~教皇フランシスコの社会司牧と若者の信徒使徒職~
山田 真人(まこと)
NPO法人せいぼ理事長
2018年10月、バチカンでは世界代表司教会議(シノドス)が開かれ、「若者、信仰、そして召命の識別」というテーマに基づいて議論がされました。その後、すぐに教皇フランシスコは、シノドスの熱を活性化させるため、「信徒、家庭、いのちの部署」の主催で、“International Youth Forum”を2019年6月に開催し、100ヵ国以上から青年代表を招き、最後には1人ひとりとお話をされるなど、若者との積極的な関わりを持たれました。
さらに教皇フランシスコはその後、2019年11月、同年の“International Youth Forum”に出席した若者から20名を直接選出され、“Youth Advisory Body”(若者諮問議会)を設置しました。
以上のような動きは、今までの社会司牧と大きく分けて2つの点が画期的だと考えています。1つは、シノドスで掲げられたテーマを具体的な3段階で、継続的に実践に移そうとしている点です。もう1つは、そのテーマで若者との関わりが取り上げ続けられている点です。この2点は、今後の社会司牧にとって、そして若者の召命、信徒使徒職の働きに対して、大きな影響力を持っていると感じます。
私は、この教皇フランシスコの一連の働きに参与し、“Youth Advisory Body”のメンバーに選出して頂きました。その立場から、以上で述べた教皇の継続的な司牧力、若者というテーマの重要性の2点を中心に、どのように現在の司牧の変化を受けて生活をしていくべきかをお話しできればと思います。また、最後に私自身の仕事を具体例に挙げながら、結論とさせて頂ければ幸いです。
教皇の継続的な司牧力
まず1点目の、教皇フランシスコの継続的な司牧力についてお話しします。以上でお話ししたシノドスの歩みの過程の中で、教皇フランシスコは2019年4月、使徒的勧告として、“Christus Vivit”(邦題:『キリストは生きている』)を発表しています。この中で、若者と召命、司牧について考察を加えています。それは、全てのキリスト教徒の若者に対して発信されており、自分の信仰の芽生えと、それに対する確信を持つように促し、同時に個々が持つ召命の中で、その信仰を成長させることができるように勇気づけることが特に意図されています。全体の構成としては、聖書や聖人の中に見られる若い人々の信仰の姿が描かれた後、イエス自身も神の言葉に臨機応変に応える若い姿勢を常に持っていたことが書かれています。そして後半では、情報社会や難民の問題にも触れ、社会問題と行動的に関わり、若者が自らの召命を深め、年上の方々と協力し、教会を作っていく主人公であると、強く語っている構成となっています。
以上のような教皇フランシスコの論理を見ると、若者は聖書の聖人、イエスを模範として、社会を取り巻く課題に対して柔軟に応えることができる者として捉えていることが分かります。こうした若者の姿を教皇フランシスコは、「落ち着きのなさ」と訳すことも可能な“restlessness”という言葉を使って表現している箇所もあります。これは決して消極的な意味ではなく、グローバル化の中で移り変わる世の中を臨機応変に渡っていく、社会変革を見出すような若者の姿を表していると思います。こうした“Christus Vivit”の言葉から、耐えることが困難とも言えるほどに多くの価値観がある現代の中でも、イエスを中心とする聖書の人物を模範として、継続的に取り組んでいくことを強調しているように思います。
「若者」というテーマの重要性
次に、2点目の「若者」というテーマの持つ重要性についてお話しします。既にお話しした、シノドスの歩みの一つとして開催された“International Youth Forum”では、100ヵ国以上の国々から若者が集まり、“Christus Vivit”の内容を中心に議論も行われました。その中では、多くの種類の社会的文脈について共有され、多種な司牧方法について語られることで、柔軟で参考になる意見を得ることができました。こうした若者の発想力などが、連帯を生み出し、社会を変えていくことに繋がるからこそ、教皇フランシスコはこうした集会を試みたのであろうと感じました。以下でいくつか具体的な社会課題、議論の事例を載せさせて頂きます。
あるパレスチナ出身の女性は、自国の98%がイスラム教徒でキリスト教徒は少なく、さらに宗教的混在が原因で、若者は自分がキリスト教徒であることを強く主張はできず、その意見、具体的な活動を見つけにくいとのことでした。そのため、現地ではオンラインでのアンケートが取られ、なるべく多くの若者の声を、シノドスの前の準備として取り入れる努力を行ったとのことです。
また、ボツワナ出身の女性は、1つの国内で移民の問題が多くあり、教区の1つを取り上げても、その教区の特徴的な問題を絞ることは難しく、常に変動するとのことです。人の移動は新たな課題の取り組みを常に見出し、教区に特徴を与え続けます。この女性によれば、ボツワナでは医療の問題など、社会課題に挑戦する際、教会共同体の力を借りることが多いそうです。こうした文脈の中では、体力と柔軟性のある若い人々の各教区での働きが重要となるとのことでした。
一方で日本は、2011年の東日本大震災以降、多くの人々が移動をしています。さらに日本は、外国人労働者、ビザの緩和で、ボツワナのように移民をする方々も受け入れていく時代に入り、観光の活性化も加わる中、多くの面で国際化、オンラインなどでの早い情報発信、社会問題への介入がより迫られています。こうした状況に、教会で最も柔軟に反応する人々の1つが、若者であるかもしれません。
以上のように、教会で司牧が国際的な社会問題に関連していくことも、若者にとって意識すべきことであり、教皇フランシスコが、シノドスの歩みを若者と共に歩むことを選んだ理由は、こうした司牧情勢が大きく目の前に存在していることだとも考えらえると思います。
若者の信徒使徒職:自分が世界の一部だと感じること
ここまで、冒頭でお話しした教皇フランシスコのシノドスの歩みにおいて、画期的と考えている点について、2点に絞ってお話をさせて頂きました。最後に、私の通常の仕事を通して、具体例をご提示できればと思います。仕事をする中で感じ、常に頭に浮かぶのは、“Christus Vivit”(34)にある以下の言葉です。
“Youth is more than simply a period of time; it is state of mind.”
若さはある時期を単に表す言葉ではありません。それは心の状態なのです。
仕事をしていることで、市場の変化も激しく、その時に一番良いものは何か、最も良い時間の使い方は何かを、繰り返し問い続けます。しかし、この問いに押しつぶされずに継続ができる理由は、仕事をする中で、自分が世界の一部だと、実感を得ることができているからです。最後にこの意味について、お話ししたいと思います。
私は現在、東アフリカのマラウイの給食支援するNPO法人せいぼの理事長を務めています。その活動を支えているのは、私が同じく通常働いている英国法人通信会社のMobellで、売り上げの大部分をチャリティに還元するという方針を持っています。
通信事業のお客様の大部分は訪日外国人で、様々な問い合わせを受ける機会があります。しかし、それに耳を傾けて活動してみることで、自然と気持ちがよくなることがあります。それはおそらく、自分が世界の一部だと感じているからです。
売り上げは東アフリカへの支援に繋がり、国内で多くの国籍の人々の生活に関わることは、自分のグローバルな視野を広げます。私たちは現在、この「グローバル」という言葉を教育現場などで使用し、活用する機会が増えています。この言葉、もしくはその類義語を使うことで、何かわくわくした気持ち、隠れた可能性を見つけたような気持ちになる理由は、おそらく自分が世界の一部だと感じているからだと、私は考えています。その時、私たちは自然に、他者のために何かしたいという気持ちになっているはずです。
この気持ちこそ、教皇フランシスコが言う、「若さ」という「心の状態」だと考えており、現在の若者を中心にした社会司牧で必要と訴えられていることだと思います。
人間は国籍を問わず、全ての人が神にかたどられて創られました。それは、神に向かう信仰によって、その姿に立ち帰ることができることを、同時に意味すると思います。「召命」という英語の“vocation”は、「職業」と訳すこともできます。社会に貢献できる仕事、生き方を実践することが、教会と協働し、神への信仰に立ち帰るための手段として、若者が活用していくことで、未来を切り開いていくと感じています。