一杯の愛のお米の支援

「助けてください! コロナで仕事を失って、生活に困っています!」

グエン タン ニャー SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

1.支援の背景
  コロナ禍が日本でも早い段階から始まりました。おそらく今年の1月から、日本に住んでいる人々がコロナの影響を意識し始めました。そのため、2月頃から買い溜めが激しくなってきました。私は日本で生活しているベトナム人カトリック青年たちと接する機会が多く、SNSやフェイスブックなどを通して、ほぼ毎日連絡しています。コロナの恐れが在日ベトナム人共同体の中でも広がっていて、青年たちはほとんど毎日、どこでお米が買えるか、どこでトイレットペーパーを売っているかという情報を交わしていました。これは災害に対する普通の反応だと考えていたので、あまり口を挟みませんでした。

  しかし、そのような情報を見ている間、私の心の中に一つの疑問が湧いてきました。それは、お金を持っていない人々がどうやって生活に必要なものを買えるのかという疑問でした。日本で勉強したり、働いたりするベトナム人の若者たちの人数は、毎年急増しています。彼らは自分の生活だけではなく、国に残されている家族への送金もあり、日本に来るための借金の返済もあって、生活の余裕がないのです。おそらく、毎月、稼いだお金を使い切ってしまう人々が多いのです。そして、コロナ禍によって、多くの店やレストランなどが閉まったので、収入はほとんどゼロになってしまいました。一人暮らしの人が多く、困っている時、親も友達もお金もないため、どれほど悩んでいるかを想像するだけで心が痛くなりました。彼らのために何かやらなければならないと分かっていましたが、具体的なことはあまり思い付かないまま、この思いを抱えていました。

  3月の下旬、日本の政府がコロナによる「緊急事態宣言」を出すというニュースが流れてきて、人々、特に日本にいる多くの外国人はパニックになっていました。コロナの影響が目の前にあるからです。そして、あちこちから「助けてください!仕事がないので、食料さえも買えないのです」とか、「とても困っています!コロナが怖いので、物質的にだけでなく精神的にも、毎日不安の中で生きています」という連絡が入ってきました。このような状況になってきたので、今まで抱えてきた思いをどうしても実現しなければならないと分かってきました。今回はただベトナム人の若者たちだけではなく、日本にいる外国人の若者たちのために支援がしたいと決心しました。

  しかし、私一人では何もできないと分かっていたので、ベトナム人のカトリック共同体を長年世話している東京教区のヒエン神父に電話したところ、協力してくれるという言葉をもらえました。その時は、ヒエン神父も私も、どのように彼らを支援したら良いか分かっていなかったのです。翌日、私はさいたま教区で働いているシスターマリア・ランのフェイスブックをたまたま見て、シスターたちが野宿者のためにご飯や食料を配っていることを知りました。直ちにシスターマリア・ランに連絡をとって、自分の思いを話してみたら、シスターたちは食料の支援をよくやっているので、協力するよと言ってくれました。その日は聖週間の木曜日でした。こうして一杯の愛のお米の支援が誕生しました。


 

2.支援を実施する
  ヒエン神父とシスターマリアと私、三人で話し合っても、支援のし方についてなかなか良いアイデアが見つからなかったのですが、とりあえずやってみるという結論からスタートしました。シスターマリアは、一人分の食料は「お米5キロ、揚げ油1リットル、ナンプラー1本、麺類5個、お砂糖1キロなど」という支援内容の案を出しました。そのような基本の食料をまずは30人分用意しました。そして、SNSやフェイスブックなどを通じて支援を知らせ、同時に寄付を呼びかけることも決めました。コロナの感染を避けるため、毎週土曜日、少人数のベトナム人のカトリック青年たちに手伝ってもらうことと、宅急便で発送することも決めました。支援の知らせを出すと、全国から申請が山のように飛んできて、1回目の発送は約91人分でした。やはり困っている人が多いと分かってきました。

  支援を始めてから2週間も経たないうちに、日本全国から来た申請は約1,000人でした。この状態ではとても一か所ではやりきれないと分かり、イエズス会社社会司牧センター所長の梶山神父のアドバイスを受けて、細江教会下関労働教育センターの力を借りることになりました。そして次に、名古屋教区で働いている神言会のヒー神父と大阪教区にいるコンベンツアル聖フランシスコ修道会の和越敏(Kazukoshi Binh)神父も一緒に支援することになりました。

  このような動きによって、約3か月間でこの一杯の愛のお米の支援を実現できました。この4か所で毎週1,000人分の食料を用意して発送しました。この支援は6月21日に最後の発送をし、終了しました。
 

3.支援の結果
  まず、支援できた人数から言えば、約6,000人です。彼らは北海道から沖縄まで、日本中で生活しています。内訳としては、ベトナム人が90%を占め、残りの10%はバングラデシュ人やネパール人などです。もちろん、困っている人はまだまだたくさんいますが、「緊急事態宣言」が解除され、人々が少しずつ普段の生活に戻れると期待して、この支援を終了しました。

  全部で5,760パッケージを発送しました。中には二人分や四人分を詰めて送ったものもありますが、一人分は発送料を含めて約6,100円です。簡単に計算してみると、約3,514万円の支援活動です。お米は28,800キロ、麺類は46,080個、マスク15,680枚、ナンプラーや揚げ油やお砂糖などはそれぞれ5,760キロ/リットル送りました。これらはすべて、お金や食料を寄付してくださった皆さんのおかげです。私たちはただ単に分配する役割をしていただけです。

    
 

4.支援から学べたこと
  前述のように、この支援は皆さんのおかげで実現できたものです。違う言い方をすれば、この支援の成功は皆さんのご協力の結果なのです。支援を呼びかけた私たちはこの支援を通して、色々なことを学びました。

  まず、困っている時こそお互いに助け合うことができるということです。支援を始める前に、私たちは色々なことを心配していました。もちろん、どうやって困っている人々を助けるかということはよく考えていましたが、人々は皆困っているので、もしかして寄付をしてくれる人がいないのではないかということも心配していました。しかし、支援の最初の時から、たくさんの方々からお金や食品を送って頂きました。

  最初、自分たちがどこまでできるのか分からなかったので、まずベトナム人の共同体のためだけに支援しようと、ベトナム人の共同体の中だけで寄付を呼びかけようと決めました。その結果、食料を送ってもらいたがっている人々が相次いで出てきたのと同時に、寄付を送ってくれる人々も多かったのです。この頃頂いた寄付はほとんどベトナム人の共同体からです。寄付してくれた人々の中には、自分自身も困っている人が少なくありませんでした。彼らの寄付の多くは、2,000円や3,000円といった額でしたが、これこそ福音の中に出てきたやもめ(マルコ12・41-44参照)のことではないかと私たちは感動しました。

  そして、地元の協力がどれほど大切なのかということも分かりました。支援活動がだんだん広がり、お金や食料がどんどん減っていった時、イエズス会社会司牧センターを通して、寄付を呼びかけました。そして、名古屋教区の松浦司教様やさいたま教区の山野内司教様を始め、麹町聖イグナチオ教会浅草教会仁川教会細江教会浜寺教会の日本人のカトリックの信者の方々からの寄付をたくさん頂きました。修道会の方はサレジアン・シスターズサレジオ会の調布支部から寄付と食料をたくさん頂きました。また、長野県のフードバンク、山谷(やま)農場からは、合計一トン以上のお米を送って頂きました。後半はほとんど日本の方々からの寄付で支援を行いました。普段はあまり接点がないけれど、困っている時、国籍・宗教を問わず、困っている人々を助けてくれる日本の皆さんを通して、神の国の普遍性を感じることができました。

  最後に、私自身はこの支援を通して、一緒に働くことを学べました。私は今までずっと勉強していたため、現場での体験があまりにも浅かったのです。特に、誰かと一緒に働くことにあまり自信を持っていなかったのです。今回の支援は、一緒に働いてくれた司祭や修道者を始め、多くの信者の方々と、そして信者ではない方々とも一緒に働くチャンスでした。これは本当に私にとって宝となるチャンスでした。今回の支援だけではなく、司祭としてこれからも、他の人々と一緒に活動していけるようなチャンスになりました。

  この場を借りて、一緒に働いてくださった皆さんを始め、私たちのことを信じて、心を開いて、支援を申請した方々に感謝を申し上げたいと思います。

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