回勅 『フラテッリ・トゥッティ』 概説

ジェリー クスマノ SJ
イエズス会司祭/上智大学名誉教授

  教皇フランシスコの回勅『フラテッリ・トゥッティ』を簡単に紹介するために、各章のタイトルと私なりに言い換えてみたタイトル(=私題)、主要なポイントの概要、および重要なテーマを捉えた直接引用を一つずつ示したいと思います。

 

第1章:閉ざされた世界を覆う暗雲(9~55)
《私題》 私たちの今の世界は何かがおかしい

  教皇フランシスコは、浪費、人権侵害、恐れと孤独、誤った方向のグローバリゼーション、人間の尊厳の無視、薄っぺらなコミュニケーション、そして狂信について指摘しています。

  この章で教皇の主要テーマを最もよく表している一文を選ぶとしたら、次の文になるでしょう。教皇は繋がりではなく、孤立を選ぶ世界を述べているからです。

「自己防衛のための新しい壁が築かれ、外の世界は存在しなくなり、『私の』世界だけが残ります」(27)

 

第2章:道端の異邦人(56~86)
《私題》 今日の善いサマリア人を求めて

  このおなじみのたとえ話は、現代の生活と結び合わせることによって、生き生きとしてきます。社会における弱者や傷つきやすい人への配慮の欠如、他者の苦しみを無視する無関心、宗教指導者の過ち、「国境」についての狭い考えを超えて隣人の概念を再定義する必要性について語っています。

  このたとえ話の現代的説明において、おそらく最も深い洞察は、私たち一人ひとりが物語の全登場人物のうちに自分自身を見るべきだという教皇の指摘でしょう。

「私たちは皆、自分自身のうちに、傷を負った人の一面、追いはぎの一面、通り過ぎた人の一面、そして善いサマリア人の一面を持っています」(69)

 

第3章:開かれた世界の構想と実現(87~127)
《私題》 壊れた世界を修復する鍵

  この章で教皇フランシスコは私たちと一緒に、現時点での私たちの世界を修復するために必要な材料を探ります。教皇は愛から始めて、それを詳細に解説します。愛は私たちを、他者への開きと統合へと導きます。愛は他者を排除するグループに限定されることを拒みます。愛は人々の間の不平等を受け入れず、きょうだい愛のうちに具体化されます。愛は連帯を促進し、人種や財産、富の排他的な概念にとらわれることはありません。

  教皇が読者に教えたい現実主義を特に捉えている一つの引用は、特定の行動よりも、私たちの考え方の変化を呼びかけているのだと教皇が認めている箇所です。

「確かに、このすべての呼びかけのためには、別の考え方が必要です。そのような考え方をする試みなしには、私がここで言っていることはひどく非現実的に聞こえるでしょう」(127)

 

第4章:全世界に開かれた心(128~153)
《私題》 新しい世界秩序を築く方法

  この章は、国々とその相互作用に関する一般通念に挑戦し、新しい知恵を提示します。新しい知恵とは、国境や市民権の狭い概念に制限されないもの、文化の相互作用を相互の贈り物とみなすもの、相互利益よりもきょうだい愛的無償性によって働くもの、普遍的なものと同じくらいローカルなものを大切にし、どちらかに自己陶酔的に固執しないもの、開かれていて、開放の精神をアイデンティティへの脅威とみなさないものです。

  この一文は、教皇が言っていることの核心を本当に引き出していますが、それは誰もがたやすく受け入れることができる方法です。なぜなら、私が持っているものと私が貢献できるもののバランスを取る方法が示されているからです。

「すべての人の善に貢献できるような方法で、私は自分の持っているものを大切にし、育むのです」(143)

 

第5章:より良い政治の種類(154~197)
《私題》 政治は本当に尊い職業

  私にとって、この回勅で最も楽しい章です。教皇は政治と政治家の両方の評判を回復させることに成功しています。善いサマリア人の解説では、私たち一人ひとりが個人としてお互いに気を配るべきだということに焦点を当てられました。この章では、その議論を制度や政治判断、政策決定のレベルにおける善いサマリア人としての政治家といった観点から、次のレベルにまで引き上げます。「ポピュラー」と「リベラル」を再定義して「隣人」や愛の概念に含めること、「運命共同体」についての国際レベルでの焦点、社会的および政治的愛の概念の紹介、「政治的愛」のためのロードマップの提示、そして長期的な目標のために行動するようにという政治家への励ましがトピックとして含まれています。

  善いサマリア人としての政治家は、次の選挙でより多くの票を獲得できる事柄ではなくても、幅広い変化を実現しようと、長期的な目標のために取り組んでいます。そのため教皇フランシスコはこの職業に、真の尊さを見出しています。

「私たちが蒔く善の種の隠された力に希望を置くことは、実に尊敬に値します。そのようにして、他の人が実を結ぶためのプロセスを開始するのです」(196)

 

第6章:社会における対話と友情(198~224)
《私題》 傾聴が障壁をいかに打ち破るか

  第二バチカン公会議の期間中、パウロ6世によって書かれた『エクレジアム・スアム』は、「対話」という言葉が使われた最初の教皇文書でした。パウロ6世は、教会内で、他の宗教や善意のすべての人々との対話を促しました。教皇フランシスコはその伝統を堅持し、それを友情に加えることで対話を新しいレベルへと引き上げます。教皇は文化間の対話、人々を互いに結び付ける社会的対話について語っています。対話は真理への道として、そして多元的な社会の中で一致を獲得するための道として提示されています。そうすることで、教皇が出会いの文化と呼ぶ新しい時代へと繋がるでしょう。教皇フランシスコは、以前に記した公文書『福音の喜び』を反映して、そのような文化が真の喜びをもたらし、すべての人が親切さを再発見するのを助けると言います。

  教皇は対話のための議論の基礎を簡潔に要約します。

「他の人々には、自分らしくあるという権利と、違っていてもいいという権利があると認めることです」(218)

 

第7章:新たな出会いの道(225~270)
《私題》 波乱万丈な過去に健全な終止符を打つ

  和解、赦し、過去の出来事の忘却といった極めて広範で複雑な問題と、戦争や死刑のいかなる正当化をも拒否するという現代の具体的な問題を扱っているため、簡単に要約することが難しい章です。対立は避けられないということを認めながら、教皇は不可能を要求することなく、すなわち過去を忘却するのではなく、和解への道を開くキリスト教的赦しを解決策として提示します。この章の核心は、教皇による非常に驚くべき主張に体現されています。

「社会的一致への道は常に、たとえ他の人が間違っていたり、悪いことをしたりしたとしても、少なくとも、部分的にでも、正当な見解や貢献できる価値ある何かを持っている可能性を認めることを伴います」(228)

 

第8章:私たちの世界のきょうだい愛に奉仕する宗教(271~287)
《私題》 一緒に祈る人は一緒に残る

  この最後の章では、宗教が世界にきょうだい愛の精神をもたらしうる方法について説明されます。教皇フランシスコはこの回勅の中で、グランドイマームのアフマド・アル・タイーブ師との歴史的な会合を3度引用しています。彼は、いかなる形の暴力をも支持するために宗教を操作すべきではなく、むしろ対話的な出会いによって国家や人々の間のより大きなきょうだい愛への道を開くべきであると繰り返し述べています。教皇はこの希望の基盤を楽観的に宣言します。

「私たちが共有する重要なものは非常に多いので、穏やかで秩序ある平和的共存の手段を見つけることが可能です」(280)

 

『社会司牧通信』第215号(2020.12.25)掲載

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