「居場所」である教会 ~だれ一人取り残さない(SDGs)教会~になれるか

重荷を負うものは、我に来たれ

荘保 共子
認定NPO法人こどもの里 理事長

はじめに
  私が、初めて大阪市西成区にある通称「釜ヶ崎」を訪れたのは1970年、今から50年前になる。兵庫県宝塚カトリック教会の青年会活動で、愛徳姉妹会が運営されていた釜ヶ崎の子どもたちに勉強を教えるという「土曜学校」に参加したのがきっかけだった。

  聖ビンセンシオの愛徳姉妹会は、1933年(昭和8年)、聖心会小林修道院の初代院長マザーマイヤーの派遣依頼を受け、釜ヶ崎に隣保館「聖心セッツルメント」事業を始めるため、パリの本部より日本に派遣された。その事業内容は、診療所・病人訪問・児童保育・後に託児所(聖心隣保学園)・欠食児童給食・衣類供与分配にまで至る。「土曜学校」は、1934年10月に始まった「子供会」の活動である。1945年、空襲を受けすべてを焼失した。会は事務所を東住吉区に移転するも、釜ヶ崎の活動は継続されていた。戦後生まれの私は、上記のような歴史をつゆも知らず、12年間の小林聖心女子学院生活を経て聖心女子大を卒業、翌年「土曜学校」に導かれていた。

 

1. 「子どもが生きる力」を守る「居場所」
  そこで出会った釜ヶ崎に生きる子どもたちはといえば、実に子どもらしい。その澄んだ目の輝きに圧倒された。子どもたちには凄い「力」があった。感じる力・個性の力・人とつながろうとする力・降りかかってきた問題を解決しようとする力・外からの抑圧を跳ね返してしまう力(レジリアンシー)・傷つけられた自分を慰め癒す力・親を慕い思う力等。これらが「子どもが持つ力」、「生きる力」。ここには「家庭」はないけれど「家族」がしっかりある。

  この釜の子たち中心に「子ども夜回り」なるものを1986年度から毎冬実施している。「火の用心」の夜回りではない。道端で、ビルの軒下で野宿する人たちを訪問する夜回りだ。道端で冷たくなっている人と出逢った。多いときで年間500人もの行路死者が釜ヶ崎にいた。「一人も死なないで一緒に暖かい春を迎えたい」を合言葉に、野宿せざるを得ない人の命を守るのが目的だ(釜ヶ崎キリスト教協友会主催)。

  行政代執行と称して野宿者を排除する大人。「勉強しなかったらあーなるよ」と言う学校の先生。「目を合わせたらダメよ」と言う親。「怠け者、世の中の役立たず、死んでまえ」と野宿者を襲撃する同世代の子。野宿者に対する偏見と差別に、子どもらの力で抗する。夜回りなんかしなくてもいい社会にしたいと、毛布・おにぎり・ポットの準備から学習会、夜回りと、毎回8時間を超す活動をやってこなす。その力たるや「凄い!」の一言だ。子どもの権利の一つ「参加する権利」を行使している。「こんばんは。体大丈夫ですか?」と駆け寄り声をかける子どもたちの自然な無垢な「人とつながろうとする力」は、野宿者からの最高の誉め言葉「ありがとう」をいっぱい浴びて、傷ついた心にふつふつと他者へのいたわり・心配の心が息吹き、それが自分自身への愛しさと自信を息吹かせる。一方、野宿者といえば、寂しく怯えながらいる路上の寝床に子どもらの訪問を受け、「これで明日もまた頑張れるわ」と生きる気力を取り戻す。夜回りでの子どもと野宿者との出会いは、お互いがエンパワメントされあう関係を生み出した。

  生きる力を持った子どもの「居場所」のあり方は、出会った子どもの生きること自体へのニーズに、子どもの安心と最善の利益を考え応えていくことから生まれたもの。釜ヶ崎の子どもたち自身が創り出したもの。

  こどもの里には、0歳~18歳の児童だけでなく、こどもの里を卒業した大人たちもやって来る。そこには、赤ちゃんの世話をする小、中、高生がいる。オムツを替える子、泣きじゃくる赤ちゃんを抱っこしてあやす子、笑わせている子、ごはんを食べさせている子がいる。障がいのある子の顔を拭いている子がいる。「こどもの里」で子育てを経験している。みんなのために包丁を持ち、野菜を切って料理する幼児、小、中、高生がいる。みんなで一諸にご飯を食べる。けんかしながら、汗かきながら、他の学校の友だちと遊ぶ子どもたち、幼児が遊ぶ側で、気を遣いながらボール遊びをする子がいる。小学生の勉強をみている中、高生。手話で話し合っている子がいる。社会を学ぶ学習会に真剣に取り組む子どもたちもいる。おにぎりを握り、野宿する人たちを訪問し「体大丈夫ですか?」と声をかける子どもたち、「ありがとうね」との言葉に自信を息吹かしている子どもたちがいる。貧困の中、学校や家庭や社会がしんどくなって、傷ついた心を休めている子がいる。寂しくって泣きに来る子。誰かに聴いてもらいたくて、誰かに喋りたくて来る子がいる。

  みんな、親から行けと言われて来ているのではない。子どもたち自身が自分から選んで来ている。多様性が子どもたちの心身の育ちを豊かなものにし、自己肯定感を育んでいるからだ。「こどもの里」はそんな子どもたちが過ごすことのできる「子どもの居場所・空間・溜まり場」。

  子どもたちは生まれてくる環境、家庭を選べない。しんどさを背負わされて生きる子に責任はない。離婚や貧困はどの地域でも珍しくない。学校ではなじめない子、外国人の子、新しい“父”と合わない子、精神疾患やギャンブル依存症を抱え子どもの世話ができない親の元で生きる子、薬物依存や性暴力など自分の親から逃げてくる子、借金や暴力から逃げてくる子、いろいろな境遇の子どもたちに「居場所」を作る必要性は明白だ。

  「居場所」の保障は、子どもの未来の保障につながる。「こどもの里」は、小学生だけでなく就学前の乳幼児から中高生、また18歳を超えた青年たちまで、障がいの有無や学力や年齢を一切問わず、多様な子どもや大人に出会い、豊かな人間性や社会性を育むことのできる「遊び場」である。幼い子ども、交流を持つのが難しい子ども、はみ出しがちな子どもたちもが折々濃淡のある接触を継続しながら、それらの経験が総体として抱えられ続けるという、やわらかい構造がそこにある。それは人のどの様なあり方もあらかたOKだという、自他への信頼を生み出す作用を果たす構造でもある。言葉を換えれば、自分の存在を認め受け入れてくれる場で、「ありのままの自分でいい」と自己を受け入れられる場である。

  そして、子ども自らが自分の意思で足を運べる、地域に開かれた「居場所」は、地域に開かれていることにより、子どもたちの親も子育てのしんどさの羽休めに来る。「ご飯お願い」「今晩手をあげてしまいそう。子どもを看て」と、SOSを出す親。親子関係の「修復の場」・「相談の場」にもなる。地域に潜在する虐待及び貧困・困難のリスクの高い要保護・要支援児童及び要保護・要支援家庭を支える「居場所」になる。おやつや食事をともにしたり、宿題をしたり、日々の出来事や悩みを話せる「生活の場」であり、家庭にも学校にも行き場のない生きる困難を抱えた要保護・要支援児童にとっては「最後の砦(セーフティネット)」になる。

  子どもの居場所「こどもの里」は小さな一つの建物だが、その中で、貧困と虐待の第1次予防となる遊び場・行き場・休息の場。第2次予防となる生活及び子育て相談の場とその対策としての緊急一時宿泊の場。第3次予防となる子どもの長期保護生活の場、社会的養護の場のファミリーホームを兼ね備える「貧困対策と虐待防止と子育ち・子育て支援」の拠点でもある。つまり、子ども版の地域包摂支援センターなのである。

  留守家庭児童対策事業「学童保育」や児童いきいき放課後事業は、あくまで大人側からの施策である。子ども中心に考えられている事業ではない。提供者中心の公益サービスの視点からの支援策でなく、「子どもが主人公」とする利用者中心の視点を持つ、地域を基盤とした民間の力と協働して、「子どもの最善の利益」を問いながら、子どものライフステージに則した開放性と即座性のある切れ目のない包摂的支援のできる「こどもの里」の取り組みをモデルとした「子どもの居場所」を全中学校区に一箇所設置することを提案する。児童相談所を増設するのではなく、日本中に子どもの「いのち」をど真ん中に置き、子どもの声を聴いて、「子どもの最善の利益」を考える居場所が拡がればと願う。

 

2. ヤングケアラー(Young Carer)と小児期逆境体験(Adverse Childhood Experiences)とトラウマ
  貧困のど真ん中で社会からは差別されながら、それでもたくましく生きるこの素晴らしき子どもたちから「子どもが生きる力」を教わり、私自身が、生かされてきた。1977年に「子どもの居場所」を開設してから43年。たくさんの子どもたちが大人になった。3世代目の子どもの利用者もいるほど、ずっとその子の人生の傍らにいることのできる子もいる。毎年正月に「故郷だ」と家族連れで、元気な顔を見せに会いに来てくれる子もいる。

  中学校・高校を出た後、しばらくぶりに会いに来てくれる子もいる。その中に心の病をもって戻ってくる子がいる。私には見えなかった、気づくことができなかった大変な体験をしながら子ども期を過ごしていたこと、その傷を抱えながら今も生き苦しんで生きていることを語ってくれた。父親からの暴力に苦しんでいた子は、自分の子に手をあげてしまう自分にまたもがいていた。実は父親から、実は親の知り合いから性被害を受けていたと、自分の体の汚さにもがいていた。「薬を飲んだ」と電話をかけてくれ、何度も救急車を呼んだ子がいた。

  子どものころほとんど毎日こどもの里に来て、一緒に思い切り遊び、笑いあった3人の子を自死で亡くしてしまった。8人兄弟の長男は、20歳の誕生日に感電死した。父子家庭に育ち、10代で親を亡くし一人生きていた20年近く会っていない子は、30代半ばで溺死体で発見された。ポケットの中にこどもの里の電話番号を書いたメモがあったと警察からの連絡があった。アルコール依存症の父の元で育った子は、30代後半で崖から飛び込み自死した。

  親からの虐待に、親を殺めてしまった子がいる。兄弟を身障者にしてしまった子がいる。覚せい剤依存、アルコール依存症を抱えている子がいる。性行為を繰り返す子もいる。
どの子も、どの子も、その子が悪いのではないのに。

  ドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』が2016年6月に公開上映された後、私は、新しい「語」を知った。それは今まで出会ってきた生きることのしんどさを抱えながらも懸命に生きようとする子どもへの理解を整理し、鮮明に深めてくれる語だった。「ヤングケアラー」と「トラウマインフォームドケア」。

★澁谷智子著『ヤングケアラー ―介護を担う子ども・若者の現実』 〈中公新書2018.5.25発行〉
  私が出会った「生きる力」を持った素晴らしき目の輝きを放つ子どもたちは、ヤングケアラーだった。「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子ども」がヤングケアラーの定義である。

★野坂祐子著『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』 〈日本評論社2019.12.25発行〉
  生きづらさを抱えて生きている人と、その行為の前提となる小児期逆境体験とその後の影響を知り、理解するうえで、一読をお勧めする書籍だ。

  「子どもが生きる上で欠かせない安心や安全が守られていない環境は、逆境(adversity)と呼ばれ、トラウマとなりうる虐待やネグレクト、性被害、機能不全家族などが含まれる。…こうした逆境体験がその後の人生にもたらす影響を明らかにしたのが、小児期逆境体験(Adverse Childhood Experiences)に関する研究である。この調査は、米国疾病予防センター(CDC)が1995年から1997年にかけて実施したもので、ACEs(エース)と呼ばれる18歳までの様々な逆境体験を幾種類も経験するほど、神経発達不全や社会的・情緒的・認知的障害のリスクが高まり、生涯に亘って心身の健康や社会適応に悪影響を及ぼすことが示された。ACEs体験は稀なものでなく、一般に過半数の人が一種類は経験しているほど、広く社会で起きている出来事である。ただし、さまざまな種類のACEsを重ねると、気分障害、不安障害、物質乱用、衝動制御障害といった精神疾患や、虚血性心疾患、慢性閉塞性肺疾患、性感染症といった身体疾患の有病率が高まり、社会適応上の問題や早期の死亡につながる。例えば、ACEs項目が4つ以上該当する人は、ACEs体験のない人に比べて自殺リスクが12倍に跳ね上がる。」

『トラウマインフォームドケア』 P.77~78より

  被害当事者の話に耳を傾け、依存症、トラウマ、解離性同一性障害(DID)等について理解を深めよう。

★『生きのびるための犯罪(みち)』 〈イースト・プレス〉、『その後の不自由 ~「嵐」のあとを生きる人たち~』 〈医学書院〉
  著者であるダルク女性ハウスの上岡陽江さんから教わった。「覚せい剤依存は犯罪ではない。生き延びるための自己処方なんです。」

★オルガ・R・トゥルヒーヨ著『私の中のわたしたち   ~解離性同一性障害を生き延びて~』 〈国書刊行会〉 《原題=『The Sum of My Parts: A Survivor’s Story of Dissociative Identity Disorder』
  オルガさんは、父親から母親への激しいDVがある家庭で育ち、本人も3歳ごろから父親からの身体的・精神的・性的虐待を受けながら生き抜いてきた一人だ。DV防止などの社会活動に取り組む弁護士でもある著者が、解離性同一性障害(DID)の実体験を交えて、自己回復までの道のりと、社会全体の取り組みを分かりやすい内容で説明し、レイプなどの性暴力被害者が示す典型的な解離反応に関しても非常に深い示唆を与えてくれる。

  そのオルガさんからのメッセージは、“It gets better”「よくなるよ」。「どのように傷つけられても、人はその痛みを克服し、立ち上がることができる。」

  NPO法人レジリエンスの中島幸子さんは、8年も前からこどもの里の当事者である保護者と子どもたちに寄り添い続け、スタッフを養成し続ける。「トラウマが及ぼす身体と脳への影響について」

  • トラウマ≠出来事自体
  • トラウマとは、経験した出来事に対する身体と脳の反応のことを意味する。
  • 過去のトラウマに伴うつらさ:「過去の出来事=つらさ」ではなく、{神経システム・心的状態・脅威に対する反応}が破壊された状態が続いていることでつらさを感じ続けること。
  • 「自分がウツなのは、過去の経験のせいではなく、過去の経験に対する身体と脳の反応なのだ」と理解することが大切。

  様々な傷つき体験を抱えながら生きていくということについて、自己否定する必要など全くなく、気持ちを受け止めてくれる人が必ず存在すること。幸子さんのメッセージは「一人じゃないよ。いっしょに考えよう。」

  「トラウマの特徴を理解しながら関わるアプローチをトラウマインフォームドケア(Trauma-Informed Care: TIC)という。あらゆる人がトラウマについて基本的な知識を持ち、相手や自分にみられるトラウマの影響を認識すること。トラウマによって生じている反応を“問題行動”や“困った人”といった否定的な見方で捉えるのでなく、心のケガの影響として理解すること。心のケガを手当てするために対応すること。叱責や非難によってさらに傷つきを深めてしまうような『再トラウマ』を防ぐこと。このように、TICとは、行動の背景にある“見えていないこと”をトラウマの『メガネ』で“見える化”するものであり、支援における基本的な態度や考え方である。誰もがトラウマの理解に基づいて対応できるようになることが目指される。」(『トラウマインフォームドケア』 P.4~5より)

  米国でトラウマインフォームドケアの取り組みを進めている米国保健福祉省薬物乱用・精神衛生サービス局(SAMHSA、2014)は、トラウマインフォームドケアを「4つのR」で説明している。

  1. Realize: まず、トラウマについての知識を持つ。
  2. Recognize: どのような影響を受けているか認識する。
  3. Respond: 適切な対応をする。それによって、
  4. Resist re-traumatization: 再トラウマを予防する。

  トラウマインフォームドケアは専門家がやるものではなく、本人を含む周囲のあらゆる人が、トラウマのメガネを使って言動を理解することである。

 

3. Covid-19とトラウマ
  以前から予約していた股関節の手術が3月30日。たまたま、私の入院とCovid-19感染拡大の時期が重なった。入院して5日の間に毎日の患者数は激減、入院患者も面会謝絶など、重々しい体制になった。病院という安全である場に寝泊まりしているのに、ゆらゆらと心と身体に沸き起こった感情があった。それは、「安全な場であっても安心を感じられず、安全であることに安心できない」という感覚。そしてそれは、「安全でないことが分かっているのに、その結果を知っているので、見えているので安心する」という感覚につながった。“安心≠安全”のジレンマ。逆境で育ち、その結果トラウマを抱えさせられて生きている人たちに見られる行動の意味―何が起きているのか―の感情を感じた瞬間だった。支援の場から、例えばこどもの里は安全な場と分かっているはずなのに、拒否したり家出したり、わざわざ加害の元に戻り再被害を受けてきたりする行動の意味に触れたように感じた。トラウマの影響、トラウマの結果として、本人のせいではないのに、このような感覚の中で生き延びねばならない、生き続けねばならない生きづらさに触れた感覚だった。当事者に少し近づけたように思えた。

  中島幸子さんの「なぜ、Covid-19は当事者にとってつらいのか」の話に納得した。

  • 予測できない状態: 先が見えない、想定できない状況
  • 動きが取れない状況: 「出ていけない」→「逃げられない」と重なる。自分の体が自分のものと感じられなくなりやすい
  • つながりがない状態: 「誰も気づいてくれない」、「声を上げられない」、「対応してもらえない」、「もう二度と会えないかも」などと重なる
  • 麻痺状態: 無力感を感じるときの自然な反応だが、主体性を失っている状態となる。解離する当事者は、解離状態になりやすい
  • 時間・時系列が分からなくなる状態: 毎日が同じなので、何日なのかが分からなくなる。今の状態が永遠に続くような気がする。終わりがないように感じる
  • 安全感がない状態: 脅威を感じている状態→恐怖感・不安感
  • 目的意識がない状態: 自分のことがわからなくなる、何かをすることの意味がわからなくなる、何のために生きているのかがわからなくなる

  無力感におそわれる。だから、できることから少しずつやってみる。達成感を感じられることを探そう。

  そんな中で、こどもの里の子どもたちが考えやりだしたこと、①カズノコの卵が何個あるか、②折り鶴最小に挑戦、③西警/四角公園一周のタイム更新に挑戦、④自転車ツアー新路開拓など、それはCovid-19の中での「無力感」に抗する「達成感」を感じること。子どもってホントに凄い。

  終わりの見えない自粛要請が続く中、社会全体が大きなストレスに晒され、トラウマティックな反応に覆われはじめている。その結果として、社会全体が「こうあるべき」という狭い見方に陥ってしまっている。そして、その見方は排除を生む。ストレスがかかっている時、どうしても人は極端な発想に、「これくらいじゃだめだ」、「もっとちゃんとしなきゃ」と、完璧主義になってしまう。それではストレスがさらに高まる。またストレスがかかると、「私はこんなに頑張ってるのに」といったように、他者と自分の比較も起こりやすくなる。そうした比較は「(私と比べて)あの人は頑張っていない」という攻撃に転じてしまうことがある。例えば、「みんな一丸となって頑張ろう」と言われるとき、その「みんな」からは、「頑張り」を怠った人として感染者が排除されてしまっていたりする。頑張りの競争は「排除」を生む。

  Covid-19関連の報道を中心に、子どもたちは連日のように「今日は何人が感染」、「死者は何人」というショッキングな情報に触れている。そもそも生活の変化が生じること自体が、子どもにとっては大きなストレスになる。感染者へのバッシングや、外出自粛をきっかけとした児童虐待やDVの増加が報道されている。ケアが必要な子どもは少なくないはず。大変な時でも、大人が協力して頑張っている姿を見れば、子どもは安心する。逆に言うと、目の前で両親がけんかばかりしていたら、子どもはウイルスよりもずっと怖いと感じるだろう。

  また、まるで感染した人が加害者であるかのような錯覚に陥ってしまっている。しかし本来、「加害/被害」というフレームで考える必要は全くない。これは、ただの感染症だ。誰もが感染するリスクがあり、そして誰もが治療を受ける権利がある。決して、誰も悪くない。(野坂氏の談話より)

 

4.「祈り」の前に「インフォームド」
  この社会では、ほとんどの人がトラウマを受けている。しかし、トラウマを受けても、誰かが信じてくれて助けてもらえたなら、人はそこから回復することができる。問題は、トラウマを受けたことではなく、そのあと誰にもケアされなかったということである。

  こどもの里には、精神福祉士や心理士の専門家がいるわけではない。ただ、「生きていていいよ」と思い、「その子が生きる力」を信じてそばに居て、一緒に生活しているだけだ。スタッフの一人一人が、子どもと真剣に向き合いながら、自分の生きざまと向き合っている。そしてその子によって新しい自分に変えられながら、またその子どものそばに居る。それが今思えば、「ケア」だったのだろうと思う。「居場所」の中身だ。

  その人が抱える困りごとは、トラウマ症状廃止の強さや反省によって改善するものではない。ましてや、「祈り」によって改善するものでもない。相手が何か問題に見える行動を起こした際に、「この行動の背景には、トラウマやストレスがあるかもしれない」という可能性を考えながらケアを行うアプローチがまず、必要だと思う。まずもって、司牧者が、そしてキリストを信じますと宣言する信徒が、「神様に祈りましょう」の前に人としてなすべきこと=「この人に何が起きているのか」と、トラウマやストレスの及ぼす影境を正しく理解すること、つまり、「インフォームド(知る・前提にする)」ではないかと思う。

  そのことを家庭における関わりの中で、教会における信徒の関わりの中でこそ意識したい。「トラウマのメガネ」をかけて、困りごとを抱える人に対応しよう。そうすれば、重荷を負う人も教会の門を叩けるようになる。

  Covid-19の渦中で、トラウマ反応と無関係な人はいない、誰もが傷ついているという認識を持ち、教会の中だけでなく、社会全体としてケアに取り組んでいく必要が、今、ある。

 

《マタイによる福音書18:10~14》

  あなたたちはこれらの小さな者一人をも、軽んじないように気を付けなさい。…ある人が百頭の羊を飼っていて、その内の一頭が迷い出たとすれば、その人は九十九頭の羊を山に残して、迷った一頭の羊を探しに行かないであろうか。そして、もしそれを見つけたなら―あなたたちによく言っておく―その人は迷わなかった九十九頭の羊よりも、その一頭を喜ぶであろう。このようにこれらの小さな者が一人でも滅びることは、天におられるあなたたちの父のみ旨ではない。

 

おわりに ~クラウドファンディングご協力のお願い~
  4年前同じ釜ヶ崎で始めた女性のための「ステップハウスとも」も皆さんの応援で運営し続けています。様々な事情から心身共に傷ついている女性や社会経験が少ない人たちにとって、短期間で自立するのは容易なことではありません。住環境が整い、安心できる誰かとつながることで気持ちが安定し、一歩を踏む出す力になります。「大阪の未来を支える世代に居住支援を」のクラウドファンディングを応援してください。

https://readyfor.jp/projects/kamagasaki

 

社会司牧通信第213号(2020.8.15)掲載

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