【追悼】 ブラザーエルナンデス (1931~2019)

~善いことをする面白い聖職者、マノロ、ありがとう~

ハビエル ガラルダ SJ
麹町聖イグナチオ教会協力司祭

  神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。  〔ルカ13:18-19〕

  2019年11月28日、イエズス会上石神井修道院にて、Br. Manuel Hernandez Montesinos SJは、心不全のため、静かに息を引き取りました。88歳の生涯でした。

  小さな「からし種」であった彼は、成長して「木」になり、「空の鳥」である悩む人、つまり私たちは、その枝に巣を作ったり、ひと休みしたりしていました。

  さすが、エルナンデスさん! 学歴も肩書もそれほどなかったのに、彼の葬儀のためにはたくさんの人が集まりました。心の実力です。心のある人でした。

  天国はさぞ賑やかになったでしょう。聖ペトロの肩をバシバシ叩いて、「よう、ペトロ殿、元気か?」と言っている彼の姿が想像できます。今の天国は大変です。

  ところが、この世の私たちは寂しいです。お通夜の説教でアルティリオ神父様が引用したスペインの歌は、私たちの悲しみを表しています。「友達が離れるとき、魂の中では何かが壊れる」。

  最も悲しんでいるのはたぶん、99歳のブラザーマルコでしょう。非常に良い友達でした。二人で散歩するのが大好きでしたが、途中で喧嘩をして別々に帰ってくることもありました。サラゴサ出身の人は頑固だと言われていますが、エルナンデスさんはまさにサラゴサ出身でした。

  しかし、エルナンデスさんの生の声は、もう聞くことができなくなりました。信じられないです。「声」といえば、こんなことがありました。彼が亡くなる二日前に、教皇フランシスコがイエズス会の家(SJハウス)にいらして、兄弟である会員たちと共にミサを捧げ、朝食も共になさいました。私が自分のお皿を取ろうとしていたとき、誰かが私の背中を押しのけて声を出しました。「どけよ!」 振り向くと、やはり彼でした。良く言えば「元気で良かった」、悪く言えば「相変わらずで治りませんね」と思いました。しかし実は、その言葉が彼から聞いた最後の声になりました。最後の声、貴重な言葉は、「どけよ!」でした。


 
  ところで、彼の名前、マヌエルのニックネームは「マノロ」です。

  11月15日のことです。毎週金曜日7時半からは朝祷会が開催されていますが、この日のゲストスピーカーであったBr.エルナンデスは、こんな話をしました。「死がいつ来るのか、私たちにはわかりません。準備していなければなりません。人に深い喜びを感じさせるという準備をするのです。私は若いときに、楽しく遊んでいたプレイボーイでした。しかしある日、目の不自由なおばさんを見かけたので、彼女の手を取って道案内をしました。彼女は、母が作ってくれたチョリソーのサンドウィッチの匂いを感じて、『美味しそうなものを持っていますね』と言いました。私は、『お腹が空いていますか? あげますよ』と言って、サンドウィッチを渡しました。その時の彼女の最高に嬉しそうな表情を見て、私も本当に嬉しくなりました。あのとき私が感じた喜びは、遊んでいたときの楽しさとは違うとわかりました。その喜びは、これからずっと、困っている人に深い喜びを感じさせるのが私の人生の道だと教えてくれました。そのためにイエズス会に入りました。司祭になるためではなく、皆に役立つ仕事をするブラザーになるためでした。30年間にわたって大工の仕事をしていたイエスのように・・・。」

  つまり、喜びの質は、彼の生きる根本方針を照らしたわけです。日本に来てからも、台所やボイラー係のような仕事をしながら20年間を過ごしました。司祭になる神学生のためには二年間の日本語学校がありましたが、ブラザーのマノロにはなかったので、仕事の間の休み時間を使って、自分で日本語を覚えました。

  その当時主任司祭であったカンガス神父様に呼ばれて、聖イグナチオ教会に来ました。34年間にわたって、香部屋の仕事、葬儀や結婚式の手伝い、ロザリオや十字架の道行きの祈りなどを行い、そして自分の部屋にひっきりなしに来る人と共にいるという仕事をし続けてきました。それに、毎朝4時半に起きて、教会の門とすべてのドアの鍵を開けていました。雨にも負けず、雪にも負けず。

  朝のミサのときには、長年、侍者と朗読者の役目を果たして、立派な日本語で聖書の箇所を読んでいました。実は、難しい日本語は勝手に読み替えて、自分なりの内容を語ることもありました。ミサの参加者にとっては、パウロの言葉を聞いているのか、マノロの言葉を聞いているのかは、微妙なところでした。

  二冊の本も書きました。『エルナンデスさんの本』、そして『信 望 愛 ~六十五年を日本で生きて』です。
 

  エルナンデスさんは立派な人格者です。正しいことを言うまじめな聖職者というよりも、善いことをする面白い聖職者でした。これを皆が学ぶように努めれば良いと思います。正しいことを言うまじめな人はたくさんいて、間に合っています。善いことをする面白い人は、ありがたい存在です。

  教皇フランシスコは、「教会の外に出なさい。羊の匂いのついた羊飼いになりなさい」と勧めています。マノロは、50年以上前からずっと外の刑務所に出向いていましたし、教会の外のたくさんの人が彼のところに来ていました。刑務所の教誨師として、すべての宗教の教誨師に好かれて、可愛がられていました。お通夜にも葬儀にも、刑務所の関係者や教誨師たちがたくさん来て、彼の死を悼んでいました。本当は、たくさんの囚人たちも来たかったのですが、出るに出られぬ事情がございまして・・・。

  エルナンデスさんは、教誨師の私にときどきこう頼みました。「刑務所にミサはありますね。囚人たちはミサが好きだし、役立っているから続けてくださいね」。つまり、自分の教誨師としての活躍よりも、囚人たちを大切にしていました。中心は自分ではなく、囚人たちの成長でした。これは難しいことです。純粋な愛が求めるのは、“私が”人を助けることよりも、人が助かることです。エルナンデスさんは純粋な人でした。

  恐れを知らないマノロは、すべてを超える人間でした。人の身分と財産と肩書を超えていました。偉い方を受け入れていたし、弱い立場に置かれている方も平等に受け入れていました。有名な作曲家・指揮者の山本直純さんは、エルナンデスさんの導きで洗礼を授かりました。非常に貧しい方々をも、同じ温かさで受け入れていました。まさに、イエス・キリスト自身がなさっていたとおりです。

  マノロは、時間と空間を超える人間でした。マノロは、善と悪を超える人間でした。マノロは、面白くておっちょこちょいな人でした。そしてマノロは、善いことをする面白い聖職者でした。
 

  「友達が離れるとき、魂の中では何かが壊れる」。彼は、今こそ幸せです。また会えるのです。まったく違った様子と状態で、まさしく同じ人間が生きるとイエスは教えてくださいました。想像することができない状態では、まさしく同じマノロは、今こそ幸せです。きっと、ちびっ子の天使たちにアメを配っているでしょう。そうしている彼にまた会えるのです。

  神様、マノロをよろしくお願いします。マノロ、私たちをよろしくお願いします。神様、この素晴らしい人に会わせてくださってありがとう。エルナンデスさん、一緒にいてくれて、友達になってくれてありがとう。

  もうひとつの「ありがとう」があります。マノロの人生の総括的評価になる一言です。彼が死んだとき、迎えてくださったイエスの一言です。マノロのすべてになっていたイエス・キリストからの一言です。「マノロ、ありがとう!」。これです。

  さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。  〔マタイ25:34-36〕

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