きているかが明らかになりました。

  このような状況から出ていくために、どのように対策できるかについて、教皇フランシスコがいくつかのアドバイスを教えてくれています: (1)利己主義を超えて、共通善を優先すること; (2)無関心、不可視性、個人主義の破滅的なイデオロギーを拒否すること; (3)無視しないこと、忘れないこと; (4)分裂を助長しないこと; (5)偽善者にならないこと; (6)貪欲、利益への熱意、そして目先の満足に基づく経済モデルを拒否すること; (7)人々を最優先に考え、単なる技術的な解決策を拒否することです。

 

  5. パンデミックは、「私たちが共に暮らす家」への不正義、不平等、暴行の蔓延という文脈において発生しました。したがって、パンデミックが気づかせてくれたように、新型コロナウイルスという「小さいが恐ろしいウイルス」もですが、社会的不正義、機会の不平等、疎外、弱い立場の人への保護の欠如といった「もっと大きなウイルス」もあるので、両方の治療法を見つける必要があります。

  教皇フランシスコを引用して、チェルニー枢機卿は次の事実を強調しました。「新型コロナは災害ですが、私たちは利己的な無関心というさらに悪いウイルスに見舞われる危険性があります。」そして、教皇フランシスコからの教えは、「正義、慈善、および連帯の抗体」を解き放ちます。そのような抗体を開発するために、教皇は教会の社会教説を参照し、その原則は次のとおりです: 個人の尊厳、共通善、貧しい人々のための優先的選択、物財の普遍的用途性、連帯と補完性の原理、そして私たちの「共に暮らす家」の世話。

 

  6. 枢機卿は、私たちがどれほど脆弱で相互依存しているのかを新型コロナは示していると指摘しました。ただし、脆弱性と相互依存性は一致の要因となる可能性があります。それは、対話と友愛と連帯の文化を構築しなければならないことを意味します。

  これは『フラテッリ・トゥッティ』の招きです。この回勅の中で、教皇フランシスコはすべての人々と国家の間の友愛と社会的友情を求めています。「物理的な近さに関係なく、生まれた場所や住んでいる場所に関係なく、私たちが一人一人を認め、感謝し、愛することを可能にする友愛の開放性」を求めています。個人と公共の行き過ぎた自己中心性の代わりに、国家主義と個人主義のイデオロギーに勝つための愛と開放の態度を求めています。そうした狭いイデオロギーは、「冷淡で快適でグローバル化された無関心」につながるからです。教皇フランシスコのこの呼びかけは、移民、難民、避難民、人身取引の犠牲者にいくつかの影響を及ぼします。

 

  7. 移民はしばしば戦争、迫害、そして自然災害から逃げています。すなわち、環境的および社会的災害を避けるために旅立ちます。これらの災難と悪に直面して、移民と難民は「自分自身と家族のための機会を求めています。彼らはより良い未来を夢見ており、それを達成するための条件を作りたいと考えています」。

  しかし、国家主義(ナショナリズム)と人民主義(ポピュリズム)の政権は、移民を締め出し、防御壁の後ろに身をかがめようとしています。移民が「他の人のように社会生活に参加する資格があるとは見なされず、他の人と同じ本質的な尊厳を持っていることを忘れがち」という外国人嫌いの考え方をよく目にします。教皇フランシスコが強調するこの精神は、キリスト教とは相容れないものです。「それは、起源、人種、宗教に関係なく各人が持つ不可侵の尊厳、そして兄弟愛の最高の掟といった、私たちの信仰の深い信念よりも、特定の政治的選好を設定するため」です。移民と難民に対する適切な道徳的反応は、4つの動詞に要約することができます: 歓迎する、保護する、促進する、そして統合することだと枢機卿は強調しました。

 

  8. 最後に、チェルニー枢機卿は、『フラテッリ・トゥッティ』が若者たちに、この友愛、連帯、そして無償の文化の創造に積極的に参加するよう呼びかけているという事実を強調しています。これは、若者が自分たちの文化に根ざしていることを義務付けています。若い人たちは、自分のルーツと歴史を理解する方法を知っている必要があります。植物の根が弱いと、生き残れません。歴史の感性と共通の物語のない文化についても同じことが言えます。過去の世代から来る人間的および精神的な富を受け入れるかは若者次第です。新しい文化への夢を実現するためには、世代間の対話が必要です。これは、若者もまた、移民や難民といった異なる人々に対する開きへ導かれていることを意味します。

  枢機卿は若者たちに、この教皇フランシスコの呼びかけを思い出させます: 「私は特に若者たちに、自分たちの国に新たに到着した他の若者たちに敵対し、後から来た者を脅威とみなし、他のすべての人間と同じ不可侵の尊厳を持っていないとみなす人々の手に乗らないように促します。」

 

  9. 質疑応答のセッションも行われました。参加者からはさまざまな質問がありました: パンデミックへの世界的な対応と宗教間の対話; パンデミックおよび国際政治(バチカン、米国および中国); イタリアと日本における移民と難民の状況; 難民を支援しているカトリックNPOの特異性; 教会における性的虐待など。チェルニー枢機卿はほとんどすべての質問に対して洞察に満ちた回答をしました。

 

【オンライン講演会の動画】

 

※ チェルニー枢機卿が、パンデミックに関連した教皇フランシスコの8つの文書をまとめた書籍『Life After the Pandemic』の日本語訳が、カトリック中央協議会から出版されました。日本語題は『パンデミック後の選択』です。

 

『社会司牧通信』第216号(2021.2.15)掲載

Comments are closed.